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大阪城は五センチ《 最終話 》 【創作大賞2024】

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大音量でレゲエを聴かされながら、マカロニさんの運転で山道をのぼっていく。

待ち合わせをした奈良駅から車で十五分も走らないうちに、後部座席から見える風景はすっかりのどかなものになっていた。鳩が歩くときの首の動きでレゲエのリズムを刻む多部ちゃんが、繰り返されていた「ららら」と言うサビまで口ずさみ始めたので、相当機嫌がいいのだろうと思い嬉しくなる。三人で、マカロニさんの絵が保管されているアトリエに向かっている。

新築祝いとして、多部ちゃんに絵を贈ろうと思いついたのは、宇治と別れた日の帰り道だった。

最寄駅から商店街を抜け、アパートに続く道の両脇に建つ家々から入れかわり立ちかわり香る夕餉ゆうげのにおいを嗅ぐうちに、なぜかマカロニさんの家を思い出し、そこで食い入るように絵を見ていた多部ちゃんの姿を思い出した。喜んでくれるのではないかと思ったけれど、絵を選ぶセンスが自分にあるとは思えない。ネイバーベースはすでに解約していたけれど、その日のうちにマカロニさんに電話をかけて相談した。

買っても買わなくてもどちらでもいいので、多部ちゃんを連れてアトリエに見に来ないかと、マカロニさんは快く誘ってくれた。出社してからそのことを話すと「めっちゃうれしいです」と目を見開いて、多部ちゃんは握っていたボールペンをかちかちと鳴らした。マカロニさんの都合がつくのが三月最後の日曜日だったので、月末までを指折り数えて、こうして今日、ふたりで会いに来ているのだった。

山林をただ分け入るだけだった山道に、ふたたびぽつぽつと住宅が建ち始めたあたりで、アトリエが見えてきた。

一回の切り返しですんなりと駐車場に停め、マカロニさんがエンジンを切ると山の静けさが押し寄せた。外から見ると何の変哲もない、築年数の古そうな戸建ての中に入ってみると、一階部分の壁がすべてぶち抜かれている。

「攻めた家ですね」

面白がりながら、多部ちゃんと家を見回した。玄関上に位置する二階の和室は、床が抜かれて吹き抜けのようになっている。アトリエは、絵や造形を行う複数人で借りているのだと言う。家を改築する際にはマカロニさんも呼ばれ、手作業が可能な部分は自分たちで作り上げたのだと、レゲエの響き渡る車の中でマカロニさんは話していた。アトリエの家主自身も絵を描く人間らしく、来月のグループ展覧会は、家主も含めた四人で行うらしい。

「靴のままでいいよ、上がって」
「これ、ほんまに自分らでやりはったんですか」
「うんそう、壊してん」
「こんだけハチャメチャに壊して崩れへんのがすごい」 
「でも残さなあかん柱とかは、ちゃんと残ってるよ。業者の人に見てもらってん」
「ホームインスペクション、てやつですか?」
「ああそうそう。由鶴詳しいな、さいきん家でも買うたん?」
「いえ。あの、テレビで見て」
「それ、こないだやってたやつじゃないですか? わたしも見ました。あの住宅診断士渋かったですよね。ああ言う彫深い系の顔、めっちゃ好きなんです。立体的であればあるほど良し」
「ああそう。じゃああんたもトルコ行ってき。楽しいよぉ、きっと」

うっとりと言う多部ちゃんに笑いかけながら、手袋をはめたマカロニさんが箱から絵を取り出して並べ始めた。ノートほどの大きさのキャンバスに描かれているのは動物をモチーフにしたものが多く、どれも派手に色を放っている。絵の予算は事前にマカロニさんに伝えて、わたしに買える範囲のものを用意してもらっていた。

並べられた色とりどりの絵を前に、多部ちゃんが真剣に選びだす。右端の絵にピンク色のマレーバクが描かれていたので、気になって後ろから覗き込んでみたけれど、よく見たらゾウなのかもしれなかった。テーブルから離れて一階部分をぐるりとまわり、玄関に戻って吹き抜けを見上げてみる。二階の天井にぶら下げられたままの四角い照明器具を見つめながら、どれだけ変貌へんぼうさせても「家」を倒れさせない住宅診断士のことを思い、少し前に会った人のことを思い出す。

住宅診断を、ほんとうは半月前に受けたところだった。

今住んでいる町の、商店街のほうではなく山のほうに建つ中古の戸建てに、わたしと不動産屋と住宅診断士の三人で向かって、急な坂をふうふうのぼった。

坂の上の空き家は割安なんですよと不動産屋の親父が言い、坂の上は水害の心配もないし、昔からの土地は地盤もしっかりしてるから地震にも強いですと住宅診断士の若者が言った。住宅診断士の話す西の言葉の訛り方には、このあたりのものとは違う種類の温かさがあって、それがとても心地よかった。

