「ふつうの系譜」展@府中市美術館
”奇想”ーー日本美術史のメインストリームが構築されたことによって零れ落ちた個性的な絵師をそう呼んで掬い上げたのは美術史家・辻惟雄氏だった。辻氏の著書『奇想の系譜』によって伊藤若冲、曽我蕭白といった絵師らが紹介されると、幻想的、グロテスク、奇怪、ユーモラス…様々な言葉で強烈な印象を見る者に与える”奇想”の絵師は、今や展覧会の目玉になる程、江戸絵画の人気絵師となった。
メインストリームからはみ出した者たちが持て囃され、人気だけを基準にするならばもはや彼らが主流と言ってもいい状態だ。そんな逆転現象に「逆らわずして勝つ」(by嘉納治五郎@いだてん)のスタンスで、一つの展覧会が生まれた。
その名も「ふつうの系譜」展。(展覧会特設サイト)
1.「ふつう」って??
芸術(美術作品)とは”他と異なる個性があるもの”という前提があるはずなのに、その美術作品に対して「ふつう」というタイトルをつける潔さ。「それ言っちゃっていいの??」とこちらがオロオロしてしまうが、ここ展覧会における「ふつう」とは、日本美術史の王道、つまり当時における主流(人気)の画風のことを指す。具体的には、土佐派、狩野派、そして江戸時代中期における円山四条派である。そうした作品を「奇想」という概念に対して、あえて「ふつう」と定義し、江戸絵画の世界の多様さを展観する。展覧会は敦賀市立博物館のコレクションを軸にしている。ここには若冲も蕭白もない。しかしだからこそ「ふつう」側に追いやられがちになってきた彼らの作品の魅力を浮かび上がらせる。
2.「ふつう」の良さってどこ?
豪華絢爛、ダイナミック、グロテスク、ユニーク、非現実的…”奇想”の絵師たちの強烈な画風は、〇〇と言えばこれ!というわかりやすい特徴があって、現代の我々の感性でも良さを見出しやすい。しかし一見「ふつう」に見える作品の良さってどこなのか。この展覧会の一番のテーマはここだ。
展覧会では、その準備運動として、まず”奇想”を代表して伝・岩佐又兵衛と曽我蕭白の作品を展示する。伝岩佐又兵衛「妖怪退治図屏風」(前期展示)はアクのある強烈な色彩と、又兵衛のたっぷりとした肉感のある人体表現で、”伝”がつくとはいえ”又兵衛らしさ”を感じさせるドラマティックな作品。蕭白の「騎驢人物図」(前期展示)はカメラ目線の従者の奇妙な顔が夢に出てきそうだ。例えるなら『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる小物感のある面倒くさい性格の敵キャラ(太字にするところではない)。
さて、準備運動としてこれから見る作品の対極を知ったところで、いよいよ「ふつう」の世界だ。まずは土佐派。「やまと絵」の第一人者として長らく宮廷の絵所預を務めてきた画派だ。宮廷文化や和歌の世界を優美な線と柔らかい色彩で描く。(展覧会では「まろ絵」と名付けられている。)若冲や蕭白などの絵に慣れてしまうと、土佐派の作品は薄味に感じるだろう。しかしその薄味は、調味料が足りないのではない。画題、受容者層の好みを反映した”求められている味”なのである。一見なんてことないように描いている中にも、四季の移ろい、和歌の世界に通じる情趣といったものを絵でもって表そうとする細やかな眼差しがあることを見落としてはいけないのだ。
続く「狩野派」。室町時代に、大和絵と中国画(漢画)を融合させて独自の画風を築いた狩野派は、その後幕府の御用絵師としての地位を確固とし、画壇の頂点に君臨し続ける。室町、桃山、江戸時代…それぞれの時代で作風は変化していくのも、各時代の世情、志向の変化に対応していたからと言える。画壇の頂点に立ち、集団制作を可能にするためのシステム(粉本主義)を確立したことは、言い換えれば狩野派を”ふつう”の側に立たせることになった。では”ふつう”側となった狩野派の特徴は何か。それは「ロジカルな端正さ」ではないだろうか。やまと絵も”端正”ではあるが、ロジカルという感じではない。整合性よりも絵の雰囲気重視。それに対して狩野派は、雰囲気よりも絵としての整合性をきちんと考えた上での構図や配置を練っている。そう感じさせる構築的な画面だ。その確かさ、堅固さが当時の武士たちにとって”かくあるべき”という理想や絵を通じての己の在り方を感じさせたのではないだろうか。
狩野派が主流となり、また絵画においては理想の世界を描くことが前提という考えの中で、西洋画などが入ってきたことにより”ありのままにリアルに描く”という発想が日本の美術の中に起きた。今となっては「ふつう」のことに感じるが、当時から言えば「革命」だろう。その第一人者が円山応挙であり、彼の画風は円山派と呼ばれた。後々に応挙の斜め上をいく表現をするさらに絵師が出てくるから”ふつう”に見えるだけで、それまでにない概念で描いているのだから、本来はこれこそ”イリュージョン”的で斬新なことであったに違いない。「紅葉白鹿図」(前期展示)、輪郭線を用いず毛並みを細かく描写することで体の立体感をも表現する点など、技術の高さがうかがえる。そして、応挙の作品で重要なのは技術を見せるための絵に陥らず、一つの作品としての情趣をきちんと備えている点である。
そして応挙の弟子で、その後与謝蕪村にも師事した呉春によって生まれた四条派は、円山派の写実性に、蕪村の俳画に通じる詩情ある画風が特徴だ。
3.「ふつう」…と見せかけて「ふつう」ではない?
