グラレコつぶやき: 海外との違いを感じる
最近グラレコについて、何だか海外との違いに違和感を感じる。
私のグラレコの入り方がドイツ流を学んでやり始めたからなのか?
現在、日本でグラレコやファシリテーショングラフィックを実践されている方々のNOTEや考え方と、本場ドイツや欧米から流れてきているグラレコ・ビジュアルファシリテーションの流れにやや違いがあるような風に感じる。
これは清水淳子さんも以前のNOTEでおっしゃっていたことと似ているかもしれない。
日本では、清水淳子さんが先駆けとなってグラフィックレコーディングを実践して、「議論を可視化する」という形で始まり、ここからファシリテーショングラフィックという形で、議論をグラフィックを使いながらビジュアルや図解を駆使しながら論点を整理し、ファシリテーションして行くテクニックが主流になっている。ポイントは「議論の可視化」である。
推測だが、日本語で見ることができる書籍がこれしかないから、あるいは日本人の特性である、会議での結論出しの遅さという課題を解決するためにそうなったのか?わからないが、とにかく「議論役」がゴールなのだ。
これに対して、欧米流から私が学んだビジュアルファシリテーションの世界は、どちらかというと、最終ゴールは「ビジュアル・ストーリー・テリング」を最終形とする、「共感プレゼンテーションの可視化」なのである。
これはかの、ジョン・マエダ氏がストーリーテリングにvisual facilitationのテクニックをつかっていることからもわかるし、ドイツbikablo®︎で私が学んできた内容もどちらかというとそちらなのである。(もちろん、グラフィックレコーディングやファシリテーショングラフィックの役割もあるのだが、もっと役割の概念を大きく捉えているのである。見えてくる最終形はデザインシンキングの世界なのである。海外書籍なので、お見せすることができないが、UZMO(bikablo®︎)の書籍を読むとその違いがよくわかる。
もちろん、どちらが正しくてどちらが間違っている、というつもりはない。
どちらも正しいと思う。ただ、グラフィックレコーディングの世界は広く、価値のあるスキルなだけに、より打点の高い価値を出して行くことが必要であり、より単価の高いデザインファーム(=コンサルティングファームレベル)のフィーを取れるくらいの価値を作っていかなければならないんじゃないか、と思っています。絵が描ける、議事録が取れるという域をさらに超えて、「サービスデザインを創る、イノベーティブなアイデアを創出できる」、というような経営レベルの価値をみいだしてゆくことが必要ではないだろうか?と思ってしまいます。
そういう意味で、グラグリッドさんが実践されているレベルの活動(デザインファームとして活動されていること)には大変共感を感じますし、デザイン=ビジネス=経営(=>イノベーション)という理想像を掲げているのではないか?と思う今日この頃です。
「デザインシンキング」の元祖であるドイツSAP社がbikablo®︎と繋がり、ビジュアル・ファシリテーションを積極的に進めている流れには、それくらいの高い打点をもって考えていると考えているので、偶然にもドイツ流から学んだ一人としては、まだまだ個人スキルは低くて偉そうに言える立場じゃないながらも、将来的に目指すレベルはそちらの方で考えたい。
今回は文字だけで思うがままに書きましたが、あくまでこれは自分の主張であるので、賛同していただく、しないは、あまり気にしないでいたいと思います。
先日、清水淳子さんもこのあたりのグラレコの誤解について話をしてみたい、とおっしゃっていたので、私も是非話をしてみたいな、と感じています。。。。
最後に・・・
「デザインの価値は非常に高いはずなのに、デザイナーの給料は欧米と日本では3倍違う」、という事実(以前Newspicks イベントでのグッドパッチ土屋氏談)には、私はここが肝なのだとおもっています。→デザイナーが目指すは「デザインで経営」するのが目標なんだと信じたい!