クリスマスを継ぐ
私の父親は、クリスマスには必ずクリスマスカードをくれました。
サンタさんからもらったプレゼントは、正直なところ、一つも覚えていません。
でも、父からもらっていたクリスマスカードのことは、はっきり覚えています。
私の父は口下手で、愛情表現もへたくそです。
でも、クリスマスカードのなかの父は、いつも愛情にあふれていて、あたたかな言葉ばかりをくれました。
別にクリスチャンでもなんでもなかったただのサラリーマンの父親が、どうしてクリスマスカードにはそんなにこだわっていたのか。
今となっては、よくわかりません。
でも、ふと、想像します。
私がサンタクロースの正体に気づくまで、私のもとには、毎年サンタクロースがきてくれました。
そして、その期間より少しだけ長く、私の父は、毎年、クリスマスカードをくれました。
もしかしたら、最初、父は、サンタクロースとしてクリスマスカードを書こうとしたんじゃないかな。
でも、なんだかそんななりすましは気恥ずかしくて。
これだけは自分からのものにしようって。
そんな風にして、クリスマスカードの習慣がはじまったんじゃないかな。
もしかしたら、クリスマスカードを書く文面を考えていたら、思いもよらずわが子への愛があふれて、見ず知らずのサンタクロースさんからの手紙にしては、愛情たっぷりになりすぎたのかもしれない。
私も人の親となり、今度は自分がサンタクロースをする番になりました。
実際にわが子のサンタクロースをやってみて分かったことは、サンタクロースは、する側も、けっこうドキドキワクワクするということ。
サンタさんに何をもらいたいかをリサーチして、学校にいっている間に買ってきて、絶対に開けられないところに隠して。
今日の夜、わが子が寝入ってからも、目をさまさないかドキドキしながら置くわけです。
自分の父や母も、こんな風にドキドキワクワクしながら、自分のためにプレゼントを用意してくれたのかな、と思ったりしました。
父からのクリスマスカードは、きっと、こういう気分のなかで書かれていたのでしょう。
ドキドキワクワクしながら準備する、その時間の中で。
クリスマスに向けて。
今年は、わが子へ送ろうと、クリスマスカードを買ってきました。
noteでここまでこうやって書くと、まるで父からもったカードの事があったから、意を決してクリスマスカードを買ったみたいに、思えるかもしれませんが。
実は、逆です。
たまたま、クリスマスカードが目に留まって。
わが子に書こうかなって、思って。
それで、父からもらっていたクリスマスカードのことを、思い出したんです。
うん、でも、もしかしたら。
ふとカードが目に留まったのも、父にもらったカードのことが、幸せな思い出として、私の中にあったからかもしれない。
メッセージは、これから書こうと思ってます。
わが子がどんな顔をして、もらってくれるか、読んでくれるか。
楽しみだな。
私の父も、こんな気持ちだったのかな。
私は、どんな顔をしてもらっていたのかな。
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