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おそらくもう二度とは

 ううう、やっと納得がついた。あきらめられる。髪のはなしだ。もう「ラスト・ロングヘア」作戦は終了なのだ…!

 現在肩下10センチ、2年ほど苦闘の末に獲得したわけだが、何度か書いてきたように「美しい髪は人工的に努力でつくる」という難題の域になって久しい。若い頃髪質で苦労したことがなかったのでこんなに大変な手間と手入れ、そして金が必要なのか…と遠い目になりながらも、おそらくこれで最後の機会となりそうだから、可能な限りやってみてロングヘアを目指そうとしてきたのだった。それが、今月に入って唐突に「あ、もういいや」となった。やるだけやったのと、美しい髪でない限り中年のロングヘアが痛々しいだけであるとわかった。その美しい髪でいるための膨大な労力をかけてまでロングを保ちたいという気持ちがまったくもって霧散したのだった。おそらく自分的に納得がいったのだ。

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 なにかを終わりにするには、あきらめるには、この「自分的に納得がいく」ということがものすごく重要だ。私がこれを最初に意識したのは11年前のがん罹患体験で、病気を受け止めていろんな治療法とその副作用や後遺症を調べるなか、どれを選んでも今と体は変わること、普通に享受していたからだではなくなることを知った。その場合、「どの後遺症なら受け入れられるか?」という選択肢を、あらゆる方法で調べ上げた。さらに主治医も何度もつかまえて文書を渡して質問攻めにした(うざかったと思う)。

 そして治療法を選択し、その結果想定していた後遺症が次々に顕れたのだが、それらすべてを受け止めることができた。あらかじめ想定できていたからだ。術後、片足が麻痺して動かなくなっても、「そういうこともあると知っていた。自分の場合、命を優先すると決めたから仕方ない」と明るくあきらめることができたのだった。幸い、半年ほどで足はほとんど元通りになったのだけど。

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 仕事にしたってなんだってそうだと思う。納得がいくこと。これが終わりの分岐点となる。だから、決断を前に迷いがある場合はまだ納得がいっていないのだから動くべきときではない。そんなときに動けばあとあと悔いの残る結果にしかならないのだ。経験上、そうしたことがわかるようになった。

 堅苦しい前置きになってしまったけれど、そういうわけで充分に「最後のロングヘア作戦」に私は納得がいってしまった。思い返すと小学校6年間はお尻のあたりまでの超ロングヘアをか細いみつあみにして過ごした。そこに私の意思など1ミリもなく、長い髪にすべしという父の意思と、みつあみでしか学校に行ってはならぬという母の意思による。性格が男まさりで粗忽だったので、長い髪を編んでいることでやや中和されていたように思う。

 中学校の部活がロングヘア禁止であったことを機に、中高はほぼショートヘアで過ごした。高2くらいから再び伸ばし始めると大学1年のころにはまたしても腰ほどのスーパーロングヘアになっていた。髪質に恵まれていて、洗いざらしでもまっすぐストレートでよく褒められた。だからいま改めて思う。いやでも髪質が変わって伸ばすことに胸がときめかなくなる年齢が誰しもくるのでね、若いお嬢さんたちは髪質に悩むことのないうちにシンプルなロングヘアを満喫すべしなのです!余計なお世話だけど。

 デミ・ムーアが還暦を迎えてもロングヘアにこだわっている理由には私のラスト作戦と端緒は同じくするが、彼女は初志貫徹だ。スーパーロングをサラッサラのツヤッツヤに保つのに大変な努力をしているだろうと想像する。

 でもね。

 デミ・ムーア、ショートカットがすっごくキュートだったんですよ…!


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