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感情と刺激

信号機は近くで見ると人が乗れそうなくらい大きくて、遠くから見た時の違いに驚く。距離が近くなっただけで、受ける印象も見える事柄もこんなに違ってくるというのは、面白いことだ。

感情の起伏、
大なり小なりの出来事があって、それに付随するように心境もまた上下した。あるいは、波ひとつうたない静かな線のような時期もあったように思う。これからも色々なことがあるだろう。
ふつうは、その波の形状なんていうのは静かに変わり過ぎて……あるいは、毎日、1秒1秒の間に揺れ動くことだからそれらを全て覚えているほど気にしてなんていられない。
だからこそ、波の形状ががらりと変わる出来事は、「人生において重要な出来事(転換点)」なのかもしれない。
その前提を踏まえて言えば、私にとっては服薬を始めたことは今のところ人生で一番重要な出来事だ。

「何かに感動して」、「ある人の影響で」その劇的な変化がもたらされた訳ではないことに、少し残念さを感じる。
所詮は、脳を劇的に変化させるのは薬剤の力なのだと思うと、本当に物質的で、愛想がないと思うからだ。
好きな映画監督もいるけれど、それは私の(主に過去の)内面的要素を鏡映しにして観ることによって喜んでいるような滑稽な状態だし、読書するという体験もそれに近い。
音楽は絵画をみることや映画鑑賞等から比べれば多少なりとも感情を揺さぶられるが、どちらにせよ、どれにせよ、刹那的なものだ。
時折、ものすごく情緒的に何かを語れる人を見かける。そのたびに羨ましく思う。
きっと周囲に何かを見出すのが上手で、街へ出かけ、人と話すたびに虹を見る時のような幸福感を得ているのじゃないか、なんて想像をする。
何かに関心を持てることは幸せなことだ。視野は自然に広がるだろうし、世の中の穢れも目に入るぶん、素敵な物事も見えてくるだろう。
多様なことがらに触れられるということは豊かなことだと思うが、それは考え方として古いのだろうか。

影響、感動的な物事……といえるかはわからないが、私の最近の話で言えば散歩をすることが一番刺激的で幸福度の高い行動だと思う。
未だに家から出ないか、出てもごくごく僅かな時間ということは多いけれど
光を浴びて身体で熱を感じ、風を浴びてそのにおいを嗅ぐ、景色はいつもと大して変わらないものの人が自由に歩いていくさまを見ることは、刺激的な体験だ。
よく、ベンチに座ってぼーっとする。あるいはぼーっとしながら歩いている。
そうすると、鳥が鳴いていることに気がついたり、他者同士の他愛もない日常にささやかな幸福を感じる。
あるいは草木の香りやお花の香りが素敵だということを思い出したり、
木肌の少しひんやりごつごつした触り心地や、植物の不思議なふかふかを感じたり……とにかく、外は色々なものごとがあって、すごい。
そう思えるようになったのも、ちゃんと服薬しているおかげなのだけれど、以前はそれらを気にしている場合ではないほど切羽詰まっていたのか、それとも「良い」と思う感覚自体が変化しているのか。
色々あるだろうけど、今、こうして幸福を感じられることを大切にできたら良いなと思う。

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