見出し画像

もともとは節目の年のお祝いだった!? 厄年の過ごし方

厄年《やくどし》

 こうした話を最初にするのは野暮かもしれませんが、厄年というものには科学的な根拠がありません。気にしないなら、それに越したことはないように思います。

 ただ、縁起をかついで、お参りしたり、ならわしやしきたりを採り入れたりするのも楽しいものです。

 迷信だとはわかっているけど、ちょっと気になるし、気持ちよく一年を過ごしたいからお参りしておこうかな、というのもそれはそれで自分自身を大切にする選択ではないでしょうか。当たり前の話かもしれませんが、信じるも信じないもその人の自由です。

 それにしても、いったい厄年って何でしょう。なぜ厄年があるのでしょう。


厄年の年齢

 いわゆる厄年というのは、災厄に遭いやすいとされる年齢(数え年※)のことをいいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 男性は、25歳、42歳、61歳。
 女性は、19歳、33歳、37歳。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 男性の42歳と女性の33歳は、とくに気をつけたほうがいい大厄《たいやく》とされ、その前後の年齢にも用心が必要といわれます。男性の41歳、女性の32歳が前厄《まえやく》。男性の43歳、女性の34歳が後厄《あとやく》となっています。

 ただ、なぜこの年齢が厄年なのかについては、柳田國男監修の『民俗学辞典』をひもとくと、42歳は「死に」、33歳は「さんざん」の語呂合わせから来ているという見方もあるようです。大厄といわれるとびっくりしてしまいますが、語呂合わせだと思えば、あまり心配する必要はなさそうですね。

 あくまで男性の40代前半、女性の30代前半は、ちょうど負担や疲労がたまりやすい頃だから、心身をいたわって過ごすのが望ましい目安の時期かもしれないな、ぐらいに受け止めておけば十分ではないでしょうか。

※厄年を数え年とするところが多く見られますが、地方や神社などによっては満年齢で数えるところもあるようです。61歳を女性の厄年とみなすかどうか、前厄や後厄の捉え方などもさまざまです。


厄除け《やくよけ》・厄払い《やくばらい》

 厄年を迎えたとき、お寺で祈祷《きとう》をしてもらうのが、厄除けです。

 同じく神社にお参りして、おはらいをしてもらうことを厄払いといいます。

 新年から節分までに行くのがよいとされますが、たしかにせっかく厄除け・厄払いしてもらうなら、年の初めに行くほうが一年を安心して過ごせそうです。ただ、この時期を過ぎても、なんの問題もありません。

 厄年になる年の初めに、家族や親戚を招いてごちそうをふるまったり、わざと自分の大切なものや普段身につけていたものを手放したりして、厄落としするならわしもあるようです。


結婚・引っ越し・長旅・起業

 ちなみに厄年には、結婚や引っ越し、遠方への旅行、起業などを控えたほうがいい、などといった言いならわしもありますが、また一方では、厄年には気に病みすぎてはいけない、ともいいます。気にしないのが一番のようです。

 それぞれの人が心のままに多様な生き方を自由に選び取り、おたがいに受け入れあう現代で、いつ結婚してもしなくても、いつ引っ越ししても、旅行しても、起業しても、それはもちろん自由です。何も差し支えありません。たとえばいまの時代、新幹線も飛行機もあるわけですから、長旅が大変というのも昔の話ではないでしょうか。

 むしろ、大きな決断や、普段よりエネルギーの要ることをするときに、よし、慎重に事を進めよう、と気持ちを引き締めるきっかけとして受け止めるだけでも十分だと思います。

 次のところでお話ししますが、どうやらもともと厄年は、生まれ年の干支がめぐってきたお祝い(年祝い)に由来する、という説があるくらいですから。もしそうだとしたら、お祝いするのにぴったりの年ということにもなりそうです。


厄年のはじまりは、年祝い

 人の一生を考えてみると、たしかに人生には節目や転機があるように思えます。そんなときは慎重に、よく考えることが大事だと言われたら、うなずけるところがあります。

 厄年というのも、そういった意味合いなのかもしれません。

 では、人生の節目や転機はいつなのかといえば、それはもう、人それぞれとしか言いようがありません。

 ただ、昔は、いまほど生き方が多様ではなかったでしょうから、ある程度、人生の道すじのようなものがあり、何歳ごろに節目や転機が訪れやすいといった目安が、人々の間で共有されていた面もあっただろうと想像されます。

