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セルジュのロリータ
いきがっていたときには理解ができなかった。ファッションとして身に着けようとしていたカルチャーはフィットしなかった。そういう代物ではないからだろう。セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンのことだ。
もうひとつの理由としては、自分の音楽の好みもあったと思う。同様に、ファッション感覚でいきがろうとして入り込んだ、ジャニス・ジョプリンとかは完全にフィットしたのだから。おそらく当時の自分に、アメリカ的なものとフランス的なものとでいえば、文化的に前者の方が好みだったんだろう。
そういえばボサノヴァが心地よく聞けるようになったのも、ここ数年のことだ。ああそういえばそういえば、考えてみるほどにフレンチカルチャーは「努力して相まみえる」みたいなところがかつてあったではないか。高校生の頃、これもまたいきがってゴダールの「気狂いピエロ」を観たとき、「はぁ?なんなのこの意味不明な映画は…!?」というのが正直な感想だった。ただ、「ゴダールを経験しておかねばならない」という強迫観念だけがあったので、何本か我慢して鑑賞したが、これによっておそらく決定的に自分のなかで「フランス映画は訳がわからないことがかっこいいのか」という結論になってしまったと思う。
その後、もっと年を取ってからはルイス・ブニュエルとか、クロード・ルルーシュとか、大変のめりこんだ監督作品も多くて、ゴダールとの相性なのかフレンチカルチャーとも歩みよりが大いにできてきてはいた。ああ、それにしても「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」ですよ。
セルジュとジェーンによるスキャンダラスな楽曲、という説明を抜きにして曲としてとてもいい。好きだこれ。あれ、動画を載せようと検索したらなんか映画がやるらしい!うそー、このタイミングで!なんかこれ観た気がするのだがリバイバルなのかな。とりあえず、目下とても気に入っている「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」をどうぞ。
ジェーンのフレンチロリータさく裂のウィスパーボイスと、和訳を見たらセルジュのドSさく裂な感じがすごく良い。本当は、セルジュがBバルドーとつきあっていたときにバルドーとデュエットした曲なのだが、当時のバルドーが夫君に遠慮してリリースできなかったのを後年、ジェーンと再録した。バルドーの意思あるフランス女の官能より、イギリス出身の「セルジュのロリータ」たるジェーンの方がなんだか非常に官能的である。
20歳でセルジュにひとめぼれしてしまったというジェーン、もはや伝説のカップルである。