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雑誌衰退の原因はインターネットだけ? 1990年代の雑誌部数を振り返る

雑誌衰退の理由としてインターネットの登場が挙げられることがよくあります。私も概ねそうだとは思うのですが、あまりにも納得性の高い答えだけに、他の要素を見落としているかも知れません。
というのも、私は1990年代後半に更新していた個人ホームページ(「IBMホームページビルダー」が懐かしい)のなかで、女性週刊誌が80年代をピークにすでに衰退期に入っており、理由は何なのか? 男性週刊誌にもこの流れが来るのではないか? という文章を書いていた記憶があるからです。

女性週刊誌のピークは1989年

では早速、女性週刊誌の部数の推移を見てみましょう。「出版指標年報」掲載のABC考査部数をもとにグラフを作成しました。
(ABC部数とは、一般社団法人日本ABC協会が第三者機関として公査・認証した新聞や雑誌などの販売部数です。調査期間内に実際に販売した部数の平均となります)

1989年、「女性自身」(光文社)が95万4872部、「女性セブン」(小学館)が94万1068部を記録しました。これは、どの総合・男性週刊誌も実現したことがない金字塔なのです。
東証株価指数、日経平均株価は1989年12月に最高値を記録しますが、翌1月に暴落し日本経済がバブル崩壊へと向かっていきます。
女性週刊誌の部数も、この年をピークに部数が一本調子で減少していきます。10年後の1999年には、「女性自身」が46万2529部(48%)、「女性セブン」が55万1853部(58%)となりました。
女性週刊誌の一画を占めていた「微笑」(祥伝社)は、1996年には廃刊となってしまいます。ABCの考査は1994年が最後で36万913部でした。
1995年のWindows95発売とはまったく関係がないところで、大きな変化に見舞われていたのです。

男性週刊誌の1990年代は我が世の春だった

一方、男性週刊誌はどうだったかというと、1990年代の男性週刊誌は我が世の春を謳歌していました。

新聞社系週刊誌の「週刊朝日」「サンデー毎日」こそなだらかに衰退して行きましたが「週刊ポスト」が1996年に86万1353部を記録します。
ブームの大きな要因の一つがヘアヌード写真集。1991年に樋口可南子の『water fruit 不測の事態』や宮沢りえの『Santa Fe』などが発売されて火が付きました。ブームに距離を置く「週刊文春」はスクープ路線で話題を集め、1989年に長年のライバル「週刊新潮」を部数で逆転していきます。
考えて見れば、Windows95の発売を契機にインターネットが普及し始めたといっても、その頃のインターネット上のコンテンツは今から思えば脆弱なものがほとんどでした。2000年頃にWEBメディアの運営に乗り出した雑誌もごくごく限られたものでした。個人がネット上で盛んに情報発信するようになったのは、ITバブル崩壊後の2002年あたりからでしょう。

2000年代に入って雑誌の衰退が加速する

2000年代に入ると、週刊誌の部数減が顕著になってきます。以下のグラフはたまたま手元に数字がある雑誌だけで申し訳ないですが、いずれも一本調子に部数を下げています。

つまり、2000年以降の週刊誌については、インターネットによる影響が顕著になってきたと考えていいのでしょう。

なぜ雑誌のピークは1995年だったのか?

では、雑誌全体で見た場合に、部数のピークはいつだったのでしょうか?

実は1995年なのです。月刊誌、週刊誌をあわせて39億1060部が販売されました。(「出版指標年報」による)
Windows95が発売されたとはいえ、インターネット上のコンテンツが雑誌とは比較にならないほど脆弱だった時代に、すでに日本の雑誌はピークアウトしていたのです。

おそらく、それぞれの雑誌、例えばファッション誌はファッション誌で、パソコン雑誌、情報誌、レシピ雑誌、学年誌や育児誌にもそれぞれ、ピークアウトの時期や理由があるはずです。

「インターネットの登場が雑誌を衰退させた」という見方は間違いではないものの、それだけで事足れりとしてしまうと、その他の隠れた要因を見落としてしまうのかも知れません。
ひょっとしたら、それでも雑誌が持つ魅力とは何かということについても。

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