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高校中退をきっかけにポジティブな生き方を見つけた話

生きるためにはお金が必要で、なんらかの手段で稼ぐことになる。それは万人に当てはまる枷である。稼ぐこと自体は人生の全てではないが、人生の一部だ。また、どんな人生を送ろうと模索することに終わりはなく老若男女に平等に与えられている。このnoteでは私が出会った素敵な人物の人生について綴ろうと思う。

今回は名門私立中高一貫校を中退をきっかけにポジティブな生き方を進んでいる株式会社math channel取締役の才津葵(さいつ・あおい)さんを紹介する。

どうしても学校へ行けない。名門の中高一貫校を中退

──どんな子供時代を送ったのですか?


私は小学生の頃は勉強が楽しくて好きな子でした。自分のまだ知らない知識を得られることが楽しく、難しい問題がとけて花丸をもらう瞬間も大好きでした。

中学受験もそのための塾通いも自分から親へ提案しました。学びの楽しさを私に教えてくれた原体験は小学生のときの塾通いだと思います。塾は仲間もたくさんでき、先生たちも個性的で授業もとても楽しかったです。
中学受験の結果は第一志望に合格。

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そうして通うことになった中高一貫校の中等部。世間ではお嬢様学校のイメージもありますが、キャリア思考を持つ子がとても多く集まる学校です。
中学生は一般的に多感で未熟な時期といわれますが、私は中学に入学してから徐々に勉学でも容姿でも同級生に引目を感じるようになりました。中学2年生時に、ひょんなことがきっかけでクラスでほとんど口を聞ける人がいなくなってしまった時期もありました。中学3年生頃には人が怖くなってしまい、学校に行けても月に1度の保健室登校。「学校へ行きたい」という気持ちがなくなってしまっていました。
高等部への進学はできたものの、ほとんど通うことはありませんでした。

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<写真は中学1年生から3年生>

両親には心配されました。私は一人っ子だったこともあり愛情も心配も一身に受けていました。せっかく入った進学校からドロップアウトしかけている私への期待の落差はあったと思います。
両親は学校に行かない私を常に気にしていました。

当時15歳の私には外に居場所もなく、家にいるしかありません。引きこもる私と両親はよくぶつかりました。どうして学校に行けないのかと問われることも、学校に行ってくれないか、と懇願されることもありました。
私自身も悩んでいる問題で、学校へ行けない原因をうまく言語化し両親へも自分へも説明することができずフラストレーションを抱えました。

当時はまだガラケーの時代ではありましたが、インターネットはすでに発達し始めていたので、外の世界の情報を集めることはしていました。ただ私が中学生だった2005年前後はインターネットを検索しても、不登校や引きこもり後の人生をどう歩めば良いのか情報はなく、ロールモデルとなるような人物の情報もヒットしませんでした。

ポジティブに生きるために高校を中退

──高等部中退を決めたきっかけを教えてください

ある日、高卒認定(高等学校卒業程度認定試験。旧大検)の存在を知りました。これもインターネットで見つけた情報です。
大学には行きたかったんです。幼少期からTVドラマの中で仕事で活躍する女性を見て憧れがあったのと、女性であっても自分で稼いで生きたいという思いがありました。
そのようなキャリアを歩むためには、大学まで卒業しているからこそ活躍できる権利を得られるのだと当時の自分は感じていたのです。

高卒認定の情報を知り、そうか、高校に行かなくても大学に行けるのか。高校やめちゃって良いなと決断。決めたら即行動したかった私は、両親に相談。両親も娘の私にどんなポジティブな生き方があるだろうと模索してくれており、大学には行きたいという私の気持ちを応援してくれました。
そうして高校をやめたところ、肝がすわりました。

普通の高校生が怖い反面、羨ましかった

──大学受験用の勉強はどう対策されたのですか?