 そんな目安の一つに、干支《えと》がありました。

 干支がひとめぐりする年を節目として、家族や親戚で集まって宴をひらく、年祝い《としいわい》をする慣習が、たとえば沖縄ではいまも行なわれています。かつては九州でもあったそうです。

 干支が一周したね、おめでとう、どうかこれからも健康で長生きしてね、と祝福するのが年祝いです。

 一説には、この年祝いが、厄年の由来ではないか、と見られています。

 厄年とされる数え年の25歳、37歳、61歳というのは、生まれ年の干支がめぐってくる年です。

 ちょうど干支がめぐってくるたびに、ぶじに生きてこられたことに感謝し、これからも健やかに長生きできるように願う年祝いの慣習が、節目の年には慎んで過ごすべきという意味合いを強め、やがて厄年へと転じていった、という説です。

 そう考えてみると、年初めに家族や親戚にごちそうをふるまう厄落としも、年祝いの宴と重なります。干支のめぐりと一致しない33歳や42歳は、語呂合わせだとする見方があるのは前述したとおりです。


物忌み《ものいみ》と厄年

 昔は、干支がめぐってきた人が、その年に行なわれる神事で、神さま役を務めたといいます。神さま役をしっかり果たせるように、派手なことはせず、忌み慎んで過ごす慣習もあったようです。

 これを物忌みといって、たとえば節目の行事や稲刈りなど、大事なできごとの前にも、やはり忌み慎んで暮らすものとされました。

 神さま役を担う干支の年から派生して厄年ができた、という説にも説得力があるように思われます。

人生の楽しみ

 厄年の由来が何にせよ、ある年齢にさしかかったとき、いったん立ち止まることの大切さについては考えさせられるものがあります。

「あなたは25歳になったんだね」「33歳までよくがんばったね」「37歳おめでとう」「42歳おめでとう」「61歳、還暦おめでとう」⋯⋯。

 年祝いにかぎった話でもないと思うのですが、そもそも人が何歳を迎えるにしても、一つ歳を重ねたとき、まず最初に贈られるべきなのは祝福の言葉ではないでしょうか。

 そのうえで、30代、40代、60代の前半というのは、自分の人生を生きる上で、地に足をつけて、一日一日大切に過ごす時期と捉えてみるのもわるくないかもしれません。

 19歳や25歳なら、もちろん人それぞれですが、学校を卒業したり、社会に出て日々がんばっていたりする時期でもあるでしょうから、心機一転の良い機会と受け止めることもできそうです。

 人生の節目を迎えるあなたにとって、大切なのは、あなたの人生です。

 もともとは年祝いだったとしたらなおさら、厄年のことは、ちょっとした人生のアクセントとして、自分を祝福したり、心機一転と考えたり、心身をいたわったりする頃合いと思っておくのはいかがでしょうか。

参考文献:柳田國男監修、民俗学研究所編『民俗学辞典』(東京堂出版)


【プロフィール】
白井明大

詩人。1970年生まれ。詩集に『心を縫う』(詩学社)、『生きようと生きるほうへ』(思潮社、第25回丸山豊記念現代詩賞)など。『日本の七十二侯を楽しむ』(増補新装版、絵・有賀一広、KADOKAWA)が静かな旧暦ブームを呼んでベストセラーに。季節のうたを綴った絵本『えほん七十二候はるなつあきふゆめぐるぐる』(絵・くぼあやこ、講談社)や、春夏秋冬の童謡をたどる『歌声は贈りもの』(絵・辻恵子、歌・村松稔之、福音館書店)、詩画集『いまきみがきみであることを』(画・カシワイ、書肆侃々房)、など著書多数。近著に、憲法の前文などを詩訳した『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)、絵本『わたしは きめた 日本の憲法 最初の話』(絵・阿部海太、ほるぷ出版)


写真:PIXTA