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大阪城は五センチ《 9 》 【創作大賞2024】

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占いは四時に始めると言われ、時計を見ながら一時間半の暇をどうやってつぶそうか考え、それでどうしたかと言うと、古墳にいる。

徒歩圏内に古墳があることは、ネイバーベースのマカロニさんの家を紹介するページに書かれていた。家から用水路に沿って駅へと戻り、踏切を渡ると水路はそのまま古墳の堀に繋がっている。Googleマップで見ると鍵穴をかたどっているように見える古墳は、けれど横から見ると何の形をしているのだか見当もつかない。

水辺の柵に沿って、歩いた。

ギョイギョイと鳴く鳥の声が、明るい曇り空に渡っていく。参拝所が設けられていたので足を止め、幹の細い木がぎっしりと茂った塚を、鳥居越しにしばらく眺めた。ゆっくりと胸の高さで手のひらを向かい合わせ、指先同士を触れ合わせて、すぐに解く。

(願うことが、無いわ)

思った瞬間、スマホが震えたので肩掛けのケースを開いてみたけれど、楽天のメルマガが届いただけだった。俯いたまま風俗のアプリを立ち上げ、もう何度見返したか分からない、宇治との最後のDMを表示する。

ホテルの名前を伝えたわたしのメッセージに対して「わかりました。十時半に行きます」と承諾した平たい宇治の文面を読むたびに、為す術なく胸が締め付けられた。
会いたいなぁ。
途方に暮れながら思う。
思うのに、宇治から施術を受けることが今さら嘘みたいに恥ずかしく、自分の体を晒しても平気でいられた、その心持ちがどうしても思い出せなくて、予約をすることが出来ずにいるのだった。

アプリを閉じ、ケースの内側から銀行のカードを抜いてみる。手のひらにのせても、数字をなぞっても、両手でじっくり挟んでみても、心はうんともすんとも動かなかった。理由は分からないけれど、最後に宇治に会った日から、「お守り」の効果はすっかり消え失せてしまっている。熱が出た時にするように、カードをぺたりと額に貼りつけると、人肌に温められたカードが空風からかぜに冷えていった。施術の予約に踏み切れず、ぐずぐずとDM画面だけを見つめるまま、二月はもうじき終わろうとしている。

カードをしまい、スマホを横持ちに構えて古墳を撮った。

鳥居に会釈をして、その隣に立てられた看板を読んでみる。日本語が古いせいか内容がさっぱり入ってこないので、こちらは撮らずにスマホを切り、堀の端までぶらぶらと歩いた。くすんだ水面みなもが風に吹かれて、こまかにさざめき揺れていた。まだらに浮かぶ冬枯れの蓮の、細く伸びた茎が茶色く乾いてぽきぽきと折れているのを見物すると、ひととおり古墳の観光が達成されたような気がした。堀の端まで来ると、そこからは住宅地につながっている。来た道に振り向き、マカロニさんの家へと引き返す。

二階に用意された個室に戻り、横になってごろごろしていると、コーヒーを煮詰める甘いにおいが畳の底から這い出てきた。

時間を確認すると、四時を少し回っている。階段を下りて和室に向かったけれど、誰もいないので台所をのぞいた。リフォームせずに元の形を残したらしい、壁タイルや土壁つちかべに古民家の名残がある正方形の台所に、マカロニさんがこちらに背を向けて立っている。コーヒーの香りが濃密に立ち籠める台所の中央にはテーブルが置かれ、馴染みのない形をした鍋と小さなカップが三つ、丁寧に並べられていた。

「すごいにおいですね」

声をかけると、テーブルに置かれていたのと同じ、柄杓のかたちをした銅製の小さな鍋を手にしたマカロニさんが振り向いた。

「ああ来たね。由鶴だけやから、和室やなく、ここでやろうか」
「トーマくんとスズちゃんは」
「タイミー。なんかええ仕事が公開されたみたい。すいません稼いできますって、さっき電話来たわ。偉いねえ、よう働いて」

誇らしげな口ぶりで言い「そこ座り」両手のふさがったマカロニさんが、スツールに向けてクッと顎を上げる。言われるまま腰を下ろし、けれど柄杓鍋の中身が気になり、すぐに席を立つ。
「作るとこ見てもいいですか」
コンロを点火させているマカロニさんに訊くと、「もちろんよ。おいで」と嬉しそうに頷かれた。流し場の方へと半歩ずれたマカロニさんの隣に立ち、コーヒーの入れられた鍋の中をのぞき見る。

「これね、トルココーヒー。粉を煮出していくねん」

言いながらマカロニさんが火にかけると、鍋肌をふつふつと小さな泡が囲み始めた。ささやかな音を立てながら忙しく弾けるさまを観察していると、小さな泡が突然つらなり、ふちまで大きく膨れ上がっていく。マカロニさんが、すっと鍋を火から遠ざけた。膨らんだ泡は見る間にしぼみ、やがてコーヒーがいだ面を取り戻すと、鍋に細いスプーンが差し入れられ、じっくりと掻き回された。