高卒認定向けの対策は、まずは河合塾COSMOに通って勉強しました。通っていたのは不登校になってしまったり中退してしまった子たち。私も含め私立の学校に行ったものの合わずに辞めてしまった子も多かった印象です。

通信制高校も検討したのですが高校を卒業する事自体向けに特化し、大学進学までのサポートを受けるためには少し違うように感じ、大学受験を踏まえた上での勉強ができるところを検討。高卒認定を16歳で取得したあとは、アルバイトをしながら普通の予備校へ通いました。

当時、目指していたのは国立大学でした。

今思うと非常に子供らしい考えなのですが、高校中退した自分の人生をどう逆転させるかを考えると良い大学に行くしかない。しかも自分なりのしっかりとした考えを持って、自立して働いている女性いわゆる「バリキャリ女子」になるためには、高校中退の経歴を塗り替えるほど良い学校歴が必要なんだと思い込んでいたのです。

しかし、予備校には多くの同年代が集まります。周囲は高校の所属がある中、私だけ浮いた存在でした。年齢的にも浪人生のクラスにいるのではなく現役生のクラスにいるのに、制服を着ているわけでもなく、話しかけてみると学校はやめたと言っている。
当時もまだ「人が怖い」感覚が残っていたため、制服を着て学校生活を謳歌している皆がとても羨ましく、そして怖かった。自分のマインド上、勉強だけに集中出来る状況ではありませんでした。

結果として第一志望の国立大学は不合格。もう1年かけて予備校へ行くより大学生になって新しい経験を積んだほうが良いと思い、現役で受かった私立大学への進学を決めました。

興味のあることを次々と試した

──大学生活はいかがでしたか?

大学生になったら、興味のあることはなんでもやろうと思いました。

なにせ「人が怖い」からスタートの私。普通の中高生の生活を送らなかった私は、同年代の人と関わることが新鮮でした。でも大学生が楽なのは、基本的に付き合いたい人と付き合っていれば良かったところ。

大学生だからできることも多く、「働く」ことに興味がありアルバイトとインターンで大学の外の活動をしました。具体的にはアルバイトでは学習塾のチューターや教務補助、家庭教師といった教育系の仕事から、化粧品や携帯ショップの販売。インターンではIT企業や国会議員、教育系スタートアップ企業なども経験しました。


大学3年生になると迫りくるは就職活動。安直ですが、その頃の私の目指したい社会人像はざっくりと「お金と稼ぐ実力を両方をもつ」ことです。
この頃も、「バリキャリ女子」への憧れがありました。大学生になってから感じたのは、女性だからこそ10年後の自分がどうなっているかは外的要因が大きく、見えづらい。だからこそ20代のうちに自分の経験を蓄えておきたいと考えたのです。20代のうちにどれだけ成長できているかが重要だと。

そう考えていた矢先に大学3年の夏に入社試験の選考を兼ねた短期インターンにチャレンジしたIT系メガベンチャーから内定をもらいました。残り1年半の大学生活で他にもやりたいことがあること、そして求めていた「お金」と「稼ぐ実力を身に着ける環境」という要素を満たせていることからそのメガベンチャーへの就職を決めました。

いま考えると、即断即決だったので、もう少しいろいろな会社を見てから自分の歩む道を決める方法もあったのでは、と思うこともあります。
しかし、当時は自分に自信がなかったのですよね。どうしても高校中退であることが企業から良い反応をもらえるとは思えなかったんです。就職活動を勝ち抜けるのはそれまでの人生に全部に花丸がついているような人生を歩んでいる学生だと思い込みがありました。

サラリーマンとして組織で働く難しさを感じる

──社会人になって、いかがでしたか?

1社目のIT系メガベンチャーは希望どおり営業として配属されました。
最初の仕事は大手企業向けに会計システムを販売すること。大手企業の会計システムは仕組みが本当に難しくて、わからないことをひたすら自分なりに理解し落とし込むところからのスタート。大きなサービスを提供するためには様々な立場の人が関わるんだ、ということを深く学びました。2年ほど営業と、その次の2年を営業企画としてがむしゃらに働いていたのですが、会社自体の環境変化も激しく、心身に影響が出てしまいました。頑張りすぎてしまったんですね。そうして1度、1ヶ月休職しました。職場に戻ったものの前のように気持ちだけで無理して働くことができなくなってしまい、まずは環境を変えて新しいことを始めてみようとまた即断即決で退職を決意。それが2017年の夏です。

少しの間休養の期間を置いた上で転職活動をし、2社目は2017年秋に転職しました。
1社目の経験で、コミュニケーションを通して組織づくりを促進し、会社の成長に寄与することに興味関心がわき、人とのコミュニケーションから組織へコンサルティングを行う会社へアプローチしたところ2社から内定をいただきました。

これまでの原体験を昇華させるためにmath channelを創っていくことを決意

──math channelはどんな会社ですか?