土佐派も狩野派も円山四条派も、そもそも当時において最新だったり、一大画派となる程の支持を得ていた作風なので、そももそ”ふつう”ではないのだが、あえて”ふつう”という立場に立ってその魅力に改めて注目してきた。
展覧会では続いて、原在中(はら ざいちゅう)、岸駒(がん く)など、「ふつう」とも言えないけど「奇想」とも言い切れない、そんな作品も展示されている。個人的には岸駒「白蓮翡翠図」(前期展示)が圧巻の存在感で、この作品に出会っただけでも言った甲斐があったと思わせる一幅(もともと私が奇想好きなのもあるが)。画面いっぱいに描かれた蓮の葉。深みのある緑色に引き込まれ、なんだか蓮の葉の内側に飲み込まれてしまうのではという錯覚さえ起こしてしまう。「ふつうと奇想の間」というより「奇想」でしょ?と言いたくなる。
そして、明治時代以降、西洋の油絵がもたらされ、また新たな境地を切り開く必要に迫られた絵師たちの試みとその成果を、幸野楳嶺や谷口香嶠らの作品から見ていく。ここでは前期展示の一番最後を飾る鈴木松年「朝陽蟻軍金銀搬入図」がユニークだった。餌を運ぶ蟻の行列を戦で財宝を運ぶ兵士に見立てた作品だ。さりげなく描かれつつも歴史やそれまでの美術史をしっかりと押さえている。
ふつうの系譜ーー。一見なんてことないように見えるそれらの作品は、時代の求めるものは何か、自身の生み出すものはどんな物であるべきか、そうした問いに実直に向き合い、探求していく者の確かな歩みの連なりと言えるだろう。強烈な個性を放つ者がどうしたって目を引き、魅力的に映ってしまう。それ自体は悪いことではないし、そうした強烈な個性を持つ者の魅力はもちろんある。しかし、それが”美”の全てではない。そして一番大事なこと。この展覧会で出会った絵師たちは決して「ふつう」ではない。どう「ふつう」でないかを言葉にできた時、私たちは本当の意味で彼らの作品と出会えることができるだろう。
4.充実のワークショップ
展覧会もさることながら、誰でも体験することができるワークショップがとても面白かったので紹介したい。本展ではショップの横にワークショップブースがあり、2つのワークショップを楽しむことができる。
1.岸駒「猛虎図」で水墨画体験
岸駒「猛虎図」(後期展示)の塗り絵で、筆ペン(濃墨・薄墨)と水筆ペンの3本を使って、虎の模様を塗ってみようというワークショップ。手軽に水墨画体験ができる。墨の滲みと濃淡に翻弄される。改めて絵師たちの水墨画がいかに優れた技術でもって描かれているのかを実感。集中力と飽きない気持ち、大切。
2.スタンプで円山応挙「狗子図」&土佐光起「伊勢図」
円山応挙「狗子図」と土佐光起「伊勢図」の2種類があり、それぞれスタンプで眼と口を押せば作品が完成!というワークショップの中でも初級編のワークショップ。しかし、簡単と思って侮るなかれ。力強くギュッと押した結果、、、図らずも奇想過ぎる子が生まれてしまった。押しすぎ要注意。(記憶が上書きされてしまわないよう、絵葉書も購入。)
5.予習・復習に便利なチラシ&画家解説
私は展覧会を観終わった後に気づいたのだが、今回の展覧会のチラシがわかりやすいので、行く前の予習や観終わった後の備忘録として1枚持っておきたい。ちなみにPDFを美術館のHPで見ることも可能。
展覧会チラシPDF
また会場内では出品リストとともに画家解説もあるので、お初お目にかかる画家についても基本情報は押さえられます。(五十音順なのがちょっと残念。画派別の方が専門知識がない人でもわかりやすかったと思う。あと奇想の絵師は別にした方がよかったなぁ。)