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2021年以来、僕はコロナワクチンについて何を語ってきたか

4年前の今日、つまり2020年の4月7日に、日本で初めて感染症の流行に対する「緊急事態宣言」が出た。もちろん新型コロナウィルスをめぐるもので、当時の首相は安倍晋三氏(故人)。最初は7つの都府県に限られていたが、同月16日に全国に拡大され、翌月まで続いた。

おそらくこのとき、僕たちの社会は決定的に壊れた。今日に至るまで元の場所に戻れず、もがいているのが現状だと思う。

同時期に世界の諸国が行ったロックダウンと異なり、日本の緊急事態宣言は、法的な意味での強制力は弱かった。しかしそのことがかえって、法に則らない手段も含めて「いま最優先の課題のためなら、どんな手段でなにをやってもいい」とする風潮を蔓延させた。

為政者が「カネを配ってやるから私を支持しろ」と半ば公言し、実際に配る。マスメディアは他人の生業や習慣を「不要不急だ」と侮辱し、便乗して「もともと要らないから潰そう」とお愛想を言う有識者が現われ、ネットでは見ず知らずの「正しくない」相手を集団でリンチする行為が正義のように持てはやされる。

そんな蟻地獄に一度はまると、いつまでも出られない。

なにかがおかしいと気づいても、政治家は「それならもっとカネ!」と叫ぶばかりだ。どうやら間違えたぞと思っても、学者たちは口をつぐんで言い逃げするだけ。TVはフィーチャーする「正義」の内容をすり替え、メンツは変われど「専門家」のご託宣を批判意識なく垂れ流し、論壇誌は「僕らは悪くないもん」と言い訳する場を与えて甘やかす。犯罪を仄めかして異論の出版を妨害する例さえ生じても、同業者のくせに見て見ぬふりだ。

しかしそんな誤魔化しは、いつまでも続かない。誤った「正しさ」に傷つけられた人の存在は、いかに隠蔽を図ろうがゼロにはできない。

こうしていま、裁かれつつある「かつての『正しさ』」の象徴が、コロナワクチンだ。前にも予告したとおり、後世の評価に供するために、時系列に沿って僕の発言歴を以下、抜粋の形で並べておこう(長文のため考察等は後日、別の記事を立てます)。

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2020.12
 ファイザー社が日本国内で最初の承認申請

2021.2
 ファイザー社製ワクチンを承認、先行接種開始
2021.5
 モデルナ社・アストラゼネカ社のワクチン承認
 東京・大阪等で大規模接種センターが稼働開始

2021.6 拙著『歴史なき時代に

従来は新型コロナの影響が軽微だったアジアでも、21年3月にインドで大規模な感染爆発が起き注目された。同地に固有な要因(巨大な宗教祭礼など)も多く即断できないが、もし①変異株の特性か②ワクチン接種拡大の意図せざる副産物が主因であった場合は、今後、日本にも影響があり得る。

263頁
強調は今回附しました

2021.6.24 現代ビジネス

 ワクチンの力で感染者数を激減させ、各国に「出口戦略」を示したかに見えたイギリスは、いわゆるインド型変異株による再度の感染者増を受けて(ただし、死者数には顕著な増加なし)、6月21日に予定していたロックダウンの解除を見送った。
 「変異株の脅威」にせよ「ワクチンの有効性」にせよ、誇張された報道が目立った経緯もあり、妥当な全体像をつかむのは難しい。

2021.7-8
 ほぼ無観客の形式で東京オリンピック開催

2021.8.26 考える人

「今回の新しいワクチンのメカニズムについて、科学的に理解している人はごく一握りでしょう。むしろ圧倒的多数は単なる「通過儀礼」として接種していて、「厳しい副反応に私は耐えた! だから私はコロナ克服に協力するよき市民であり、日常に戻る資格を得た!」みたいになっている(笑)。」

「もはや科学じゃなくて、コロナワクチンが「呪術」のアイテムになっているんじゃないでしょうか(笑)。みんなが打つ「前と後」では違うんだと、そういう形で一線を引かないと、社会全体が日常に戻れなくなっています。」

磯野真穂氏との対談
イベントの実施は前月

2021.11
 2回目接種率で、日本がG7のトップに
2021.12
 3回目接種が医療従事者から順次開始

2022.2 『文藝春秋』(3月号)

「第一波以降、日本人は「いやいや。ワクチンが普及するまで『持ちこたえる』ための自粛だったんだ」とする物語に、無自覚に飛びついた気がします。だから人流抑制の効果や、ワクチンの安全性を少しでも疑う人は、不愉快なので非国民扱いして排除する。」

「ひたすら耐えて「ワクチンの完全普及を待つ」心性も、大戦末期の神風頼みと同じ。そして海外からはむしろ複数回接種・未成年の接種への懸念が聞こえてきたいまも、なおワクチンに固執する。正直コロナより、この国民性が怖いですよ。」

浜崎洋介氏との対談
203-4頁

2022.5 拙著『過剰可視化社会

個人の自由という観点に立つとき、ワクチン・パスポート(接種証明書の提示による、活動制限の緩和や特典の付与)や、PCR検査の徹底は、問題含みの政策です。ワクチンを接種しない理由には、体質によるものはむろん、思想・宗教上の理由による場合もあり、接種したか否かを公的な場で問うことは病気の告白の強要や、事実上の「思想チェック」になる危険性もある。

「コロナワクチンを普及させる際、本来あるべき態度は「打っても打たなくても、あなたが責められることはないですよ」という説き方だったと思うのです。打てば副作用・打たなければ感染のリスクがある以上、確かに自ら選ぶことには苦しさが伴う。
 こうしたときに、どちらを選んでも責められない状況をつくっていくのが、「信頼」に基づいて社会を営む方法でしょう。「専門家が打てと言ってる。従わないとひどい目をみるぞ!」と不安を煽る手法は、完全にその逆です。」

11、211-2頁
後者は磯野真穂氏との対談

2022.7
 接種後死亡者に初の救済認定(一時金支給)

2022.12 『表現者クライテリオン』(1月号)

 教条的に反ワクチンに固執する集団はカルトと呼んで差し支えないが、急造されたコロナワクチンに「副作用はない」「打ち続けることで救われる」といった主張もまた、人が危機の中ですがりつく代替宗教にすぎなかったことが露わになり始めた。ワクチンの追加接種率の向上と相関して(コロナ以外の死因による)超過死亡がむしろ増大する現象が日本を含む諸国で観察され、ニュージーランドでは学術的な検証も始まっているという 。
 接種は基礎的な免疫にマイナスではなかったかと問う「合理的な疑い」が広まってしまった以上、コロナワクチンへの信頼はもはや社会の全体が合意するものではなく、遠からず一人ひとりの「信仰」に等しいものへと凋落しよう。

後に『危機のいま古典をよむ』に再録
同書17頁

2023.3
 接種と死亡の「因果関係」を初めて認定
2023.5
 「5類移行」に伴い日本のコロナ禍終了

年表的な事項は、主にNHKのワクチン報道まとめを参照しました。

(ヘッダー写真は、若年層に3回目接種を促す2022年5月の政府広報動画での岸田文雄首相。なお、ワクチンに感染自体を防ぐ効果は乏しいとする指摘は、すでに前年には世界で広くなされていた)

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