【愛国の和歌】何(なに)か残(のこ)る 君(きみ)が恵(めぐみ)の絶(た)えしより 藤原家隆(ふじはらいへたか)
皆様こんにちは
蓬田でございます!
今日も愛国の和歌を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう。
今日の和歌はこちらです。
何(なに)か残(のこ)る 君(きみ)が恵(めぐみ)の絶(た)えしより
谷(たに)の古木(ふるき)の 朽(く)ちも果(は)てなで
藤原家隆(ふじはらいへたか)
作者の藤原家隆は、鎌倉時代初期の公卿。
従二位と、とても高い官位です。宮内卿(宮内省の長官)を努めました。
嘉禎三年(1237年)に亡くなりました。享年八十。
藤原俊成に和歌を学びました。同時代の藤原定家と並ぶ大歌人です。
「新古今和歌集」の選者のひとり。晩年になっても意欲的に作歌に励み、詠んだ和歌は生涯に6万首といわれています。
歌の意味は、
なぜ我は生き残ったのだろう、院のお恵みも絶えて以来
谷間の老木のごとき有様ながら、朽ち果てもせずに
承久の乱直後に詠んだ歌です。
承久の乱は、後鳥羽上皇と鎌倉幕府執政、北条義時との間で起きた争いです。
日本初の朝廷と武士政権との武力による争いでした。
この争いで後鳥羽上皇は敗北。上皇は隠岐に配流されます。
鎌倉幕府は以降、京都に朝廷を監視する六波羅探題を置くことになりました。
作者の家隆は、後鳥羽院が隠岐に流されてからも、しばしば京都から、手紙や和歌を差し上げて、お慰み申し上げました。
歌からは、家隆の忠誠が伝わってきます。
今日の和歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!
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