親父と寿司【カバー小説】
椎名ピザさんの企画【カバー小説】に参加させていただきます!
音楽でいうところの「カバー曲」を文章でやってみよう、という面白すぎる企画です。
と言うピザさんの言葉を死ぬほど読み返しながら、文章にとってのメロディって何なのだろうと考えまくりました。
今回はピザさんの親父と寿司をカバーしています。
理由は、めっちゃ好きな作品だからです。
未読の方はもちろん、既読の方も、まずはこちらをお読みくださいませ。
あ、同じメロディだ。
と思っていただけたらとっても嬉しいです。
4000字越えちゃいました。
長いのでご無理なさらず。お付き合いいただける方はぜひ。
誕生日。珍しく親父と2人で食事をすることになった。
就職を機に家を出てから10年。
実家からは、飛行機でなければ移動できない距離で暮らしている。
家族と顔を合わせるのは正月くらいで、その正月すら、ここ数年は帰れない年が続いていた。
だからこうして地元に戻ってきたのは、3年ぶりのことになる。
親父と待ち合わせをした改札前で、母さんのLINEを読み返す。
親父が、僕の誕生日に寿司を食べさせたいと言っているらしかった。
しかも回らない寿司をと、張り切っているらしかった。
添付されていたリンクを開く。
銀座の名店のような洗練されたホームページで、念のため店の住所を再確認していると、
「お前はオシャレだな」
とつぜん正面から声を掛けられた。
驚いて顔を上げると親父がまぶしそうな顔つきで笑っている。
戸惑いながら、「……え?」むせるように笑い返すと、ダウンジャケットの右腕をワシワシと揉まれた。
「いいな。これ」
「あ、うん」
「高そうだな」
「まぁ、うん。それなりに」
僕が言うと、親父は誇らしげに頷いた。
ついてこい。
上機嫌で手招かれて、駅前通りへと歩き出す。
何も話さず、寿司屋に向かった。
もし道を間違えたらどう切り出そうか考えていたけど、親父はGoogleマップが教えた最短距離をのしのしと辿っていく。
住宅地の中で、寿司屋はさりげない佇まいで、軒に灯を下げていた。
親父の後に続いて、のれんをくぐる。
店に足を踏み入れると、濡れた魚と米酢の清潔な匂いが押し寄せた。
ふと、初めて親父と2人で回転寿司に行ったときの記憶がよみがえる。
中学受験を年明けに控えた、12月の夜だった。
ほとんど塾に入り浸っていた僕を拉致るように連れ出して、親父は流れる皿を次々に掴んでは自分と僕の前に並べ置いた。
とつぜん塾をサボって、わくわくした。
サボったことに、と言うよりも、それを強行した格好いい大人が自分の親父であることにわくわくしていた。
置かれた寿司を、浮かれながら次々に食べた。
こそばゆくて、旨くて、嬉しかった。
途中で、トイレに立つまでは。
パチッと静電気を起こしながら、ダウンジャケットを脱ぐ。
あのときの百倍は高級なカウンターに、親父と横並びに座る。
「なんでも好きなものを食べろ」
親父に促されたけれど、カウンターの上に並べられた位牌にはどれも値段の表記がなく、彫られている漢字もまったく読めない。
僕が普段行く寿司屋とは違う空気が流れている。
躊躇して黙り込んでいると、親父がクラシックな黒檀の位牌を掴み上げた。慣れた手つきでつけ台に横たえ「さび抜きで」と大将に声を掛けている。
見よう見まねで、目の前に置かれたモダンな紫檀の位牌を、つけ台の上に寝かせてみた。
大将が位牌を見て目礼し、手際よく寿司を握りだす。
所在なく店内を見まわした。
寡黙な親父と会話が弾んだことなんて無いけど、今日はさらに、何を話したらいいのか分からない。
親父と僕が置いた位牌の上に、握りたての寿司がのせられる。
「仕事はどうだ?」
突然の質問に、寿司に伸ばしかけた手が思わず止まった。
仕事って、どっちの?