株式会社math channelの目的は算数・数学を楽しさを様々な方法で伝えることです。
よく算数・数学というと机と紙の上だけの世界のようですがそうではなく、物事を正確に捉えたり伝えたりするための基礎となる題材が沢山詰まっている分野です。
さらに子供だけでなく、大人も学び直しや趣味として楽しむことができる分野でもあります。

具体的な事業としては下記3つを行っています。

・算数・数学の楽しさを伝える教室、ワークショップ、アフタースクール
・商業施設、科学館、教育機関等へ出張型の算数・数学のワークショップ・イベント提供
オリジナルの算数クイズの制作やyoutube動画の配信などのコンテンツ提供

日常の発見が、算数・数学の知識を通して、より大きな発見や学びへとつながります。そのたえの基礎となる知識や視点や発想が身につく体験の場を提供しています。

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math channel代表の横山との出会いは思いがけないタイミングでした。
2017年に1社目を退職したあと、転職活動であるベンチャー企業の転職アプリを使っていたのですが、そのマーケティング担当者と話すことがあり、私の転職活動の一環として自分の上司と話す機会を作ってくれました。その際に面談したのが当時「数学のお兄さん」としても活動していた横山明日希です。

本来であればITベンチャー界隈で働く人間同士の会話となるはずが、本当にたまたまですが、当時の横山は既に算数・数学の「学び」についての活動も本業と並行して動いており、私自身もこれまでの原体験から多くの子どもたちに学びの選択肢を広げたい、学びの楽しさを伝えたい思いがあり意気投合したんです。
そうして他のスキルを持ったメンバーも含め4人ほどで一緒にmath channelという団体を作ることになりました。

転職先の会社と並行してmath channelの活動も少しずつ動かしていたのですが、すべてをやりきることの難しさを感じるようになりました。
自分が人生でやりたいことを整理した結果、math channelを中心に仕事内容を整えたいとおもったこともあり、2社目の会社は退職しました。そこからは教育系ベンチャーやFintech(フィンテック:Finance(金融)とTechnology(技術)を組み合わせた造語)企業のお手伝いをさせて頂く機会も頂き視野を広げつつ、今に至ります。

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学び直しと、人生の後輩のロールモデルになる決意

──今後の目標を教えてください
学び直しをしたい
20代は目一杯やりたいことをやりました。よくよく考えれば働きすぎて体調を崩したこともあり、無鉄砲な失敗もしながらアウトプットをし続けました。もちろん20代の頃のできる範囲ですが。

そうして振り返ると勉強をしなおしてみたいです。

20代はとても充実した日々ではありましたが、がむしゃらに過ごしたことで、アウトプットが多く、インプットが少ない日々でもありました。
経営を始めると、組織づくりからマーケティング、経理や労務なども含めて、たくさん学びたいことと知りたいことが出てきます。math channelにも自分自身の興味関心にもプラスになるような学びを得ていきたいです。いま注力している分野は経営管理です。一般に教育事業のマネタイズ化は難しいと言われますが、勉強して知識を得て、強い経営体制を作っていきたいと思います。

30歳今の私にとって学ぶことは、小学生時代の感覚に近い「ワクワクする」ものになっています。10代の一時期、勉強することがただただ「苦しい」と思ったこともあります。しかし、今は勉強とは「知識を得る楽しさ」と「知識を使いこなして世界が広がる嬉しさ」を得られる機会と捉えています
このきっかけは多くの人が平等に持てるものだと思います。

こんな風に私が学ぶ楽しさに再度出会えたのは、math channelの事業を通じ、算数・数学が好きな方々ともたくさん出会えたことによります。皆さん純粋に算数、数学を楽しみ、その世界にワクワクしています。「知りたい」という欲求に純粋に向き合い、構えずに楽しんでいる様が素敵に感じ影響を受けました。

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次世代のロールモデルになりたい

併せて、次世代の人に「こんな生き方もあるんだ」と思ってもらいたいです。10代から20代前半の私自身が悩んだことの一つが、自分と同じような道を歩んだロールモデルがいない事でした。なので、私自身がその役割を担うことができれば良いなと考えています。

中退やその後のことなども含めて、進路や学校生活に悩む子に「こんな人もいるのか」と思ってもらえるような自分らしい生き方をこの先も模索していきたいです!

企画・執筆 村山早央里 2020/10/16



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