統一原理注解 創造原理➖(6)被造物の成長期間と人間の責任分担
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり朝となった。第六日である。(創世記第一章31節)
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からも心のままに取って食べてよろしい、しかし善悪を知るの木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記第二章16〜17節)
【成長期間]
神様は6日間即ち6段階で天地を創造された事は前回述べた。その創造の度毎にそれを見てはなはだ良かった。夕となり朝となった。第1日であるから始まり、6日であるまでの6日間かかっている。夕となり朝となれば第2日目と普通考えるが聖書は第1日と記されている。この部分、統一原理によれば夕方から朝迄の夜の期間は全ての被造物の成長期間と解く、夜という成長期間を経て朝となり新しい出発の1日が始まると解説する。ここから全ての被造物には一気に完成体として創造されたのではなく成長期間があることがわかる。
統一原理によれば成長は蘇生期、長成期、完成期の秩序的3段階を通じて完成する。植物ならば種と芽、茎と葉、花の3段階で結実。虫は卵、青虫、サナギの3段階で成虫となる。人間は幼年期、少年期、青年期の3段階を経て成人となる。ではなぜ3段階なのか。それは創造主である神様が3数的存在(+と−の中和的存在)であるから自然界も3数からなっている。自然三界:動物、植物、鉱物。物質の三相:気体、液体、固体。植物の三部分:根、幹、葉。動物の三部分:頭、胴、四肢。光の三原色:赤、青、緑など。又聖書の中にも父、子、聖霊の三位、楽園の三層、方舟の三層、イエス様の30年の私生涯と3年の公生涯、三弟子、三大試練、三日目の復活など数多く出てくる。
【神様の責任分担と人間の責任分担]
同じ成長期間でも人間以外の万物と人間とは違いがある。統一原理によれば万物は原理自体の主管性、又は自律性により、成長期間を経過することにより完成するとある。難しい言葉の様であるが、要はほっといても自然に完成していくということだ。
しかし人間の場合、神様は人間だけに原理自体の主管性又は自律性に加えて責任分担というものを与えられた。分かりやすく数字で例えるならば神様は95%(原理の力)やって下さるが人間が完成する為に少しの5%は人間の責任分担として残された。これが聖書に記されている、エデンの園にある物をどの木からも自由に取って食べて良いが園の中央にある善悪の木の実を取って食べてはならない、食べるときっと死ぬであろうという戒めである。
この5%の人間の責任分担というのがとても重要な意味を持つ。今まで私達は神様がいるのなら何故、この世に不幸があり、戦争があり、不平等があり、犯罪があり、人間が不幸なのかわからなかった。神様の創造理想の完成は神様の責任分担と人間の責任分担の完成が合わさってなされる、しかし人類始祖アダムとエバが戒めを守れず罪を犯した。神様は人類の救いの為救い主を遣わされた、しかし人々は彼を信じず十字架につけてしまった。この様に今日まで不幸の原因は人間の責任分担が果たせていなかった事に起因する。
(善悪を知るの木の実を取って食べた事は何を比喩しているのか堕落論で述べる)
【なぜ神様は人間のみに責任分担を与えられたのか]
①たとえ人間の責任分担が5%と小さなものであっても、神様の創造理想の完成に人間が加担することによって、神様の創造性を人間にも付与されようとした。丁度子供の夏休みの宿題を親が大部分助けたとしても、子供も努力したという条件で親は100%子供の成果にしてあげる様なもの。
②人間が5%の責任分担を果たすことにより、自律性(原理の力)のみで完成した万物を神様に代わって主管させようとされた。
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