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「自然」ってどこにある? 「自然」という言葉に突っかかってきた教授

/違和感ポイント/
過去に「環境」や「自然」という言葉を使っただけで教授に怒られたことがあります。当時全く意味が分からなかったのですが、現在は自分なりに答えが見つかりました。今だから思う怒られた理由について考えをめぐらしてみました。

「「自然」や「環境」って言葉の使い方は気をつけろよ」

もう5年前の話です。当時、私は国立大学の農学部で、大学3年生からは緑地の保全・創出計画について学ぶ学科に在籍していました。都市や里山の保全、砂漠の緑化などついての講義の他、実際に農村を見学しに行ったり、造園を体験したりしました。幅広く地域の緑について学ぶ学科です。

授業の1つ キャンパス内の樹木について調査(本人提供)

その学科では大学3年生の1年間に渡る授業があります。少人数の実習型で、自然環境の視点も含めて町づくりを計画し、最後にはプレゼンを行うものです。他大学の教授が担当でした。その方は、公園・広場など町の公共空間の設計などのデザインを研究し、過去に建築プロジェクトにも携わってきた経験を持つ人物です。

初回の授業ではまず自己紹介がありました。学生は名前やこの学科を選んだ理由を話すことになりました。教授は生徒が自己紹介をしている途中、何度も口を挟み、質問を増やしました。

私の番です。私は自分の地元・富山にある田舎の風景が心落ち着く場所で好きだったことからこの学科を選んだことを話そうとしました。

地元の富山にて (撮影:石田)

私「石田です。学科を選んだ理由は「自然」が好きで…」
教授「自然って何よ」
私「えーと、自分は出身が富山でそこにある田んぼが多くて、そういう場所が好きなので、環境問題にも興味があって…」
教授「ん?「環境」って何よ」
私「え、それはそういう風景というか自然というか…」
教授「だからそれはどういうことよ」
私「え…」
教授「「自然」や「環境」って言葉の使い方は気をつけろよ」

他の学生もいる中ですが、教授はなぜか「環境」や「自然」という言葉に対していきなり厳しく注意してきました。その後も、教授からの問い詰めは続きました。「趣味は何か」「将来何がしたいのか」などを聞かれ、上手く説明できずにいました。終いには、

「お前この1年頑張れよ」

と言ってきました。何を頑張ればいいのかも分かりませんでしたが、「自然」や「環境」って言葉を教授の前で使うと、めんどくさくなることだけは分かりました。教授はその後の授業も厳しく、落ち込むと「これから学会とかになるとこんなもんじゃないぞ」と言ってくる人で、話し方も皮肉が多かったです。

教授はなぜ怒ったのか?

当時授業で制作した生垣 (本人提供)

なぜ教授は「自然」や「環境」という言葉に怒ったのでしょうか。

教授がその答えをくれた訳ではありませんが、「自然とは何か」「環境とは何か」という問いに対して、当時私は深く考えていなかったと思います。

「自然」には辞書で調べてもいくつかの意味が出てきます(goo辞書 )。さらに詳しく調べると、「 自然」はかつて中国から言葉が伝わり、「自ずから」という意味で使われていました。「自然な感じ」のように「人為の加わらない」様子を示します。しかし、明治にNatureという英語の略語に「自然」が使われました。するとNatureの表す「天地」や「万物」を示し、大地や木々などを「自然」と言うようになりました。(『日本人にとって自然とは何か』(宇根豊))現代はこの二つの意味が混じり合い、「自然」の意味が多様化しています。

そして、「環境」は辞書には例えば「まわりを取り巻く周囲の状態や世界」とあります(goo辞書より)。しかし「まわりを取り巻く」ものは無限にあります。地球温暖化や炭素問題が「環境」問題として言われますが、「育った環境がよかった」とか「職場環境の改善」のようにも使われる曖昧な言葉です。

何が自然で、何が環境かは、人や社会によって違います。結局は自分で定義を持たないと突っ込まれることがある訳です。

とは言っても昔の自分が、「自然」と言われて思い浮かべる場所はずっと地元の富山の田舎にある風景、広がる田、川、森ばかりでした。また、私がとある友人に「自然って言われて思い浮かぶ場所は?」と聞いた所、「アフリカ」なんて答えが返ってきたこともあります。

「自然」や「環境」と言われると広大な場所、大きな場所を思い浮かべる人は多いのかもしれません。

街中に咲く花が話かけてくれるように

私が新たな視点を持ったのは、とある写真家さんの個展です。

その写真展では、写真家さんが日々の街中の路端にて出会う花の写真が飾られていました。写真家さんは、パートナーと毎日花の写真を送り合うようになり、花の名前も知らないまま写真を撮っていました。気づくと、花が自分に話しかけてくれるようになったのです。そんな写真展でした。

私は偶然その展示を見ることができたのですが、そのさりげない花の写真に惹かれ、少し高かったのですが写真集を買いました。ギャラリーにいた写真家さんにサインを貰いました。そして、私も花に全然詳しくありませんが、その日から街を歩いていると花が気にかかるようになりました。自分の地元にあるような大きな「自然」風景も、街中で見かけるちょっとした花や木という「自然」も愛おしく見えてきます。

(購入した写真集『それを僕は、愛と呼ぶことにした。 』より)

このように、個人の一体験で捉え方が変わってしまうほど「自然」という言葉は広義の意味を持つのです。あなたが「自然」や「環境」という言葉を使う時は、どのような時でしょうか?

私はさりげなく咲いてる花を見ると写真を撮ってしまったり、花の好きな友達との仲が深まったりなんてことも増えたこの頃です。

(写真集『それを僕は、愛と呼ぶことにした。 』より)

執筆者:石田高大/Takahiro Ishida
編集者:原野百々恵/Momoe Harano、 三井滉大/Kodai Mitsui

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