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四方井ぬい
2018年5月29日 17:13
社会復帰をしなければならないということ。社会とは何だろうか。そもそも、外界と隔離されたような感覚に陥るこの部屋ですら、社会性に溢れている。ものは全て人が作っているものだし、家そのものがそれである。朝起きて、夜眠ることができるようになったのは、薬のおかげだろう。(最近は落ち着いたが、)外に出る気持ちや、出ても良いと思えることが人生で起きたのは、薬のおかげだろう。多少なりとも、身だしなみに気
2018年5月23日 02:31
この頃は疲れているようだ。それも、自分が気がつかないうちに。睡眠時間はすこし増えたし、(といえど、お薬を飲む前から比べたらだいぶ減った方だ)基本的に、なんだかぐったりしている。憂鬱感を拭うために、外に出る。そうすると幾分か気は晴れる。何故か陽の出ている間にその気力が芽生えないこと以外は概ね良いのだが……。きょうは、とても寒いふところ具合を無視してアイスを買った。それはとても甘くて、甘くて
2018年5月20日 23:17
似たような1日が、時間が、進んでいく。ご機嫌な気分をどこに向けたらいいかわからないし、また、不機嫌をどこに向けて、どうまるめたら良いのかもわからない。ムーってなってしまった時に、体が冷え切っていることに気付いた。なんとなくお風呂に入って、あったかくなってご機嫌になったが、あつくてぼーっとしていたら体が冷えて、またムーっとしている。さむいなあ、と思う。自分が出来ることは他者もできると思いがち
2018年5月14日 22:28
眠る前、ぼーっとしている時、悪魔が囁く。誰の耳元でも、そういうことが起きることはあるだろう。自己嫌悪、あるいは他者から嫌われた記憶……渦巻く脳内の嵐に対して、どうすることができるのだろうか?人を愛し、愛されたいという話をした。人を愛するということは難しい。愛とは一体何なんだろう。人に対して、親しみや愛おしさを感じることはある。基本的に好意的であろうとしてしまう側面も否定できない。だが、人
2018年5月11日 21:12
信号機は近くで見ると人が乗れそうなくらい大きくて、遠くから見た時の違いに驚く。距離が近くなっただけで、受ける印象も見える事柄もこんなに違ってくるというのは、面白いことだ。感情の起伏、大なり小なりの出来事があって、それに付随するように心境もまた上下した。あるいは、波ひとつうたない静かな線のような時期もあったように思う。これからも色々なことがあるだろう。ふつうは、その波の形状なんていうのは静か
2018年5月8日 00:05
炒飯を作ろうと卵を掴んだ。卵は衝撃をその殻で受けきることが出来ずに無惨に割れた。一瞬。何が起こったのか分からず、液体に包まれた手を目視、認識することによってようやくその事態を理解した。何の問題もない。卵を意図しない場所で割ってしまっただけのことだ。それでも、卵のその弱さの中に私の弱さを見てしまい、後片付けをしながら少し、悲しく思った。先日、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を読んだ。恐らく小
2018年5月4日 23:14
生きるということ、感情が芽生え、何かに対して何かを想うこと。教えられた価値観通りに、嬉しくなる筈の場面で嬉しいという感情を使い、悲しいという感情を使うべき場面で、悲しいと感じること。あるいは、自動的に引き起こされたそれらを自然と受け入れること。生きるということは、まだ血が通い、死んだと判定されていないこと。生きるという意思があること。なぜ、生きているのだろうか。草木が生い茂っている光