アートとデザイン、神道と仏教の相関性
VUCAな現代では、「アートやデザイン」の力が問われる時代です。
最近は、「デザイン思考」「アート思考」という言葉が巷の書籍でも頻繁に言われているくらい、「答えのない時代」に道を切り拓く思考(マインドセット)が必要になってきています。
かの慶應大学の前野隆司教授の「デザイン思考」では、マインドフルネスや仏教的な考え方がしばしば登場してきますが、不思議なことにその理由は、今東洋宗教のマインドフルネス(瞑想)が「クリエイティビティ(創造性)の向上やポジティブ感情につながる」と欧米の脳科学の研究者の間で見直されてきており、ウェルビーイング(学術的な意味での「幸福」)へとつながっていくと言われているからです。
日本人は「無宗教な国民」だと言われていますが、実際のところは、日々の生活や文化、言語を辿ってゆくと、必ず「神道・仏教」にあたりますし、「神道・仏教」は無意識の次元で日本人を支えている宗教ですし、「神道・仏教」の根幹にある考え方は、この日本人にとって大切な精神性だと思います。そして、この日本の宗教として存在する「神道・仏教」ですが、私は「アート・デザインと実は相関性があるのではないか?」と感じています。
今回は、私の考える「アートとデザイン、神道と仏教の相関性」について、述べてみたいとおもいます。
アートとデザインの違い
ご存知の方も含めて、まず、アートとデザインの違いとは一体何でしょうか?
アートとデザインに共通する点はそれぞれ「美しさ」を持っています。しかしながら、似たようなものでも似て非なるもの(概念)です。
簡単にいうと、アートは「自己表現」であり、デザインは「問題解決」。このふたつの違いをわかりやすい比較表がこれに当たります。
出典元:Newspicks 特集:「本当のデザインの話をしよう」第1話より
例えば、「デザイン」の考え方には常に解決すべき「人間中心的思考」が伴います。そして「良し・悪し」という判断軸(=問題解決できたかどうか?)がでてきます。
一方「アート」には、そうした対象はありません。中心は「自己」にあり、自己から発露する感性を使って世界観をつくるものがアートであり、そこには「良し・悪し」という判断軸はなく、「好き・嫌い」という人間らしい主観的な判断軸が存在します。
どちらも「クリエイティブ」ではありますが、中身にはこれだけの違いが存在しています。どちらかというと「アート」の方がわかりづらい部分があるかもしれません。「アート」に対する捉え方は、あなた自身が、そのアートの持つ世界観が「好き」だとか「心に残った」、あるいは「感じる」というような見方が「アート」的であるといえます。
「神道」と「仏教」の関係
次に、「神道」と「仏教」の違いについて話したいと思います。
それぞれとも、お参りに行って「拝む」ための存在ですが、ご存知の通り拝む目的も違うでしょうし、「似て非なる存在」です。
「わかりやすい違いは何か?」といえば、神道は「神様」、仏教は「仏様」であるといえますし、あるいは、「神道(Shito) is from Japan」「仏教(Buddhism) is not from Japan」というような言い方もできるでしょう。(仏教は古くは奈良時代にインド〜中国から来ています)
ただ、もっと大きな違いについて考えると、実は「決定的な違い」が2つあるのをご存知でしょうか?
1つ目は、仏教(お寺)には、阿弥陀如来像などの仏像という「物質的存在」が存在しますが、神道(神社の神殿)には「神様の像」のような、物質的存在がありません。
実際に神社の神殿を覗いてみても、御神殿やお供え物はあっても「神像」は存在しません。これは、神道には自然信仰的な考え方に基づいており、神様は天国(空の方)にいる存在だったり、あるいは自分の中や身の回りにいるスピリチュアル(霊的)な存在、ように考えられているからです。
2つ目には、仏教にはお経のような「教え」が存在しますが、神道には「祝詞」はあっても経典や具体的な「教え」というものは存在しません。
言い換えると、仏教は人々の悩みや苦しみを、人間に対する「教え」によって和らげるという「問題解決」が存在しています(実際、お坊さまがその役割を担っています)。しかしながら、神道の場合には、人々の悩みや苦しみを和らげるような「問題解決」ではなく、参拝の時に人が「祈る」ことにより、自分の中に存在する(であろう)「神様との対話」を行って、それにより人々の願いのアンテナをキャッチした「神様」が、偶然的にその人の下に降りてきて、人々の「願いを叶える」というスピリチュアル(霊的)なプロセスが存在する、と言われています。(神主は、その神社の聖なる結界を守る主にあたります)
つまり、神道における祈祷プロセスは、一種の「アート表現」のようなものではないでしょうか?
自分自身に問いかける対話的なもの、そこに答えは一つだけではなく、ひとりひとりに「個別化」された「願い」のみが存在し、見えないものを表現しようとする、いわばコンセプチュアルなものです。さらに神道における「祭り」についても、御神体を神輿で担いで町中を巡り歩く催事、まさに神道の持つ「コンセプチュアル・アート」の一つではないでしょうか?
「アートは神道、デザインは仏教」的である
以上の話をまとめてゆくと、だいたいご理解いただけたかと思いますが、私は「アートは神道、デザインは仏教」的だというように感じています。
どちらも、神社・仏閣という「聖なる空間美」が存在していて、仏教は、人々の悩みや苦しみを解決し、神道は、神との対話の中で自己やその周りの存在への願いを「祈り」という表現によって成就させる、という違いがあります。
そして、仏教には、悩みや苦しみを「寺」という「空間美」と「お経」や「説法」「瞑想」というデザイン化された宗教的な奉仕(サービス)によって供養(問題解決)してゆきます。
一方、神道には、「祈り」という表現を通して、自己の中の願いやその周りの存在への願いを「神様との対話」によって成就させてゆく「コンセプチュアル・アートな宗教」です。
このように、神道や仏教を、アートやデザインとして捉えてみると、それぞれの宗教というものに、非常に「奥深さ」を感じてくるのではないでしょうか?
「神道」は紀元前に発祥した日本由来の宗教であり、自然信仰から由来するため、非常に自然美を大切にしていてアート的な趣があります。「仏教」は奈良時代に中国から日本に輸入されてきた宗教で、仏像や般若心経など非常に「デザイン」化された趣があります。
「仏教や神道」と「デザインとアート」、今回はこの2つの相関性について述べてきましたが、VUCAな現代においては、日本人は今一度、神道や仏教の空間美を大切に、新たなクリエイティビティ(創造性)を興して行く時代なのではないでしょうか?
たまには、そんなことを考えながら、神社や仏閣にお参りに行ってみるのもいいかもしれませんね。。(きっといいアイデアが浮かんでくるかもしれませんね)
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