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黄泉の道、グラスタワーの影

永田町の駅を紀尾井町方面の出口から地上へ出ると、道路の向こうにまるで小さな離れ小島のようにして銀座線から上った赤坂見附へと続く場所が見える。実際、地図で見たら両方とも同じエリアであることは間違いがないのに、「どこから地上に出るか」によってまるで異なる景色が目に映るのだ。

 赤坂見附のあたりは、昔からあまり親しくなれない気がしていた。あんなに何度も何度も通ったにしては実に不思議なことで、今ふと思い当たったのだが、ほとんどの街には駅の間近に通いなれた喫茶があるのだが、見附だけはそれが今に至るまでないためだと思った。珈琲をすするあの充足あるいは時間をわずかにつぶすだけのために、場所代として珈琲を注文し、喉に流し込んで慌てて出ていくなどの、大抵はいずれかの「時間の過ごし方」が、駅のそばの店にはあるものだ。それが、見附の場合にはないのだ。

 理由は簡単で、適当な店がないのだった。無論、物理的にないのではない。自分が腰をここに落ちつけよう、と思う店がない。強いて挙げるならば、赤坂エクセルホテル東急のカフェだけはそれでもよく使った。ちなみに、ホテルのカフェなので珈琲一杯で入って居座ったとしても、お代わりをずっとサーブしてくれるので、いつもお腹が腫れ上がるように感じたものだ。しかしそれも、昨年の夏の終わりにホテル自体が営業を終了し解体されることで終わった。結果としていまだに、見附に「ここ」という通いの店がない。

 それでも、そのよその街のような赤坂見附から溜池山王の方角に歩くことは、きらいではなかった。若いころ、ずっと営業職だったこともあり、1冊5キロもする自社の雑誌を最低でも3冊はカバンに入れて、ハイヒールシューズで歩く日々だった。あのころはなにもかもがうまくいかないように思えて、世界中でたったひとりぼっちのような心をいつも抱えてこの道を歩いた。とてもつらい人生の季節に、本当によくこの道を歩いた。プルデンシャルタワーの隣には、都市景観のなかにややユーモラスにすら映る山王日枝神社の鳥居がある。道路に面した日枝神社の大階段をのぼってお参りもよくした。昔は神社の境内に神鶏がいたと記憶している。

 日枝神社の鳥居が見えたらまもなく溜池山王の交差点がある。溜池までくると、馴染みの喫茶店はいくつかあった。だいたい、その前に赤坂を経由するのだが、赤坂には面白い喫茶店がいくつかあった。たとえば、ミュシャの複製を店中に飾っていた店がある。ケーキはチーズケーキしか置いていないのだが、さまざまなチーズでつくったチーズケーキで、忘れられないのはピンクペッパーをたくさんまとったものだ。口のなかで実が割れるととてもスパイシーで、濃厚なチーズと非常によくあった。それで、店としては本当は珈琲ではなくワインとケーキのマリアージュを推奨していて、メニューにもいつもワインがたくさん並んでいた。仕事中に立ち寄っているものだから、どうしてもワインを合わせることのできないうちに足が遠のき、いつのまにか店は閉店していた。

 溜池まで出たら正直なんでもいいのだ。なんせ通過点なのだから。ここから一気にアークヒルズまで歩く。アークヒルズの隣には全日空ホテルと呼んでいた、インターコンチネンタルホテルがある。ひと昔あるいはふた昔前までは、このホテルでも仕事の企画などよく催しがあったが今はどうなのだろう。けれどお目当てはいつも、アークヒルズの方で、今ななくなった「オーバカナル」があった。ここは場所柄、夜になるとどんどん外国人がやってきて「one for tha road」、帰る前の一杯を楽しんでいた。私はその大人びた場所に似つかわしくないことが重々わかっていたので、明るい灯りの下、楽し気に杯を重ねる彼らを遠巻きに盗みみていたっけ。いつも、年上の女性が私を連れ出しては「オーバカナル」のオープンエア席でシャンパンを飲んだ。
 目の前のサントリーホールで演奏が終わると、どっと人があふれ出してくるのを別の世界で起きているなにかとても異次元の素晴らしい人たち、そんな風に見ていた。

 赤坂見附からアークヒルズまで歩くと、あの頃のつらい季節を思い出す。けれどそれは、決して胸のいたくなる感傷ではない。突き抜けてさわやかな思い出として在り、時刻で変わる光の具合やそれを受けて輝くグラスタワーのビル群などの合間、隙間に、欠片のようにしてきらめいている。
 
 あんまり毎日のようには歩きたくない。けれどたまにこうして歩くことで追体験のような気持ちを味わうことは悪くない。そんなふうに思ったりした。

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