「実験みたいやろ」

顔をのぞきこむようにして笑いかけられると、子どもの頃、同じ表情で同じ言葉を母から言われたことを思い出した。塩をかけた氷で急冷しながら、アイスクリームを作ったときだったか。いつもほんのりと煮炊きの匂いが漂う台所に、場違いのようにバニラエッセンスが香っていた。母に見守られながら袋の中のアイスクリームを嬉しい気持ちで凍らせた、あの台所も今は跡形も無くなってしまった。感傷に浸りながら、アイラインでしっかりと縁取られたマカロニさんの目を見つめ返す。

「トルコって、いいとこでした?」
「よかったよ。今も好きよ」
「向こうに住もうとは思わなかったんですか?」
「うん思わなかった。なんでやろうね。親が続けて死んで、ああひとりになったって思ったら、無性にこの家に帰ってきたくなったのよ」

スプーンを引き抜き、マカロニさんが鍋をまた火にかける。なんとなく黙って、鍋のほうへと顔を向けた。ふたたび鍋肌を囲み始めた泡が、さっきよりもきめ細かくなっている。膨らんでは火から下ろし、しぼんでは火にかけと繰り返すうちに、つやのある泡がコーヒーの表面を覆うようになっていた。鍋のふちまでふっくらと泡が満ちたところで、マカロニさんがコンロの火を消した。

「何占ってほしい?」

青い花の絵がかかれたデミタスカップに、粉ごと鍋の中身をそそぎながらマカロニさんが訊いてくる。スツールに腰を掛け、泡立つコーヒーを見下ろした。カラメル色にもやがかる脳裏に、二世帯になった家が浮かんでは消え、預金残高の数字が浮かんでは消え、宇治の顔が浮かんでは消える。ふっと笑って、こぼれ落ちてきた髪を耳に掛ける。

「ほんまに正直に言うと何も占いたくないです。いまのわたし、何占っても多分、いい結果出るわけがないから。何かを願うのも嫌なんです。叶わへんから。というか、叶わへんことを、受け止める度胸がないから」

囁くように白状すると、コーヒーを注いでいた柄杓鍋が一瞬動きをめ、それからコースターの上にゆっくりと置かれた。由鶴はいくつやっけ。静かに訊かれたので今年四十ですと答えると「じゃあまだ四十ちゃうんやな。こういうときは三十九ですって答えんねん。あんたの人生に一回きりの、三十九って歳がいじけてまうで」向かいのスツールを引きながらマカロニさんが笑う。

「占いたいことが無いんやったら、三十九歳の由鶴の運勢を見ようか」
「いや、だから占いたくないんですってば」
「ええからええから。占うのはコーヒーの後でね。まだカップの中に粉広がってるから、沈殿するまでちょっと待とう」

テーブルにひじをつき、マカロニさんが目を閉じてしまったので、仕方なくコーヒーに視線を落とした。大きな車が通り過ぎたのか、玄関の方から軽い地鳴りとガラス戸の揺れる音が響き、それがすぎると足元に置かれた電気ストーブのじいじいとうなる微かな音だけが残された。こっそり目線を上げると、蛍光灯の元にいるせいか、さっき和室で見た時とは別人のようにマカロニさんが歳を重ねた顔をしている。生家の雰囲気の色濃く残された台所で、舞台俳優の煌めきがくつろぐようになりを潜めているのを見て、

「自分の家やのに、こうやってネイバーの人がしょっちゅう来て、落ち着かないことないですか?」

思わず質問すると、マカロニさんが劇団四季みたいな目を開いた。探るようにしばらくこちらを見つめて微笑み、テーブルの一角にまとめ置かれた菓子の中から、口の開いた新宿高野のフルーツチョコレートの袋を引き寄せる。

「落ち着くよ。最高よ。この家に住むことも、ネイバーの家主になることも、そのためにどこをリフォームするのかも、ぜんぶわたしが決めてん。わたしが作り上げた家なのよ。泊まりに来てもらえるのも楽しいね。由鶴くらいの子が来たら二十歳で子どもを産んだ気持ちになるし、トーマやスズくらいの子が来たら四十過ぎてから産んだ気持ちになる。わたしな、『お母さん』になりたくて、ネイバーの家主になってん」

キャンディー状に包まれた小指の先ほどのチョコレートを、マカロニさんがひと掴みしてテーブルの上にわらわらと置く。食べ。勧められて、手前にあった黄色の包みを手に取った。カラフルな包紙越しに、バナナの甘い匂いが香り立つ。

「わたし自身は、子どもおらんで。そういう体やったみたい。由鶴くらいの歳のときにそのことが分かって、呆然としたねぇ。子ども産みたいって考えてきたのに、そういう『いつか』は最初から自分の人生になかったんやん、って。それからは、子どもがいる人より、必要ないって心から思ってる人のほうが羨ましい。わたしはそんなふうには成れへんから。冗談やと思われるかも知れんけど、わたし今でも産みたいねん。産めなかった子どもに、ずっと、片思いしてんねん。でも最近思うねんけどな。その屈強な片思いが、自分のいちばん大事なとこを支えてるような気ぃするわ」

