この世とあの世➖霊界の父からのメッセージ
私の父は1975年10月に60歳で亡くなった。当時私は海外宣教でシンガポールにいた。1975年6月に宣教地シンガポールに着いてまだ4ヶ月しか経っていないのに父危篤という連絡を受けた。直ぐに帰国の途に着いたが間に合わず、実家にたどり着いたのは葬式の日だった。私が海外宣教に殉教の覚悟で行ったので、私が生きて宣教に使命を果たす為、私の身代わりになって最愛の父が犠牲となり亡くなったのだと感じた。
父の死因は交通事故だった。バイクに乗って私の妻に贈り物を届ける為最寄の駅に行く途中だった。細い道をから国道に出る、出会い頭で右から猛スピードで走ってきた自動車にはねられた。私達は1975年2月に結婚したばかりだった。直ぐに籍は入れたものの海外宣教での命を受け、現地にまだ基盤も何も無いゼロからの開拓だった為、私が先に現地に単身で行き、現地に基盤がだきたら妻を呼ぶ予定だった。1人日本に残った新婚の妻に父は駅から贈り物を送る途中に起きた事故だった。飲酒運転で事故を起こした人は事もあろうに、父の教え子だった。戦時中、父は代用教員として尋常小学校で漢文と農業を教えていた。父が教員だった期間に生まれたのが三男の私だ。父は漢文を教えていたので私の名前は儒学者王陽明が解いた陽明学「知行合一」から知行と命名された。父が怒ったのを一度も見たこともないくらい優しい父であった。世話好きで何組もの若い人達の仲人をしていた、又話好きだった。
父が亡くなってどの位の期間が経ったであろうか、私達は父が霊界に行ったが、どんな所に行ったのだろうか。霊界ってどんなところだろう、父はどんな生活をあちらでしているのだろうかとても気になった。そこで教会の全国の壮年部長をやっておられる方が祈れば霊界に通じると聞いていたので、その方にお願いして父は霊界に行って今どうしているのか尋ねてみた。その方は私達の願いを聞いて三日三晩お祈りして下さった。すると3日目に父がその方に現れて、事故が起こってから霊界に行くまでの様子を父は詳しく語ってくれたという。そして父が語った全ての内容を手紙に書いて教えて下さった。以下はその手紙の要旨である。
事故に遭って私(父)は直ぐに病院に運ばれた。3日位病院にいた、病院には子供や嫁達が駆けつけてくれた。ところが突然皆んながベットに寝ている私を囲んで泣き出した。あれ、どうしたんだろう、私(父)は死んだのかなと思った。早く家に帰りたいと思った。私は家に運ばれて葬式の準備が始められた。葬式には私の親族をはじめ、沢山の人が参列してくれた。私は懐かしいあの人の顔、この人の顔、一人一人に声をかけるが返事がない。葬儀が終わって火葬場に担いで運ばれる事になった。私は棺桶の上にちょこんと座って揺れに揺られて火葬場まで皆んなに担がれて運ばれていった。火葬場は大きな木がたくさん積まれてその上に棺桶が置かれた。火をつけて燃やされる時、私(父)は私の永遠の住家である肉体から離れて行った。
そして私は見知らぬ広い広いところに行った。ここは一体どこだろうと彷徨っていると遠くから私の名前を叫ぶ声が聞こえてきた、小さい声が近づいて段々大きくなった。何とその人はじい様(私の祖父)だった。じい様は「良くここ(霊界)に来たのう」と歓迎してくれた。「私が案内するから何も心配はいらない」とじい様は言ってくれた。じい様に連れられてしばらく行くと門があって、そこには門番が立っていた。門番は私(父)に「お前は地上で何をして来たか」などと問い詰められた。するとじい様が門番に向かって「黙れ、この方は誰か知っているか、この方の息子は地上で再臨のメシア(救世主)として来られた人類の真の父母に絶対的に侍り、祝福を受けている、その人の父親であるぞ」と言うと門番は「は、はあ、分かりました、どうぞお通り下さい」と言って第一の門をくぐった。そして今度はもう少し高い所に行くとまた門番がいて、門番からお前は地上でどの様な生活をして来たかなどの質問を受けた。するとまた、じい様が門番に向かって黙れと言って祝福家庭の父であると証てくれて第二の門を無事通過して行った。何度か同じ様な事を繰り返して段々と高い霊界に連れて行ってもらった。低い霊界程、悲惨な姿で暮らしており、自分は思っても見なかった素晴らしい高い霊界に連れて行って貰った。私は案内されて連れて行って貰った素晴らしい所で周りの人に地上でどんな事をしていたのか聞いてみると「霊界を信じて、人の為に生きて来た」と言う人が集まっていた。霊界は各層に分かれており、類は類を呼ぶと言われる様に地上での行いによって同じ様な人が集まって暮らしていた。
地上では息子の事を理解もせず反対したこともあった。しかし今はっきりと分かった息子達のお陰でこの様な素晴らしい所に連れて来て貰った。ああ喉が渇いた、地上では水や食べ物が命である様にこちらでは神様の御言葉と愛が命である。私の息子達が父親は亡くなってどこに行ったか心配しているが、息子達に伝えて欲しい、「鏡の前に立って自分の姿を眺める時に鏡の中に映っているその姿の中に私はいつもいる」と。
お父さんの眼鏡の中から涙が溢れて光っていた。そしてお父さんは消えて行ったと手紙の中に綴られていた。
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