のぼってきた道を、振り返って見渡した。

生まれ育った町と、いつの間にか同じだけの時間を過ごしたこの町で、自分の家を探してみようと思った。物件の検索対象を新築マンションから中古や戸建てに広げていく中で、まるで生家のような外観をしたサムネイル写真に目がとまり、ページを開いて詳細を見てみると、内観も驚くほど似通っていた。そのときは特に気に留めず、すぐにページを切り替えて他の物件を探し始めたのだけれど、翌日もその翌日も、この家のことが頭から離れなかった。

住んでみたいと思っているのだと、三日目になってようやく気づいた。

五百万円の高台の家は小ぢんまりとした二階建てで、自分が生まれたのと同じ年に建てられたものらしかった。不動産屋に内見希望の連絡をして、テレビで見たところだったので、ついでのように住宅診断も依頼した。半年前まで、人が住んでいた家だという。実際に足を踏み入れてみると、つくりは古いけれど清潔で、くすくすと肩をたたいてくるような明るい空気に満ちていた。

玄関の横にある陽当たりのいい小さな庭では、その日着ていたワンピースの柄と同じミモザが花をつけていた。

診断を待つあいだ、縁側に腰をかけて庭を眺めながら、ここでビールが飲みたいと思った。七輪を買って来て、季節のものを焼いて食べたら楽しそうだと思った。そのときは、家族も多部ちゃんも、全員まとめて呼びよせたい。縁側好きの父と母は、必ずここに腰をかけるだろう。兄からは酒を取り上げて、そのぶんコマちゃんに飲んでもらおう。ナオはきっとすぐに多部ちゃんに懐いて、自分の宝物を次々に見せびらかす。そんな光景を眺めながら、七輪でタケノコを焼きまくったら、幸せな気持ちになるだろうと思った。

胸が熱くなって思わず立ち上がると、住宅診断士がにこにこと頷きながら戻ってきた。

「しっかり建てられた家です。ちょうど建築法が改正されたころですけど、新しいほうの耐震基準が使われたみたいです。天井裏も床下も状態は良好ですし、気にされてたリフォームについても、建物の構造上しやすいと思います。いい家に出会いましたね」

住宅診断士の穏やかな口調が、よく知った人のものにそっくりだったので、「ありがとう」と感謝を伝える言葉に、特別に心がこもった。家の印象を訊いてきた不動産屋の親父に「好印象です。買います」とその場で言うと、庭とワンピースのミモザを両方揺らしながら、春風がはっきりと吹き抜けた。

「これがいい。わたしこの絵が好きです」

多部ちゃんが、紅潮こうちょうした顔で言う。さざめく水面みなもからうねり伸びているのが植物なのか動物の手足なのかは分からない。生命力たくましく絡み合う彩りの中央に、強いまなざしでこちらを見つめる動物がいる。

「ええやん。それは馬かな?」
「由鶴さん、馬見たこと無いんですか。これゴリラでしょ? ゴリラですよね?」
「マンドリルやで。気に入ってもらえてうれしいわ」
「多部ちゃん、ゴリラちゃうかったけどほんまにその絵でいいんか」
「いいんです。動物が何やったとしても、これが好きです。マカロニさんの絵、ほんますてきです。これから少しずつ揃えていきたいな」
「嬉しいねぇ。大きい絵もあるよ。高いよぉ」
「あのしゃれた北欧の部屋にこれ飾ったら目立つやろうな」
「多部ちゃん、ここに住所書いてくれる。絵は家のほうに送るから」

宅急便の伝票を渡して、マカロニさんが箱に絵をしまっていく。展覧会の準備で忙しくしていることは、車の中でのマカロニさんの話ぶりからもよく分かった。お茶を用意しようとしたマカロニさんを多部ちゃんとふたりでやんわりとめ、長居しないつもりで来た旨を伝えて、来月の展覧会に行くことを約束しつついとまを告げた。

マカロニさんの用事に合わせて、来たときとは違う駅まで車で送ってもらうと昼過ぎだった。

うっすらと汗ばむような春の陽気に、駅の階段をのぼりながら、羽織っていた薄手のコートを脱ぐ。今朝の天気予報で桜の開花宣言と共に京都御苑ぎょえんの映像が流れていたことを思い出し「このまま御所ごしょとか行かへん?」思いついて多部ちゃんを誘うと「いいですね」とすぐに返事がかえってきた。京都までつながる路線であることを確認して、多部ちゃんと電車に乗る。

「ねえ由鶴さんって、投資とか保険とかどうしてます?」

五駅ほど過ぎたあたりで、多部ちゃんにもらった飴の包みをほどいていると、隣からのんびりと訊かれた。
「ああ。一切やってへん」
「やっぱり」
「やらなあかんとは思ってる」
「ほんまですか? ちょっと一緒に勉強しません?」
「え、やるやる。多部ちゃんが一緒やったら心強いわ」
「わたし家うたし、お金の流れをいっぺん整理したいなと思ってて」
「どこまでもえらいな。でもそうやんな。実はわたしも最近、銀行から資産運用すすめられたとこ」
「そうやったんですね。じゃあちょうど良かったですね」

