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書く憂鬱
私は子供のころ、文章が大嫌いだった。嫌悪していた。
活字を読むことも作文を書くことも苦行であり、図書室は牢獄、音読は公開処刑だった。「嫌いだからできない」「できないから嫌い」の負のスパイラルだ。
そんな私が大学生のときにブログを始めた。大学に入ると作文の機会が増えるため、練習としてウェブ上で日記をつけた。
しかし、養分がなければ植物が育たないように、活字に触れてこなかった私の作文は、浅はかで、軽薄で、記号の羅列以上の価値を持たなかった。ペットボトルの成分表示のほうがまだ情報量が多いくらいだ。
文章にしろ、マジックにしろ、上達の近道は模倣にある。
本をたくさん読み、写経のように文体を真似て日記を書いた。そのうち読み物として多少マシなものが作れるようになったが、副作用として、優れた文章を目にするたびに打ちのめされ、強迫観念にとらわれるようになった。
たとえば、目の前にバラがある。グラスに挿してあるその一輪のバラは、少しずつ萎れていく。花弁は丸まり、色褪せ、香りはもうない。このバラはいつ死ぬのだろう。花弁がすべて落ち、茎まで腐り、原形を失い、濁った水と溶け合ったときだろうか。テーブルに散らばった花びらが片付けられ、腐臭を放つ茶色い水が捨てられたときだろうか。否、バラの所有者が存在を忘れたときだ。死とは忘却である。世間に忘れられたとき人は死ぬのだ。友と別れ、家族が死に、時代に傷跡の残せなかったぼくは、このまま小さく丸く死んでいく。まるで最初から存在しなかったかのように。ぼくはなんのために書き、なんのために生きているのだろうか。嗚呼、無常……といった気分になった。わかるだろうか。わかってほしい。恥ずかしいのだから。
書くのは苦しかった。他人の目を気にしながら、焦りとともに文章を書いてきた。小説の賞に応募もしたが、二作目を書いている途中で匙を投げた。仕事に就き、忙しさにかまけてそのうちブログもやめてしまった。
しばらく文章から離れていたが、数年前、ひょんなことからリアル脱出ゲームの物語と、それに付随するお芝居の脚本を書かせてもらう機会を得る。
はじめて自分のため以外に書いた文章だった。書き始めると自分でもびっくりするくらい筆が進み、ぼちぼちの評価ももらえた。
意識したのは、「自分が読者だとしたらどんな物語を求めるだろう」という問いだった。結局のところ、自分が読んで楽しいものを書くのが一番大切なことだったのだ。
義務的に文章を書き始めて10年、やっと救われた気持ちになった。
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田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』を読んだら、そんなことを思い出した。マジシャンのキッサーに誕生日プレゼントとしてもらった本だ。ありがとう、キッサー。
著者は元電通のコピーライターということもあり、キャッチーな名言にあふれている。クスクス笑いながら一気に読み終えられた。
広告の書き方は作品づくりのコアにあるものだし、エントリーシートの作り方(でっち上げ方)に関しては、学生はもとより、私のようなフリーランスの処世術のように読めた。
どの項目も含蓄に富んでいたが、とくに印象に残ったのは以下の部分だ。
わたしは、なかなかにいい給料が振り込まれていた電通という会社を、なんの保証もなく辞めて50代を迎える。それは自分がおもしろがれることが、結果として誰かの役に立つ、それを証明したいからなのだ。(本文より)
似たような状況の私も50代になったとき、証明してみせたい。
https://www.amazon.co.jp/読みたいことを、書けばいい%E3%80%82-田中-泰延-ebook/dp/B07RXM2DHZ