罪悪感の裏には、母の愛がある
2022年年末。旦那は飲み会に多く行くタイプではないが、それでも行った日には小言を言いたくなるのが嫁の性分というものだろうか。
昨日も「私はここ5年、忘年会に行っていない」と旦那にイヤミを言ったものの、なんだか二人で笑ってしまった。「あかねちゃん、行ってないんじゃなくて、誘われていないんだよ(笑)」と、旦那がいらない説明を重ねてきて、さらに笑った。でも、どこかで私はそんな生活を望んでいたのだとも思う。
母になっても、飲み会に行ったり、仕事をバリバリする人に憧れる。
でも、どうしても私は罪悪感が勝ってしまい、家族を残して家を出ていくことができなくなっていた。「罪悪感の裏には愛がある」と思えば、私は子供たちを愛しているのだと自分を肯定できたけど、なんとなく交友関係を絶ちがちな自分の世界がせまくなっているようで、これでいいのかと自問する。でも、きっと母ってこういうものなのだと思う。子供を愛している限り、常に罪悪感と共に暮らしていくのだろうな。
私はいま、第三子を妊娠中だ。妊娠が分かった時、喜びよりも不安が勝った自分にショックを受けた。本当は心から嬉しかったのに、いけないことをしてしまったような罪悪感を覚えた。
旦那は一年半前に刑事告訴され、年末にやっと不起訴が決まった。ことがことなのでおおっぴらに相談できず、本当にいろんなことに悩んで、家族として一緒に生きていくことを迷った。でも、ブレるほどに何も手につかなくなるので、だましだましやってきた。そこで出した答えは、家族をやめないという選択だった。なんでもありなこの世の中だけど、私は家族でいることを選んだ。
きっと、複雑な感情はこの名残から生まれたんだろうな。あとは、単純に身寄りがいない山暮らしで、子供三人を育てられる自信がないってこと。きっと大変な毎日が待っていることは間違いない。でも、私は幸せな未来にかけてみたんだ。
向こう10年。きっと私は母業をメインにするんだろうな。仕事も、趣味も、旅行もぜんぶやりたいけど、母は私しかいないのだと思うと、あきらめなければいけないこともある。
世の中、あきらめないことが美徳とか、ほしい人生は手に入れるとか、母でも〇〇とか、いろんな価値観がある。でも、私はそれは頑張れないってうすうす気づいているから、私は私なりの幸せな生き方を見つけていこうと思う。
母がご機嫌でいることが、家庭の幸せだしね。
2023年はやるべきことを最小限に、母業をしていこうと思う。
といいつつ、いちごがり写真館オープンを3日後に控え、今から絶賛つわりゲロゲロな体にムチ打って準備してくるのである。社長が休ませてくれないって怒りもありつつ、いちごがり写真館はプライド持ってまっとうしたいからね。本気でやらないと罪悪感を感じてしまう。うん、きちんと農園も愛しているんだな。
なんだか雑な日記になったけど、なんとなくいい締めくくりになった。
2022年を具体的に振り返ろうとしたけど、もういいかな。全体的にいろいろ本気で頑張って、それなりに結果がでた1年だったよ。
では、みなさんも良いお年を!