あなたが描いた夢のおかげで築けた思い出があります。
年齢や期間がそうゆう目標であるならいいとは思うんですけど、諦める理由に使うのは絶対良くない。
そうなの、本当にそうなの。
弱気になると出てくる、「この年齢で…?」という謎の不安へ喝を入れてもらえた。
目標とは、夢 + いつまでに叶えるという期限という方程式。
30とか35とか別になんの意味合いもない。
ただの血管や神経、脳なんかの使用年数。
というように、年齢分、フル稼働してくれている体とその内部に関してはケアが必要になってくるかもしれないけど。
「年齢考えなよ」「その年齢で今更?」なんて、言う人も見かけるけど、誰のために何のために年齢を考えていかないといけないんだろう。
むしろ、そんな人にこそ「だれだって年齢は重ねるんだから、年齢の数字ばかり気にするのやめてみたら…?」と言いたくなってしまう。
本来、年齢を重ねるのはうきうきするためにあるはず。
その年齢分だけ、いろんなものを見て、いろんなことを考えて、いろんなことを知ることができるんだから。
だからこそ、なにかを諦めたり、なにかを禁止されることに年齢って本来ならなにも関係ないはず。
わたしは年齢を重ねるのがいつだって楽しい。
その年齢だからこそ、楽しめることもあるし、似合うものもある。
そして、その年齢分だけの思い出もある。
思い返せば、当時は辛くて仕方なかったことも、楽しくて明日もこんな風ならいいのに、と思った日々も過ぎ去っていて。
その辛い出来事のおかげで見つけたステキな考えもあれば、楽しいと思っていたことがあの時だからこその楽しみだと色あせることもある。
それでも何事も経験したからこそ分かることで、そんな日々を過ごせてよかったなぁと振り返るといつも思える。
だからきっと、いまの自分のことを何か始める前に諦めてしまったなら、未来の自分へのギフトが減ってしまう気がする。
過去は変えられないけど未来は変えることができる。未来が変われば過去の意味は変わる。
だからきっと、どんな風に生きたとしても、自分が納得できるように考えて生きていきたいなぁ。
どんな出来事もきっと、この先のわたし自身が意味を生み出してくれる。
動いた先で出会った人たちのおかげで見つかることもある。
どんな未来が来るかわからないからこそ、人生ってきっとたのしい。
見えないからこそ不安になったり、心配をすることもあるかもしれない。
だけど、未来の自分にすこし期待する日があってもいいんじゃないかなぁと思うことがある。
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そんな風に考えてみても、時々こころが周りの声や不安に負けてしまいそうな時がある。(ここだけの話)
そんな時は決まって、お気に入りのカフェで過ごすようにしている。
わたしにとっては当たり前のように存在している場所でも、誰かが叶えた夢の形で、その人が叶えた夢のおかげで過ごせる空間がある。
ひとりで、友達と、うれしいとき、かなしいとき、いろんな瞬間を過ごしたその空間は気づいたらかけがえのない場所になっていた。
だからいつか。
いま自分が夢見た先の景色が、誰かにとっての支えになったり励みになったり、きっとだれかに届くんじゃないかなぁと。
そんな風に思いたくて。
そう願って、不安な夜を乗り越える日もあったりする。
Special thanks to 山路裕希さん(Yuki Yamaji)
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