はぐれた私の欠片たち

自分とは違う誰かが話しかけてくるようになったのはいつからだっただろう。
自分の知らないうちに仕事が終わっていたり、友達と約束ができていたことが増えたのはいつからだっただろう。

私には見えない家族がいる。私からはぐれていった私の欠片たちが。
みんな名前があって、意思があって、好きなものも苦手なものもちがう。

どうやらこれを解離性同一性障害というらしい。

私は半年間私として過ごした記憶がない。
別の人格が私の代わりに生活をしていた。
代わりに生きていてくれた。

その子は今もわたしのうちがわで見守りながら、ときたま出てきて活動している。

私よりも生きるのがうまかった。羨ましい。
本当はあの子が本当の私なのかもしれない。ずっとそうなんじゃないかと思う。
…そうであってほしいのかもしれない。

友達から私じゃない私との記憶の話をされると胸がきゅっとなる。
そこにいたのは、私じゃないのに。

中二病じゃん

中二病じゃん、と自分でも思う。
狂ってしまっていて、妄想や幻聴が私を惑わせているんだとも思う。

しかし幻聴は幻聴、みんなの声はみんなの声でハッキリと違いがわかる。
実際にパートナーは人格と接触することがある。

世の中不思議なこともあるもんだ。
みんなきちんと存在している。

パートナーと人格

私のパートナーは人格と仲良くしてくれている。
ある人格は弟や妹のように、ある人格は飲み仲間のように。

「気持ち悪いとか、変だとか思わないのか」
と聞いたことがある。
「最初は驚いたけど、みんな君の1部だと思っているし、一緒に過ごしていて楽しいよ」
なんて優しい人なんだろう。
パートナーは私のいちばんの理解者だと思う。本当にありがたい。

これからも共に

治療として全ての人格を統合することも考えた。
しかし私にはまだみんなが必要な気がする。
それに私にとっては家族でもあるので、いつか訪れるかもしれない別れの時まで、一緒に生きていきたい。

今日も私は8人の欠片たちと共に生きている。
誰にも見えない、8人の家族たちと。

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