前編:「ホブソンズ紀行」おばとの思い出
フフフ…30数年越しの憧れを果たしましたよ。西麻布交差点のホブソンズ。やっぱり「意識」を向けることから実現化する、というのは本当ですね。まあこのことに関しては、私が行くか行かないか自由な裁量がもとよりありましたけれど…。いずれにしても、先日ホブソンズのことを書き、気になって仕方なくなったことや、「どうして1度も立ち寄れないんだろう」と考えるようになってしまい、なにぶんほとんど毎日通り過ぎていることもあって行動に起こしてみたのでした。
結果。ホブソンズは信じられないくらいおいしいです。
ホブソンズ初訪問、この行動の契機となったおばのことを少し。
彼女はおばと言えど本当は大おばというのが真実。祖父の妹である。幼い頃から私はこの人にとても憧れていた。しかし、実業家であり、かつ生涯を独身で過ごしたこのおばは、子どもたちが普段一般的に受けている甘やかしと無縁の人であったので、私以外のきょうだいは皆付き合い方がわからずおそれいていた。いま自分が生涯独身という人生の選択をしたそれなりの齢の女となってから振り返ってみると、彼女の一見冷酷に見えたいろいろは、単純に「子どもとの接し方を知らない」だけに映る。
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私たち家族は当時、関東の片田舎に暮らす、団塊の世代を親に持ち新興住宅地で同じような年ごろの子どもたちの声がにぎわう町に住んでいた。おばはと言えば、本家を継いで青山の骨董通りに住んでいた。その頃よりも今、その異常さがわかる。異常というとアレだけど、あそこに持ち家で暮らしていられるというのは一般的ではない、ということを今はわかっている。戦後すぐにパリに留学をし美容の技術を身に着け、帰国すると美容室を開き、その頃のことをあまり知らないが都内に数店舗展開するまでに成長させていた。よく覚えているのは、お手伝いさんと二人暮らしであったこと。子どもながらに「お手伝いさんがいるなんて…!物語のようだ」と思っていた。
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私の情緒面に、この人が果たした影響は結構大きい。1年のことあるごとに、大小さまざまなイベント時に彼女から美しいカードが届いた。時折、外国のお菓子と共に。そうして、彼女の家に行くと同様に、世界中から彼女宛に送られてきたカードが飾ってある。私にはその習慣がとても粋なことに感じられた。イースターなんてなんのお祭りか知らなかったけれど、毎年このおばからカードとお菓子が届くので記憶するようになった。
彼女がくれる贈り物のうち、もっとも頻度が高かったのはベレー帽だ。淑女は帽子、という習慣の人だったので本人もいつも帽子を被っていた。そうして、おさがりを私にくれるのだが、帽子って習慣がないと似合わないし気恥ずかしくて、田舎娘はあまり使用しないで放置していた記憶。美しい柄の入った、さわるとその柔らかさに1日うっとりしてしまいそうなシフォンのスカーフもよく与えてくれた。これもまた、スカーフをうまくコーディネートにできる人間でもない私たちは、ほとんど観賞用になってしまった。
たまに、お作法を教えないとならない、と言って帝国ホテルに食事に連れていってくれたりしたが、そのときに私と姉はジーンズを履いていた。当時でも、ジーンズとジャケットのスタイルは有りとされていたので、気軽な会だと思い込んで登場するとおばは絶句。そのあと、ずっと機嫌が悪く母は電話で抑えた注意を受けたらしい。もし今の自分が同様の思いから、姪っ子たちが成長した頃にそんな会を催したとしたら、やっぱりそこはジーンズで来てほしくはないな、と思う。母よ…。
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彼女からはいつも、文化の薫りと粋な女性というスタイルが感じられた。小学校にあがる前から私はいつか、この人の暮らす東京で生きて、同じように素敵な女性になりたいと思うようになった。大学受験の頃は、彼女の家に泊まらせてもらってあちこちの大学受験会場に足を運んだ。そのときの話が傑作なのだが、あまりの緊張に私は夜間、目をさました際に時計を読み間違えた。朝の7時に起床の予定でいたが、深夜2時であったのに7時と見間違えて、せっせと布団をたたんで支度を始めると、まだ就寝しておらず自室にいたおばが飛び出してきた。
「あなた、何をしているの?」。抑えた声であったが、どちらかというと不審がっているというよりは怒っているようだった。今思えば、資産家のおばからしたら、私が何か漁っているように思ったのかもしれない(資産家に多いが、普段からあまり人を信用していなかった)。
「あ、もう起きる時間なので支度をしています!」と元気いっぱいに私が答えると、時計を指して彼女は言った。
「あなた…。まだ夜中の2時よ…。寝なさい。いいわね?」とため息をついた。私は自分の奇行にびっくりしつつ恥じ入って、すごすごともう一度布団を敷いてその後はぐっすりとよく眠った。
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面白かったのが翌日の朝だ。
おばは、私が大学受験前夜というのと、親元を離れてきた田舎娘ということなどからひどく緊張状態にあると判断したのだ。実際はなんてことはなく、いつものおっちょこちょいに過ぎなかったのだが…。お手伝いさんに「あなた、彼女を駅まで送ってちょうだいよ。こんなに緊張して、何が起きるかわからないわ」と言っていた。お手伝いさんは私のためにお弁当をつくってくれて、さらには行きと帰りに表参道の駅まで迎えにきてくれた。
この方も生涯独身でおばと暮らしていたが、私のことをとてもかわいがってくれた。
おっと、ホブソンズにまったくたどり着けないうちに2000文字を超えたので、これは前後編で書きましょう笑。
つづく