マカロニさんが自分もチョコレートをひとつ取って包みを解き、きれいな薄みどりの球体を口に運ぶ。物を言おうと口を開きかけたわたしを遮るように「もうコーヒー飲めると思うよ。飲んでみ」チョコレートとメロンを香らせながらほがらかに言うので、細い持ち手をつまみ上げた。すっかりしぼんだ泡のすきまから、黒々としたコーヒーの面がのぞいている。粉が本当に沈殿しているのか見た目には全く分からなかった。デミタスカップに口をつけて慎重に傾ける。

「どう」
「泥みたいです」
「飲むの下手やな」
「でも甘くて美味しい」
「そうやろ。上澄みだけ飲むねんで」

チョコレートの山の中から、またみどりの包みが選び取られるのを見ながら頷いて、少しずつ口に含んだ。香ばしくて苦みも強いのに、まろやかなコーヒーだった。マカロニさんの心遣いに少しでも報いたい気持ちで、熱いです。やら、濃いです。やら、調味料入れてる実家の引き出しみたいな匂いします。やら、思いつく限りの感想を述べながらゆっくりと飲んだつもりでいたけれど、カップの底に艶めいた粉が見えるまでは案外あっという間だった。

「ごちそうさまです」

テーブルの上のティッシュを引き抜き、粉っぽい感触の残る口周りを拭いながら言うと、マカロニさんがおもむろにソーサーを引き抜いてカップの上にかぶせ乗せた。そのまま天地を逆さにすると「ほんじゃあ、占うで」マカロニさんが伏せられたカップを上に向ける。

「内側に残った粉の、絵を読むねん」
「絵ですか、これ。粉が寄っただけにしか見えへんのですけど」
「情緒がないねえ」
「耳かきひと掬い分くらいしか付与されなかったみたいで」
「わたしは、これ橋やと思うわ。ブリッジの橋」
「それって、いい意味ですか?」
「絵の通りよ。ちゃんと、渡っていけるって言う意味」

カップの内側に細長くたわむ、吊り橋のような粉の跡と同じ模様を、マカロニさんが指でくうに描く。

「わたしね、さっき言い忘れたけど、絵は五十過ぎてから始めてん。これも片思いでいてるの。描いても描いても『両思いや』って思わせてくれへんから、楽しいよ。創るのは楽しい。年相応に失くしものしたけど、創ったものは無くならへんからね。形があってもなくても、じぶんで創りあげたものは消えへんの。そういう訳で、どうぞ元気よく橋を渡って行ってください。占いは以上」

晴れやかに言い渡し、柄杓鍋とカップを持ってマカロニさんが立ち上がった。目の前からカップが下げられても、マカロニさんの指が描いた軌道が、いつまでもテーブルの上に見えるようだった。にっこりと結ばれた誰かの口元みたいな、やわらかな曲線を自分がどうやって眺めているのか分からないまま、流し場のほうへ向き直る。

器具を洗うために丸められた大柄な背中を見つめながら、「ありがとうございます」と心を込めて伝えると、キュッと水が止められた。濡れた手を拭いながら振り向いて「たまには良かったやろ。占いも」と、母と同じような顔つきでマカロニさんが笑う。

「あの。ひとつ聞いてもいいですか」
「なに」
「なんでマカロニなんですか」
「ああ。ネイバーに登録したとき、マカロニグラタン食べてたから」
「え」
「海老グラタンやったから海老でもよかってんけど。マカロニのほうが可愛いやろ」
「なんや。なんか深い意味でもあんのかと思いました」
「ううん無いよ。意味なんか無い。することなすこと起こること、いちいち意味持たされたら、たまらんやろ」

ばっさりと言い、マカロニさんが洗った器具をてきぱきと拭き始めたので、テーブルに広げられたチョコレートを集めて袋に戻した。このあとは車で買い物に行く予定でいると言う。一緒に行くかと訊かれて、ありがたく便乗することにした。

スーパーまでは、車で五分もかからなかった。

青果のほうへと歩いていくマカロニさんとわかれ、まっすぐに総菜コーナーに行く。夜に食べる焼き鳥と生春巻きをカゴに入れ、朝に食べるレーズンパンとヨーグルトを入れ、多部ちゃんの好きな硬水の炭酸を二本入れる。いつもの発泡酒を三本買おうとして少し迷い、そのうちの一本をハレの日に飲むと決めているビールに差し替えた。

会計に向かうと、混み合うレジの前方で、カラフルなターバンを巻いた頭がそこだけ異国情緒を放っている。どっしりと立つ後ろ姿が、あまりに微動だにしないので吹き出した。腕に掛けたカゴを持ち直し、マカロニさんの姿勢を真似て、自分もしっかりと胸を張る。




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