【カオリ】うさぎ
「ねえ、
さみしいとしんじゃうって本当?」
…
「じゃあ、
ボクといればさみしくないね。
よかったね」
…
「今日はこんな大変なことがあったんだ。
いやになっちゃう」
「こんなすごい事を頼まれたんだ!
まあ君には無理だよね。
ねえ、すごいでしょう?」
…
「食べて寝て食べて、、、本当
君の生活は羨ましいな」
…
「ほら、人参。好きなんだろう?
早く食べろよな。鈍間だな」
…
『ねえ。』
白い服を着た透けるような肌の女性が声をかけると、壁際に置かれたチェストの前に立つ男性は肩を一瞬上下させ、そのまま微動だにしなかった。
チェスト上に飾ってある写真の中の二人は寄り添って穏やかに微笑んでいる。
『あなたのとなりにいるのは、
あなたが一緒に生きたのは、
いきたかったのは
だあれ?』
男性は何も答えなかった。
ゴーン
遠くで除夜の鐘のような酷く鈍く重い音が女性だけに聴こえた。
108回目なのかも知れない。
こんな問いも。
確認も。
信用しようとする
我が儘を
目の前の同じ「人」に向けるのも———
『ねえ、知ってる?
うさぎって自然界だと人参食べようとしないんだって。あと意外とひとりぼっちでも平気みたい』
「それ、どこの情報だよ」
ようやく出来た会話はまた、私を最終的に否定しなくてはいけないようだ。
『今日みたテレビで言ってたよ』
「なんのテレビ?」
「あのテレビってちょっと前に不祥事を起こしていたね」
『ねえ、君は?』『君は、ぼ』
女性は自分を「ぼく」と伝えるか迷って口を閉ざした。どうもこの対面する男性と向き合うには女性にとって「私」は非常に言い辛い単語だった。
女性としての「私」と使うにしても、心身共に成熟した男性として「私」を使うにしても、対面の人には無意味に感じた思い出の方が勝っていた。
それでも咄嗟に出ようとした言葉が「ぼく」だったことに、喜びすら感じでいたことは、きっと彼女にしか分かり得ない体験なのだろう。
思わず口角が優しく上がる。
よかった。
「俺」じゃないなんて、久し振り——
『君は、私に、不祥事は、ないんだね?』
「はいはい。また、それ。
ないですよ。ない、ない。
これでいい?」
『そうだね。ないね』
そう、君は
『俺も、ぼくも、僕も、私も
そうだ、君すらも
ないもんな。
すげえな』
「何が言いたいの」
「いつも分からないように言わないでよ。もっと明確に具体的に順序よく言わないと人には伝わらないよ」
君に伝える言葉を理解してもらえるよう時間をかけて優しくタイミングよく語りかけるたびにすぐさま裏切られたように感じた体験がこの身を支配しているこの状況は、この人にとって不祥事ですらないのだ。
肉親にさえ【関係ない】と言われた悩みから生まれたぼくの言動に、
君も肉親も助けられたのに。
ぼくの労力も成長も奪った。
それもなんとか否定し続けた。
そんな思いに満たされた人間が
そう、ぼくだ。
『ごめんなさい。
申し訳ありません』
白い服すら拒否される世界がほんのり浮かんだが、それももうどうでもいいさ。
ぼくが、私が、そうだ、
悪いなら、それでいい。
なあ、
「悪い」すらぼくのものだ。
ぼくが体験したから会得したんだ。
「悪い」を、はきちがえないでくれ。
君らの声を忘れない。
君らの存在も忘れない。
忘れっぽくても忘れない。
それだけなんだ。
きっとそれだけ。
*
白い服なびかせた女性は、草むらで跳ねるような鳥の声と静寂な闇夜に明るく光る月の世界に迷い込む。
ひたすら心地良く感じる
その場所は
自分と同じような生き物が
やっと肉眼で見つけられた
そんな世界
ここはあの子たちには触れさせない
触れたとて
取り返しのないことに
あの子たちですら
気付くんだ
繰り返すのか 生まれ変わるのか
さあ
ぼくは久し振りに生きたよ。
弱視と異常な聴覚でミツメルカラ
さあ
きかせて。
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