AURORAの季節のあれこれ解釈

※本文はAURORAの季節のネタバレを含みます。クエストを全てクリアし、コンサートまで見たという状態での閲覧をお勧めいたします。

題の通り「自分なりにこう感じた」という解釈です。



1.星の子の原罪


・AURORAさんの世界

コンサートの最初の曲「Exhale Inhare」
何も無い空間に小さな光が蠢いていて、一本の木に集まり花を咲かせる。
花は散り、少し増えた光は集まり光の鳥になる。
光の鳥から光が抜けると、そこからは闇が生える。
抜けた光はマンタになり、またマンタから光が抜け体から闇が生える。
徐々に大きくなる光は、AURORAさんに。
そして、また抜けた光は水面に落ち複数の精霊と星の子へ。
精霊が天に還ると、また一回り大きくなった光が空へ昇る。
雲の上へ足場が隆起し、星の子も雲の上へ。
AURORAさんだった光は雲の上で鳥と舞い、星の子がその様子を眺める。
カメラがズームアウトし、その世界は円形劇場でAURORAさんを包んでいた光の中であった。


光=AURORAさん。光は少しずつ増えながら体の生死を繰り返していく。光が強くなるほど、生死を繰り返すほど闇が増えていく。

最後の方で「私の世界から奪わないでこれ以上」という歌詞がある。
AURORAさんが光ならば、光を奪ったのは精霊だろう。

音楽の旅の最後、精霊たちが滅び、光の生物が生き残る。そして大きく育った光=巨大なAURORAさんが現れる。
光は奪われたが、精霊たちの死により、光はまた大きくなる。

あれ、光って寄生虫みたいだな…?
最終宿主の中で大きくなって、宿主が死んだら出てきて増える…
精霊たちが光を使い奪い合って死んだのも、光に操られてた…?
生物濃縮にも近いものを感じる。


・音楽の旅

星の子はAURORAさん=光と旅をする。
道中魚になったり、鳥になったり、マンタになったり。

群れで過ごす様は雄大で、時には他種も仲間を助ける優しさ、余裕がある。
たくさんの仲間の中で自分を見失うこともあるが、なぜか怖くは無い。群れでいることの安心感を覚える。

捨て地では群れていた蝶が1匹になり、死ばかりの世界を彷徨う。その中で誰かに出会う。
群れであった蝶はこの時に、孤独の怖さ、寂しさ、そして仲間がいる心強さを知ったのではないだろうか。


・精霊のストーリー

今季の精霊さんたちのストーリーには共通点がある。
それは「愛を受け取る」ということだ。

駆け行く旅人は保護者からの愛を貰い、一人でも進む勇気を持った。

覚醒の採掘者は、クラゲたちを追い払っていたが、救ってもらうことで無垢な優しさを受け取り過剰な採掘を辞めた。

慈愛の戦士は、怪我をした騎手からの応援を。

希望の君は、ピンチでも体を張ってくれる仲間を。

そして精霊さんたちは、受け取った愛をAURORAさんへ渡した。


・星の子の所以

精霊さんたちのクエストでは1個人の記憶、音楽の旅では種や自然全体としての記憶を見ることができる。

  • 精霊さんたちの場合…例えば駆け行く旅人さんは、保護者との別れと愛をもらったが故に立ち直る勇気、というように感情の光と闇が濃く表現されている。精霊全体ではなく、1個人にフォーカスを当てている。

  • 音楽の旅の場合…感情の起伏は乏しい。群れから離れれば自分を見つけられるが、それだけ危険に遭いやすい。自身を見失いながら曲は進み、「個が消える」という空虚さと、個体としては弱いながらも群れること種としてはで生き残れる安心感を得られる。

音楽の旅の1匹の蝶となり仲間と再会するシーンで、自身は蝶から星の子へと変化する。
これは精霊の光も吸収した光の塊がAURORAさんの姿(人型)となった様に、光を分け与えられた蝶が精霊の影響を受け人型となった、
つまり星の子は光を通じて精霊と光の生物のハイブリットとして生まれたのではないだろうか。


