見出し画像

ドン・ドレイパーの孤独

とうの昔にシーズン・フィナーレを迎えて終了している海外ドラマがあるのだが、5年ぶりにつづきをやっと観始めている。あまりにも好きだったので、終わってしまうことに耐えられなかったのだ。もうひとつは物理的な理由だが、契約していたCSだったかスカパーだったかを解約したタイミングから観られなくなっていた。でも、それでいいやと思っていたのだ。最終回を観なければ、このドラマの物語は永遠につづいているような気持ちでいたかったからだ。「Mad Men」だ。

1960年代のアメリカ、NYの広告業界に身を置く主人公と周辺の人々の群像劇…といってしまうと非常にチープなのだが、鑑賞体験は「カルチャーを生きる」という感覚だった。後ろ暗い過去を持つ主人公のドン・ドレイパーはその過去をもってしても余りあるクズぶりと同時に、才能あふれるクリエイター、傷を負った者特有の刹那に生きるきらめきが峻烈だ。最近、やっとこの物語と再び邂逅を果たし、大切に少しずつ続きから鑑賞しているが間もなく残り数話というところまできてまた先に進むのを逡巡している。

画像1

ドンだけでなく、登場人物はおしなべてみな魅力的だ。否、劇中でフォーカスされない限り、おそらくみんな市井の人であり、ふつうの人々であろう。普通の人々にこそドラマがあることを教えてくれる。このドラマを観ていると、わたしの中のさまざまな部分が刺激されてしまって困るのだ。たとえばダークな部分、影の部分。女としての部分。仕事をする者としての部分。そして、これは非常に驚いたのだが物語をつくる欲求にすら火をつけられてしまったこと。「自分もこんな物語をつくってみたい」と思わされる。

この時代、男はより男らしく、女はより女らしくがまかり通った時代、女性にさまざまな権利や主張も認められ始めてはいるが、逆に今だからこそそれらのなんと艶やかで美しいことか。格好の良い男たちが着るダークスーツの見事な着こなし、カジュアルダウンしたブレザールックの粋。女たちは惜しげもなく長い脚を誰もがむきだしに、どこまでも高く盛り上げたボリュームヘアがまぶしい。

主人公のドンは、自らのスカスカな内側の部分を埋めたくて女を抱く。スカスカなのには暗い理由があるが、それをひた隠しに生きなくてはならないことが彼の苦悩の原因だ。いっときの渇きを埋めるように女を抱いても彼の心に永久の平穏は訪れない。女たちはそれを知りながら自分であればそのうつろな部分を埋め合わせられると信じて寄り添うが、彼自身の問題だからこそ他者が解決することなどできない。かと思えば、ドンが本気になるアバンチュールの相手たちは、逆にアバンチュールから踏み越えてこようとするドンを拒絶する。

「オールドファッションド」。ドンが好むカクテルだ。

ドラマを観終わってしまっても、彼がまだ生きている別の世界があると信じたい。

いいなと思ったら応援しよう!