
#よんなな朝の歌 ’24.5③
自分が好む楽曲に特定のジャンルはないが、総じてヒューマニティーが溢れる楽曲が好きだと感じることが多い。とはいえ自分がどこにそれを感じるかの違いではあり、最後には「自分がどう感じるの?」という世界のこと。それが感受性であり琴線であり、自らを形作るものとも言えるだろうけれども。
努力とは総てが報われるものではないが報われるために「何をしたか」で価値を見出すものである、と思う。市民マラソンを何度も走った経験から言えば、閉会式が始まる中でヨタヨタとゴールにたどり着く気持ちはまさに「努力とは」と考えさせられる。報われない努力を嗤うことはできないが、その報われなさは自分の心にぎゅっと刺さる。その走後感は爆風スランプの「Runner」のそれではなく、Tシャツに纏わりついた汗のようにじっとりとぐったりとしたもの、なのだ。
そういう意味ではポジティブや希望というより、内省的な感情に響く言葉にヒューマニティーを感じる傾向が強いのだと自覚する部分がある。佐藤竹善「夢みたものは」のサビにある「憎しみも慈しみも君のその目で/誰の手も触れない君の奥が囁く」の言葉は、多感な時期に何度も繰り返し聞き返していた。Sing Like Talkingでの楽曲は前向きさに帰結する内容が多かったのだが、この曲が収録された佐藤のソロアルバム「FACT OF LIFE」はその逆の世界を描くように「人生ってそういうものだよね」と諦めや理解を示す作風の楽曲が集められていた。
「諦め」と「理解」。このふたつの感情を合わせて「折り合い」という言葉に繋がっていく。これが難しいのだけれど、事実に対して折り合いをつけるという行動が大事であること、その折り合いの中からより良き答えを見つけていくことができること。これらを上手に回していくことこそが人生の妙味であること。諦めの境地で片づけたくなるところを踏みとどまるから見えるものがある。
2024.5.13 いいくぼさおり「市民マラソン」
おはよんなな。走りたいという気持ちがふっと湧いて、久しぶりにマラソンシューズに足を通す。マラソンって人生のようだ、順風満帆じゃなくても誰かに遅れを取ろうとも、前向いて走るしかない。だからドラマがあるんだよ。
午前7:15 · 2024年5月13日
2024.5.14 MAIA HIRASAWA「Boom!」
おはよんなな。実は昨日から「うっかり私が泣いちゃう曲」をチョイス。この曲は涙を流しながら元気が出る感じ、腹の底から頑張ろうかと思う時に聞いていたりね。車通勤だから人知れず涙流しても、誰も見ていませんからね(笑)。
午前8:14 · 2024年5月14日
2024.5.15 爆風スランプ「Runner」
おはよんなな。最近走ったりジムに行ったりしてるのがあるんですけども、流れる汗もそのままの感覚というのがちょっと心地よくなったり。僕は何にいつかたどり着けるのかな?なんとなくそんな日を目指してる。今日も頑張っていこ。
午前8:13 · 2024年5月15日
2024.5.16 鈴木雅之「もう涙はいらない」
おはよんなな。泣かないでいいからねと優しい言葉をかけられると、逆説的に涙が止まらないこともある。心理的安定性というのだろうか、どこかで心が安らぐ時…そこで本当の愛を改めて確認するのだろう。だから…泣かないで。
午前8:07 · 2024年5月16日
2024.5.17 Bank Band「緑の街」
おはよんなな。この歌を一途な思いで聞き入ってみる。フラットな言葉だからこそ際立っている真っ直ぐさを思うと、不思議とこみ上げるものがある。いつかきっと会えるその日まで、ただそこで待ってるから、いつまでも待っているから。
午前7:56 · 2024年5月17日
2024.5.18 ポセイドン・石川「ありがとう」
おはよんななの時間もとうに過ぎて。ありがとうの言葉を伝えたい、でもなかなか伝えるのも機会がないとね。なんかね、原曲で素直にすりゃいいのに、わざとカバー曲持ってくるような今日の選曲みたいにさ。素直じゃないの。
午後2:14 · 2024年5月18日
2024.5.19 佐藤竹善「夢みたものは」
おはよんなな。憎しみも慈しみも最後はフラットな気持ちになれるならば、それがいちばん美しいものだと思う。叶わないから憧れる、憧れるから叶うよう願う。どちらに転ぶも自分次第。邂逅と別れの繰り返しに触れる度に立ち戻る。
午前10:15 · 2024年5月19日