AURORAさんはその両方を受け取り、音楽の旅で星の子に渡した。
深い愛と、弱さと、優しさを持つ、精霊の姿をした光の生物。
これが星の子なのだろう。

精霊という種は無慈悲で自己中心的な行いをしていた一方、一人一人をみればストーリーがあり、また種としては賢いのだろう。
光の生物たちは1匹1匹か弱いものの、群れで集まり安心感と余裕から優しさを生み、時には散り隠れ、自分を盾にすることで、群れそのものを守ることができる。
AURORAさんはその両方を受け取り、音楽の旅で星の子に渡した。
賢さと深い愛、弱さと優しさを持つ、精霊の姿をした光の生物。
これが星の子なのだろう。
そして星の子はその両方の長所短所を持つのだろう。

・星の子の罪

星の子たちの使命は「星を天に返すこと」であるが、なぜこの使命を負ったのだろうか。
個人的にこれは精霊と光の生物が犯した罪によるのではないかと考える。

精霊たちの罪、狡猾であったこと。
光の生物の罪、無垢であったこと。

虚を作り光を独占した精霊と、何も知らず本能のままに虚へ飛び込んだ光の生物たち。
どちらが欠けていても、虚の事案は起こらなかったのではないだろうか。

故に星の子は罪=使命を背負った。
原罪にて独占した光(羽)を分け与えること。
精霊たちの記憶やsky王国のの失われた歴史を知ること。

強欲さと無垢を改め、優しく知性のある者にならねばと。

しかし幸いなことに、それは精霊と光の生物のお互いの長所であるのだ。

かつて滅んだ生物たちは今も星の子の中で助け合っているのかもしれない。



2.Queendam

コンサートの最後に流れる「Queendam」
元々はLGPTQの方々のための応援歌で、彼らの居場所という意味が強いが、skyの場合は違うと考える。

精霊が滅び、光の生物も多く死に、星の子の新たな時代がやってきた。
そして星の子はAURORAさんの一部でもある。

「いつまでも永遠に私の国が来たる」=「いつまでも永遠に星の子の時代でありますように」

ってAURORAさんが歌ってくれるの、いいね。



3.skyのAURORAさん

・skyのAURORAさん

それっぽいなと思うものを探してみました。

・AURORAさんの「オーロラ(アウロラ)」は暁の女神、知性のシンボル


・観音菩薩
人々が救いを求めるのを聞くとすぐに救う、自在に真理を見通して救う。
ペルシャ語からの類推で、「光輝く者」が本来の意味だったという説も。
(下記のリンクより引用)


あとフレンドさんの言葉を拝借して


4. 自己犠牲と群れと管理者

⓪これを思ったきっかけ

自分は農業や畜産に触れたことがあり、大勢の同じ種の生物を管理する立場にあった。人から見て、管理され小さく弱い命への庇護欲、それが常に湧き管理する原動力となっていた。
しかし、大勢を管理するという立場上、一部を淘汰しなければならい場面もあった。

①自己犠牲と群れ


 小さく非力な種において、群れで生きるという事は種の保存に大きく貢献する。また天敵から狙いを定められにくいという利点もある。

「仲間もしくは自分が食べられても種は残る、種を残すために自己犠牲をする」



②群れと管理者


 自然界を除き、人間が他種に群れを作らせる場合がある。それが農業や林業(植物やキノコ)、畜産や養殖漁業(動物)。
 基本は同じ種を集め、健康体かつ肥えるよう栄養を与え、管理しやすいよう体の作り(摘葉や牛の除角等)を変える。また動物限定であるが、管理者は群れに危害を与えない存在で、この人について行けば良いことがあるという躾も行う。
この利点は、人間は食糧や物資を安定供給できヒトを残せる。
ヒト以外の群れはその群れ自体は必ず全滅するが、確定で種を残せる。
ただこれは、関与しない種への影響を鑑みない場合がある。ここ20年くらいで割と環境への意識が増えてきている印象。

