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イレウスで入院してました 後編

(昨日の続きです)


You should be more tough, Yuko.

(もっと強くなったほうがいいよ)

ニュージーランドのグレイマウスという小さな町で、フィリパにこう言われたのは、36歳のとき。当時、小5だった息子を連れ、日本語のボランティアとして派遣されていた時でした。

1996年4月17日、関空から息子とふたり、シンガポール経由でニュージーランドへ。派遣校はグレイマウス·ジュニア·ハイスクール。派遣期間は9か月。

校長のギャリーの家に親子でホームステイ。ホストマザーのフィリパは、同じ学校で働くスクールカウンセラー。彼らには子どもがふたり。長女は高校生で寮生活。家にいたのは、長男のオリバー。息子よりひとつ年上でした。彼もグレイマウス·ジュニア·ハイスクールの生徒。息子は、その学校の一番年少クラスに入ることになりました。

(初日からいろんなことが起こりました。それはまた別の機会に)

ニュージーランドでの生活がひと月ちょっと経った頃から、息子が日本に帰りたいと言い出しました。オリバーとどうしてもうまくいかなかったのです。

日本にいるテツ、ギャリーやフィリパにもいろいろ相談し、彼らもいろいろ試みてくれたけれど、オリバーと息子の関係は好転せず、結局、わたしがこらえきれなくなり、9か月の予定を3か月に切り上げることにしたのです。

そのことを、フィリパに伝えた時、冒頭の言葉をフィリパがわたしに言いました。

ここに残りなさい。

仕事を辞めてまでしてきたんじゃないの。

後悔するわよ。

そんな弱虫でどうするの。

シュンは泣いていてもここに居させなさい。

You should be more tough, Yuko

……………

あの日から27年と半年ほど時間が流れたけど、今も胸に残ってる場面です。

フィリパの前でうなだれていたわたしと、ホノルルマラソンに出ようかどうしようか迷ってる今のわたしが、今回の入院中、ふっと繋がりました。

糸電話の片方をグレイマウスのわたしが、もう片方を市民病院のベッドの上のわたしが持ってる。そしてグレイマウスのわたしが、You should be more tough.とこちらに向かって叫んでる。そんな絵面が頭に浮かんでます。

42キロ。

長いです。

走ったり歩いたりしながら、乗り切ることができるのか。

全く自信はありません。

でも、一方で。

走らなかったらすっごく後悔するだろうな、とも思ってます。

テツが走らなくても、

36歳の時のわたしが伴走してくれるんじゃないか。

36歳のわたしと、63歳のわたしが、ふたりでゴールするその場所に、たとえばテツが笑いながら立っていてくれたとしたら、そこにたどり着いた瞬間、自分が今抱えてる大小様々なもやもやしたもの一切合切が、しゃぼんの泡みたいにパチパチ音をたてて消えていく。そんな気もします。

人生はやっぱりドラマティックな方が、よい。

走ります🏃 ホノルル!

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