「Mad Men 」marathon
金曜日、23:59。やっと仕事が終わった。一昨日は徹夜でいまだダメージの色濃いなか、なんでこんなところに書き記すために余力を使い果たそうとしているのかというと、やっと『Mad Men』をすべて観終えたからだ。ドン・ドレイパーの孤独と憂鬱がとうとう終了したことを、こんなにじわじわと胸打たれるとは予想もしなかった。Photo: Justina Mintz/AMC
注)筋書を追うつもりはないのでネタバレにならないとは思うが、気になる人は読まないでください。
仕立ての良いダークスーツに身を包み、欲しいものはすべて手に入る金とパワーと男としての魅力に満ち溢れる主人公ドン・ドレイパーであるが、真実の自分と引き換えに手にした他人の人生からつかんだ勝利に、自分自身が深く苦しんでいる。その苦しみや空虚さを埋めるようにして女を抱き、酒におぼれ、頭が明晰である状態を恐れるかのように退廃に身を委ねて生きる都会の男。たいていの場合がそうであるが、成功を手にした美しい男が、自我に苦しみ荒れる姿は他人の目には大層悪魔的魅力に満ちているものだ。なぜならそれが刹那のきらめきに過ぎないから。永遠が約束されないのだ、ドンの借り物の人生では。
最終シーズンで、いよいよドンはこれまでのツケを払わされる。他人からではない。真実の自己からだ。それにしてもドンという男は、いつも気まぐれに会社を抜け出すので、一緒に仕事をしたら大嫌いになりそうな充てにならんやつなのだが、天才的なクリエイターであるため、いつもしぶしぶ周囲が受け入れざるを得なくなる。今回もドンは自分勝手に会社を会議中に去り、そのまま放浪のような逃亡のような生活を送るのだが、さながらロードムービーのようであり、物語がどんどんと彼自身の生き方の是非を迫られてきている予感でいっぱいだ。
いつもスキのない着こなしでスーツをまとう彼が、タンガリーシャツなどのごくカジュアルなスタイルで完全に人生のオフタイムなのも新鮮だった。終盤、今ではほぼ唯一の『秘密を深く共有する仮の身内』が、彼女自身のまだ短い半生への深い後悔に打ちひしがれたとき、ドンが自らの実体験から「過去は捨てればいい。生き直せる」と訴えかけると彼女は「あなたは間違っている」と言い捨てて彼の前から去る。
「MADMEN」を見ていると、どの登場人物もその都度その都度いろんな方針転換をしながらしなやかに生き続けている。ドンの言うことは一部では真理であり、いつだって生き直すことはできるのだとわかる。けれども、今というのが過去の積み重ねによって誕生していることから、突如まったく新しく生き直すことが物理的には難しい。それに、いくら他人をだますほど上手な演技力で他人の人生を生きてみても、根本は別の人間を演じているわけなので当の本人が変わっていなければ結局それはうまい芝居にしか過ぎない。問題は最初からずっと解決されることなくその場所にある。
このことにドンが直接対決するまでに、それにしても一体何人の女たちが泣いてきたことか。同時に、いったい何人の女たちが彼のもとから去っただろう。結局、女たちの方が自らの人生を生き切っている分タフなのだ。2番目の妻が去り、物語では最初の妻であるベティが末期がんであることがわかる。愛憎の果てに別れた妻であっても、かつて愛し家庭を築いた美しい女があと少しでこの世界から消えてしまうことは、ドンにとって自己との直接対決を促すのに一役買ったと思う。
終盤、ニューエイジ的な人たちのコミューンで、空の下瞑想をするドンの顔に、初めて安らいだ笑みが訪れる。彼はその後どうしたのだろう?
エンディングに流れた、失踪する前に彼が担当するはずであった「コカ・コーラ」のCFが流れる。それはまるで、安心できる境地にやっと立つことのできたドンが手がけた世界のようだった。この素晴らしいドラマをつくってくれたスタッフや俳優たちに本当に感謝したい。