「知らない人と向かい合って、2分間、目を合わせられますか?」アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチの考える「自分を変える」必要性
《The Artist In Present》
2010年3月14日から5月30日に《The Artist In Present》というパフォーマンス作品が発表された。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で1人のアーティストがただ黙って椅子に座り続けている。アーティストの向かいには椅子が置かれており、観客は自由に座り、アーティストと向かい合って座ることができる。2か月以上、休館日の火曜日を除いた総日数67日間パフォーマンスは行われた。
パフォーマンスを行ったアーティストのマリーナ・アブラモヴィッチ(1946年~)は、現代美術の世界で広く知られている。1970年代から自身の身体を用いたパフォーマンス作品を制作し続けており、自傷行為により自身の心身の限界を探った過激なパフォーマンス(有名な作品は《リズム0》)や、恋人だったウーライとの信頼関係を試す作品(有名な作品は《The Great Wall Walk》)は今も美術史の中で語り継がれている。
《The Artist In Present》の様子は、写真家マルコ・アネッリにより撮影され、現在もウェブサイトFlickerで公開されている(ページはこちら)。サイトには、パフォーマンスの参加者やマリーナ・アブラモヴィッチの表情が3010枚も公開されている。
アネッリの写真を見ると、年齢層は子どもから大人まで様々。見つめ合った時間も記されており、2分の人から数時間の人もいる。注目すべきは、涙を流している人も多いことだ。マリーナ・アブラモヴィッチ自身も涙を流している。一方で、少しほほえみを見せている人もいる。
なぜ見つめ合うということで、感情が動くのだろうか。
自分の中にしか逃げ場がない
マリーナ・アブラモヴィッチは、2015年に公開されたTEDで、自身の1970年代から現在までの活動を振り返ってスピーチを行った。スピーチでは、《The Artist In Present》についても触れている。
スピーチの中で、公の場で人と見つめ合うことで「自分の中にしか逃げ場がなくなる」と話している。
「彼らは他の人たちに観察され、写真を取られ、ビデオに録画され、私に見られているため自分の中にしか逃げ場はなくなります。これが重要なのです。大きな痛みや孤独を感じるのです。他者の目を見ていると、すごいことが起こります。一言も言葉を交わさずに赤の他人と見つめ合っていると、あらゆることが起こるのです」
原文:They are observed by the other people, they’re photographed, they’re filmed by the camera, they’re observed by me and they have nowhere to escape except in themselves. And that makes a difference. There was so much pain and loneliness, there’s so much incredible things when you look in somebody else’s eyes, because in the gaze with that total stranger, that you never even say one word — everything happened.
参加者は自分の中にしか逃げ場がないにも関わらず、人に見られ続けている。相手との会話ができないことが一層、痛みや孤独に影響しているだろう。もちろん孤独に感じない人や孤独を楽しみ微笑んでいる人もいるかもしれない。が、多くの参加者が涙を流している。相手を見つめているが、本当に見ているのは相手ではなく、実は自分のコンプレックスなのかもしれない。
《Artist in present》は見つめ合うという日常行為でありつつ、表層的なつながりの中で人が孤独を感じることを露わにしたのだ。
これはD・リースマンが1950年に執筆した「孤独なる群衆」の問題に近い。「孤独なる群衆」は産業化社会の中、見かけ上は社交的でも、内面は孤立している状態となることを言う。現代では、SNSが普及し、人と繋がっているにも関わらず孤独を感じる「つながり孤独」という社会問題が挙げられてもいる。
世の中を間違っていると批判することは簡単だが
マリーナ・アブラモヴィッチは、TEDのスピーチの最後に、「隣にいる知らない人と向かい合って、2分間、目を合わせられますか?」と聞き、《The Artist In Present》と同じく、聴講者に隣同士で見つめ合うパフォーマンスを行わせた。
2分と短い時間ではあるが、痛みや孤独を伴うパフォーマンスと知り、それを聴講者に伝えた上でもこのパフォーマンスを行ったのである。
TEDスピーチでのパフォーマンス前には、「私たちは個人レベルでどう役立てるのか?」(原文:But what we do on the personal level — what is our contribution to this whole thing?)と、マリーナ・アブラモヴィッチは問いを投げかけている。
目を合わせる。ただそれだけで不安や孤独になる。しかし、社会を変えていくために、まず自己の不安や孤独に向き合うべきなのかもしれない。
世の中の大きな課題は、辿れば1人1人の課題と繋がっている。逆に、目を合わせるという日常的にできる変化も、世の中の大きな課題に対して目をつぶらず取り組むための強さや1歩となっていくのだろう。少なくともマリーナ・アブラモヴィッチがそう強く信じていると感じられる作品だ。今、自分たちが日常にどんな変化を作るべきか考えさせられる。
執筆者:石田高大
編集者:河辺泰知、金井薔那奈、原野百々恵