図りかねたけど、本人にそれを聞くわけにはいかない。
「まぁ、ぼちぼちかな」
無難な言葉を選んで返す。
親父は楽しそうに頷いて「そうか」と呟き、自分も寿司に手を伸ばす。
「仕事なんて、嫌だったらいつでも辞めていいんだからな」
親父はカリフォルニアロールを食べながら言った。
「別に大丈夫だから」
うっすら胸を痛めながら、僕は海老アボカド寿司を食べて答えた。
おしぼりでごしごし手を拭いて、親父が次の位牌を選び取る。
さっきの位牌に重ねて置き、さび抜きでと言ったあとは黙りこみ、咳払いをひとつしてぼんやり頭を掻いている。
似たもの親子だなと、ちょっと笑う。
僕たちは無言で位牌を積み、そこに注文した品がのせられると、ようやく一言ずつ喋り合った。
「彼女はできたのか」
親父はハンバーグ寿司を食べながら言った。
「いや、別に」
僕はオムレツ寿司を食べながら答えた。
「母さんがお前のこと褒めてたぞ」
親父はマヨネーズ牛カルビ寿司を食べながら言った。
「あぁ、そう」
僕はフライドポテトを食べながら答えた。
「お前とこうやって腹割って話すこともなかったな」
親父はパイナップルを食べながら言った。
僕はロシアンルーレットシュークリームを見つめて無言でいた。
不安定に重なる位牌の上には、シュークリームが3つ並んでいる。
腹割って話したなんて、僕のほうは親父に言えそうもなかった。
親父と久々に喋ったけど、喋ってないのと同じだった。
だって本当は、言いたいことが山ほどある。
親父に借りた金で出店したタコス屋は2年前に潰してる。
その後に勤めた会社で出会った彼女とは1年前に結婚して、次の夏には子どもだって生まれてくる。
コロナで会えなかったけど、どちらも電話で、親父に報告したことだった。
ついでに言うと、母さんが僕を褒め倒したのは、僕が母さんに藤井風のライブチケットを贈った3年前の誕生日だ。
たまらなくなって、鼻の奥がツンとする。
<お父さん、ボケてきちゃったみたい>
つい半月前に電話越しに聞いた、母さんの泣き笑いの声を思い出す。
<さいきん物忘れが多くて変だなと思ってたの。2年前からのことは、記憶しにくくなってるってお医者さんが言ってた。それより前のことは、ちゃんと覚えてるんだけど。本人はまだ、あんたには言いたくないって言い張ってる。でも2人だけで寿司食いたいとか言うし、黙ってるわけにもいかないでしょ。悪いんだけど、何も知らないふりで、お父さんとお寿司行ってくれないかな。万が一迷っちゃったときのために、店のリンク、一応LINEに送っとくね>
電話が切られてからしばらくは、何も考えることができなかった。
ただ寿司という言葉だけが、細い筆先でちょんと触られた程度のにじまない不安になって、心の中に浮かんでいた。
「これが一番美味いな」
小声で呟かれた声のほうに目を向ける。
パイナップルを噛む親父の、顎の動きが頼りなかった。
痩せて筋張った喉元が大げさに波打つ。
飲み込まれたパイナップルが、ゆっくりと落ちていくところだった。
会わなかった数年の間に、親父は歳をとったのかもしれないと思った。
切なくなってしまったので、ロシアンルーレットシュークリームをみっつまとめて、口の中に放り込む。
シューの中には後頭部が痺れるほどの、激辛クリームが仕込まれていた。
ただの寿司屋で、ここまで攻めたものが用意されているとは思わなかった。
意識が飛びそうになりながら頭を抱えて目を閉じると、パイナップルを食べる親父がまなうらに現れた。
噛むたびに鼻の下が伸びる、親父の独特な顎の動き。
似ていると思いながら一度も口にしなかった言葉を、はっきりと聞いたのは回転寿司に行ったあの日だった。
僕がはち切れそうな腹を抱えて、機嫌よくトイレに行く途中、
パイナップルゴリラ。
聞き覚えのある声がしたのでボックス席に振り返ると、同じクラスの御堂くんと安部くんが、肩を揺らして笑っていた。
それぞれのお母さんと4人で座る席からは、レーンに囲まれた厨房を挟んで、カウンター席に座る親父の顔部分が遠くに見えた。
親父はいつもの噛み方で、黙々とパイナップルを食べている。
キモ。
吹き出して笑い崩れる2人を見て、腹の中に詰まった寿司が凍りついた。
尿意も忘れて引き返したけど、パイナップルゴリラの隣に戻る度胸はない。
そそくさと店を出て、ガラス越しに店内の様子を伺った。
親父が顎を突き出しながら首を伸ばして、トイレの方を眺めている。
御堂くんと安部くんを見ると、テーブルに突っ伏して笑っている。
寿司だけじゃなく、こんどは体全部が凍りついた。
上着も着ないで寒空に立ちつくしていると、店内を見渡していた親父と目が合った。
お前なんでそんなとこに。
そんな声が聞こえてきそうな呆れ顔で親父が笑い、ゴリラみたいに片手を上げたのを見て、こらえきれずに涙があふれた。
それで僕は、親父を置いて、全速力で逃げ帰ったのだった。
自分の部屋に飛び込んで、頭から布団をかぶったのだった。
後から帰ってきた親父は、いつも通り「ただいま」と言っただけだった。
あの日からなんとなく、親父を避けていたのかもしれない。
僕と親父の会話はあの日で止まって、それきりになっていたのかもしれない。
「じゃあ、これ食べたら帰るか」
親父の声に目を開けて、ゆっくりと息を吐きながら顔をあげる。
おしぼりで脂汗をぬぐい、しつこく痺れる後頭部に手のひらをあててやる。
いつの間にか注文していた2つ目のパイナップルが位牌の上に乗せられた。
親父が嬉しそうに食べ始めたのを見て、
「寿司、連れてきてくれてありがとう」
ぽつりと言うと、
「どっちの、寿司の話だ」
パイナップルを箸でつまみあげながら、間髪入れずに親父が言った。
飛ばしたブーメランが返ってきたような気持ちだった。
思わず積み上げた位牌を見上げると、親父のほうが5つ分高い。
ずいぶん食べるんだなと感心する。
「今度は、僕がなんかご馳走するよ」
心をこめて提案すると、
「生意気言うな」
咀嚼しながら箸を置き、親父はさっきよりも力強く、パイナップルを飲みくだした。
「たのむから、まだおれを見縊るな」
南国の匂いを漂わせながら、まじめな顔つきで親父が言う。ゴリラみたいにつぶらな瞳が、ほんの少しだけ潤んでいる。
親父にそっくりな僕の瞳も、同じことになっていそうだ。親父に負けないくらい、大まじめな顔で頷いた。
「あぁこれワサビきついな」
さっと、親父は濡れた目をそらして笑い、完食したパイナップルを見て呟いた。
(了)
椎名ピザさん、納豆ご飯さんのカバー小説はこちらです!
2024.1.12 追記
めちゃくちゃ嬉しいお返事をいただきました!
本家からお墨付きもらえて嬉しいの極み。ありがとうございます💛
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