「生態ピラミッドの頂点の維持、群れの全滅と存続」


③自己犠牲と管理者


 管理をする側からの視点。例えば管理する生物の一部に病気が発生したとする。それは放っておくと周りに感染するものだ。
この場合、管理者はこの群れをより多く残すため、それを淘汰する立場にある。
群れそのものしても種の存続のために早期に対応される利点である。

ただこの場合に、管理者の庇護欲が絡んでくる。
この庇護欲というのがとても大事で。
逆にいうならば、庇護欲がなかったら、雑な管理になり人間や管理する群れの存続に大きく関わる。
庇護欲があるからこそ、いち早く群れ全体の違和感に気づき、増幅した危機感により素早く対応する。
しかしこの庇護欲というものが群れの被害に関わることもある。
病気にかかってかわいそうだ、と看病したとて、管理されている種は弱く、同種が密になるため全体に感染しやすい。
つまり管理者は心を鬼にして群れの存続のために1個体を淘汰しなければならない。

群れは1個体を犠牲にし、管理者は心を犠牲にする。

「管理者と群れの関係において、管理者の庇護欲とその犠牲が重要になる」


④skyとの関連

①「仲間もしくは自分が食べられても種は残る、種を残すために自己犠牲をする」

②「生態ピラミッドの頂点の維持、群れの全滅と存続」

③「管理者と群れの関係において、管理者の庇護欲とその犠牲が重要になる」

まとめると「管理者と群れは自己犠牲と庇護欲により成り立ち、互助作用によりどちらも種として存続しやすくなる」


sky(ストーリー内)における管理者と群れの関係において
・精霊と光の生物
・AURORAさんと光の生物(→星の子)
が挙げられる(まだあるかもだけど)

・精霊と光の生物
 sky内で読み取れるのは、マンタを捕獲や使役、虚の罠、楽園、風の街道。
 光を採りすぎて滅びた一方、光の生物たちの住処を作ったり、共存してたり。光の生物たちを部分的に操り、自分達の生活を豊かにしていた。

・AURORAさんと光の生物(→星の子)
 小さな光だったものが大きくなり、小さな光の生物を導く存在となる。その一方、精霊に攻撃するようなそぶりを見せ、結果的に光の生物の存続へ関わる状況を作った。
あの場面、戦うマンタを置いて空高く逃れば被害少なかっただろうなあと思う。庇護欲の暴走?

最終的に精霊っぽい光の生物、大きいAURORAさんと星の子になるのだけど、Queendam=光の国、精霊を滅ぼし生き残った光。
で、コンサートを見ている限りAURORAさんは個人ではなく星の子全体を見ている。
コンサートで星の子を導き、(あえて言い方を悪く書くけど)心を掴み行動も操り、「私について来れば安心だよ」と言わんばかりの管理者っぷり。
虚の事件で精霊が滅びたように、管理者=導くものは対象への庇護欲、愛がなければ滅びてしまう。大きなAURORAさんは光の塊であり、星の子がいてこそ存在でき、群れである星の子もAURORAさんを信頼し時には自己犠牲をしなければ滅びてしまう。

管理者と群れの互助作用。庇護欲と自己犠牲。
これがAURORAさんと星の子が築いた関係なのだろう。

多分ママみを感じた方も多いかもだけど、正確には母性じゃなくて、管理され種が存続できる安心感を本能で感じ取ってたのではないだろうか。
人類は本能的にヒモになりたいのだろうか?

それと星の子は管理される側で淘汰される可能性もあるということで。
sky内の星の子は病気になることはない様なので設定上はその心配はない。
が、嫌がらせや運営に背く行為はBANされるのでね。そういう事ですね。

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