多部ちゃんが嬉しそうに言いながら、話したくてたまらなかったという様子で「外貨積立」や「投資信託」のそれぞれのメリットについて、すらすらと話し出す。

内容の違いが全く分からないまま相槌を打ち、遥かに積み重なっていくお金のイメージだけが脳内で膨らみかけた瞬間、手のひらにふと乾いた紙の感触がよみがえった。自分の指に目を落とすと、四角に畳んだ飴の包み紙を、親指と人差し指がぼんやりと挟み持っている。
(お金はもっと、すべすべしてたか)
思いながら、確かめるように紙をなぞった。畳んだ包み紙を開き、今度は三角に折りながら、つい先週銀行で触った、現金の手触りを思い起こす。

「実物を見てみたいと思ったので」

出金理由を訊かれてそう答えると、窓口の事務員は要領を得ない顔つきで、不安そうにまばたきをした。まだ学生のあどけなさが残る、華奢な女性事務員だった。実物を見た後の用途について重ねて確認されたので「見た後はすぐまた口座に戻します。預け入れて帰ります」と説明すると、事務員の顔にますます困惑の色が浮かんだ。

家の購入手続きが進められる中で、大金を使う怖さや躊躇ためらいは不思議と感じず、ただ、ここまで一心に貯め続けてきた自分のお金は、使う前にひと目見てみたいと思ったのだった。
出金額は、家の価格である五百万円を希望した。
待合椅子に掛けていると程なく呼ばれ、どきどきしながら窓口に向かうと、紙幣の束がこぢんまりと積まれている。

「これだけ?」

思わず上げた自分の声に驚いて、あわてて口元に手を当てた。首を傾げて手元の依頼書類を確認し始めた事務員に「ごめんなさい、うてます。間違いなく五百万円です」と謝り、拍子抜けした気持ちで紙幣を見つめた。想像の中で空高くそびえ立っていた預金残高が、その半分の額だとは言え、目の前に置かれたささやかな高さに収束されていることがにわかには信じられなかった。

受け取りを促されて手を伸ばし、紙幣の表面を撫ぜてみると、すべすべと乾いている。

そのまま紙幣のふちに人差し指をすべらせ、ゆっくりと高さをなぞると、入社してから今までの間、自分が見てきたあらゆる風景が、味わってきたあらゆる感情が、出会ってきた人々から掛けられた言葉が、目まぐるしく身の内で像を結んでいった。

(これだけ、やない。こんなに、なんや)

底辺にたどり着いた指を握りしめる。小さく頷いて、たった五センチメートルほどの自分の片割れに手のひらを乗せ、よしよしと撫でて労った。最初から最後まで怪訝けげんな表情で眺めていた事務員に「ありがとうございます。次は、預入れの手続きをお願いします」と声を掛け、何だか踊り出したいような気持ちで待合椅子に戻り、わたしは楽天スーパーセールで七輪を購入したのだった。

「ここからやったら御所やなく、平等院もいいですね」

投資についての話を一通り終えた多部ちゃんが、路線図を見上げながら言う。平等院ってどこにあるんやっけ。訊き返しながらスマホを取り出し、Googleマップで検索した。最初の表示では地理が分からなかったので、縮尺を変えるため画面に二本の指を当て、指をせばめながら縮小する。地図の左端に今乗る路線が現れたところで縮小を止め、最寄駅の名前を確認して息が止まった。

「桜咲いてるかは微妙ですね」

平等院のポストをXで調べながら多部ちゃんが言う。
「でも好きなんですよ平等院。気持ちいいから」
「……わたしはどこでもいいよ」
「やった。じゃあ次で降りましょ。駅からは歩いていけるはず」

多部ちゃんが飴の袋を鞄にしまい、元気よく立ち上がった。畳んでいたコートを羽織ろうとして「暑いですかね?」と手を止め、向かいの車窓から外の様子を伺っているので、同じように顔を向ける。どこにでもありそうな町並みに、春の陽がさんさんと降り注いでいた。小さく深呼吸をして、振り切るようにしっかりと口角を上げる。

「なあ多部ちゃん、ぜんぜん関係ない話してもいい?」
「え、まさか」
「わたし家買うねん」
「うわー、ほんまですか」
「家買うって言うの、たしかに興奮するなぁ。もう一回言っていい?」
「これ、言われる方もやばいですね。めっちゃドキドキしてきた」
「そうやろ。わたし家買うねん」
「はぁ、動悸」
「わたし、家買うねん」
「はぁ、くるしい」

胸を押さえながら笑っている多部ちゃんの声にかぶさるように、電車のアナウンスが次の駅の名前を告げる。じん、と胸に湧いた痛みが、けれどすぐに淡く滲んで、窓の外を流れる春の日差しに解けていく。車内に繰り返される、この先もずっと忘れることがないだろう名前を受け止めて、鞄を肩に掛け立ち上がる。

宇治に、桜が咲いていますようにと祈る。




(了)




#創作大賞2024
#恋愛小説部門




みんなのフォトギャラリーより、Melemさんの作品をヘッダー画像に使わせていただきました。ありがとうございました!

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