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よん、のこと①

私は2人いる。
1人は明るくて前向きで楽しい私。
もう1人は昔のままですべてに怯えていて悲しい私。
みんなそうだと思う。みんな相反する2人(或いはもっと多くの)の自分がいると思う。
普通に生きられる人とそうじゃない人との違いは、
その2人が仲良くできるかどうかなんじゃないかな。

楽しい私が笑うとき、悲しい私は「今が楽しくても過去は変わらない」とつぶやく。
楽しい私がうれしいとき、悲しい私は「うれしくても過去は変わらない」ってささやく。

小学校に入る前からいじめられてた。
ある子の誕生日パーティーに行ったら「帰れ」コールされた。
その子は地域のボス的な存在だったからあることないこと言いふらされて、どんどん孤立した。
その子が言った「今度遊びに入れてあげる。来る?」
「行くけど、」
「行くけど、何?」
行くけど、もういじめないで。とは言えなかった。
行くけど、もう帰れなんて言わないで、なんて言えなかった。

小学校から下校するとき、前を歩いていた子が振り返っていった。
「もうお前、明日から学校来るなよー。
 来たら殺すからなー」

落としてしまった物を拾ってあげると
「汚い。消毒消毒。」と言って、
インフルエンザ予防に各クラスに置いてあった消毒液で拾った物を消毒された。

家では物心ついたときから夜中に父と母が喧嘩していた。
その声で何度も起こされた。
父が何度も「じゃあ死ぬからいいよ」と怒鳴っていた。
母の機嫌を損ねて怒鳴られて何が悪いのかもわからず何度も謝った。
関係ないはずの祖母にも兄にも謝りに行かされた。
泣いて謝った。みんな、いいよ、と言ってくれたけど許された気がしなかった。

私は汚くて、いるだけで他人が不快になる存在。
何度謝っても、私の罪は消えない。
汚れているから、他人を不快にさせてしまうから。
存在が罪だから。死ぬことでしか償えないから。

中1の秋、初めて腕を切った。
普段は紙を切るカッターを握りしめて、自分でやってることなのに怖くて体が震えた。うすい跡がついた。
3学期の初めにやる体力測定の時には左腕、左の二の腕、右腕、右の太ももにまで傷が及んでいた。
今はすごい傷つけるじゃん(笑)って思うけどその時はその酷さも、「いけないこと」なのもわかっていなかった。
持久走で半袖になって走ってしまって(それがルールだった)(仮病とかで回避すればよかった)先生に気づかれた。
授業が終わって先生が近づいてきたときになぜか気づかれたのだとわかって泣きながら後ずさりした。
先生はたくさん話を聞いてくれた。
やめろも言わなかった。傷を見せろも言わなかった。
ただ、担任や養護教諭に伝えるときに間違いがあったら困るから、と私が話す内容をメモにとってもいいか聞いてきた。
広い部屋で、先生は座っているのに私は立ったまま、それもかなりの距離をあけて泣きながら話した。何を話したのかは覚えていない。
どうして、傷つけていたのか、
どうして半袖になってしまったのか、
どうして先生の前に座ることができなかったのか、わからない。

母には三者面談でこのことが伝えられた。
たまに切ってないか聞かれるだけで環境を改善しようとか、そういうのは全くなかった。

それから、先生からの私の扱いは変わった。
授業を休んでもいいことになったし、
学活みたいな、勉強する授業じゃないときは保健室でワークシートを書いて過ごした。
「今学期がんばったこと」「2年生でがんばりたいこと」
「自分の得意なこと」「自分の苦手なこと」
何も書けずに終わった。

2年生になったら変な先生が入ってきた。
その人は担任(くそ担)と話していると私の顔を覗き込んできた。
なんだこいつ、と思った。
第一印象は変な人、だったけど結局中学校生活で一番好きだった人(今も好き)はこの人だった。
この1年は本当にくそだった。
何から書こうかわからないくらい。
大人の理不尽さを知った。でもこんなの、小学校やその前と比べたら何にも苦じゃなかった。

3年は親との関係がすごく悪かった。
殺そうかとも思った。
でも担任や変な先生のおかげで生きていた。

高校に入ったらいい意味でもそうじゃない意味でもすべてが変わった。
「普通の」「ただの」「平凡な」高校生になった。
普通になった。あんなに休んでいた授業も行けるようになった。
教室にいても胸は苦しくならなかった。
友達といろんなところに行けた。
1人で出かけられるようになった。
満たされた気分になった。
受験勉強も順調だった。

なのに、もう1人の、悲しい自分が騒ぎ出した。


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