#84 親とは目の上のたんこぶ
帰り道に寄った神社の境内の銀杏。
あんまり色付いてないのはなんでかな?と不思議に思って覗いてみた。
艶やかな緑色をした銀杏の木は
大人4〜5人が手を繋いでやっと繋がれるくらいの大きな大きな枯木の
真ん中から育った銀杏の木だった。
周囲の銀杏の木はほんのり黄色く色付いてきてるのに。
暖かいんだろうか?
しっかり抱きしめられて育つのを嬉しい、温かいと感じているのか
誰も幹を触れてくれないもどかしいと感じているのか?
あ、、銀杏は何も感じてないのか???
厨房に帰ってきて、たくさん買ってきたお野菜たちを
大きな冷蔵庫に入れていたら
冷蔵庫脇のメモを留めるための磁石とメモが隙間の奥に落ちていた。
あら、拾って置いてあげようと
手をう〜ん伸ばして、やった、届いた👌と立ち上がる途中に
ゴチンっと頭をぶつける私。
「〇〇しておいてあげよう」という恩着せがましい上からの態度が
頭をぶつけさせるのか?
もう、、、ほんとによく頭をぶつける私。
頭をぶつけた武勇伝自慢しまくりたいほどいっぱいある。
はぁ〜〜〜、、やれやれ。
痛いという感覚、、、
痛く無い状態で居たから感じる感覚。
麻酔をしていたら痛みは無い。
でも麻酔が切れた時に感じる鈍い痛み。。。。。
この鈍痛もそうじゃ無い状態を知ってるから感じる。
なるほど。同じように考えてゆくと…
自由とは、煩わしく思うからわかる境界線。
幸せとは苦しみを知った人が知る思い。
愛しいとは寂しいという思いを持っているから感じる思い。
生きるとは死ぬとわかっているから見える景色。
共感も孤立も
笑うも怒るも、、、
どの感情もひとつひとつ味わっていられるのって
神様?ご先祖さま??天???からの恵みなのかも。
そう思い色々気を逸らせてみるが頭のたんこぶはやっぱり痛い。
今日もやっぱり目の前のことしか見えず、
目の上のたんこぶには気づかぬタイプ。