漂白欲求
海を見たい。体中が塩からくなるほどむきだしの風に洗われたら、内側に淀む滓すら浄化されるような気がする。どちらかといえば、穏やかに凪いだ海よりも、畏怖を感じるほどの猛々しい様子を延々と眺めていたい。波頭が砕ける度に身の内の細胞が分裂を促進させていき、轟く音の洪水のなかで精神がおのずひとつにまとめられていく…。ひとしきりその獰猛なる自然に抱かれたならば、いっそすっきりとして己の愚かさと小ささをも愛せるような気がする。だっていつも、そうしてきたのだ。
一番古い記憶は、まだ若く笑顔の瑞々しい両親が3歳にならんとする幼いわたしに太平洋の欠片を感じさせようとしていたものだ。父の胸という完ぺきな安全地帯から慎重にゆっくりと波打ち際に足を下ろされたわたしは、恐怖などまったく感じず、最初からそれに親しんだ。足元を高速で流れていく水の不思議に心を奪われていたのをよく覚えている。自分自身は動いていないのに、引き潮が自分をさらっていくように見せかけるのが不思議でたまらなかった。
足元の清冽な水の流れはいたって愛らしくそよぐようであるのに、生まれて初めて耳にする轟音の向こうには一面の海原が拡がり、空と水平線の境目こそあれど、世界は群青色だった。あの強烈な原体験が脳髄にしっかりと杭を下ろしている。
週末をいつも海で過ごしていたあの頃から、ずいぶんと遠く離れて今では年に数回いそいそと訪れることができればよいほうだ。ただ、心の内にはいつもそれを飢(かつ)える思いが在り、春先からこちらくだんの理由で機会を持てないでいるのでそろそろ滓の許容量が心配な気配だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?