冷めやすい、冷めにくい争論
昨日、熱しやすい性格だというnoteを書いた。
そんな熱しやすい性格という話をすると、「それなら冷めやすい?」ということを聞かれる。
正直に言うと、冷めやすい、冷めにくいという感覚があまりよくわからない。
熱することはタイミングや自分の力や周りからの影響が加わることがあるけれど、冷めることは不可抗力だ。
飽き性というのも、あまりよく分からない。
わたし自身は、好奇心に身をゆだねていろんなものに手を出す。
結果的に、今じゃなくていいかな~って思えばやめるし、自分のキャパシティのようなものを越えたらやめてしまう。
いくら好きな食べ物でも、食べ続けたらお腹いっぱいで食べられなくなるように、飽き性とかの性格に関係なく限界はやってくるものだと思っている。
わたしはすごく極端なので、食べ物にしてもハマってしまうとそればかり食べるし、欲した量に達したタイミングなのか急にその熱が冷めて数年食べなくなる、みたいなことが多い。
だけれど、飽き性なわりに英語には5年以上もぞっこんで、いまも尚継続している。
いまだに学びもあれば、一時期は貪るように英語に浸っていた。
洋画を観るというよりも聞いていた。
今ではすっかり地理にハマってしまって、夢中になって勉強している。
Twitterのアカウントが「@英語勉強してる人」になっているけれど、「@地理にハマっている人」に変えたいくらい。
身が入らない時さえも、地理はできる…!
飽き性でもし悩んでいる人がいるなら、きっとまだハマれることに出会っていないだけなんだと思う。
続けてみないと面白さが見えてこないこともあるけれど、そこまでしなくていいやって思うことはどんどん辞めていい。
自分にとって、なんとなくしっくりくるとか、明日もこれやりたいって思える感覚に出会う日ってきっとやってくるから、その日まで模索していいって、ずっと思っている。
飽き性の言い訳みたいに聞こえるけれど、仮に飽き性でもわたしは今までもきっとこれからも、語学はずっと好きだし勉強もやめられない。
飽き性でもそういうことを見つけられるっていうことは、ちゃんと証明できている。
そして、仮に5.6年も続けられることがあるから飽き性なんかじゃないよって思われたとしても、もういっかって思ったら即やめる癖は相変わらず。
だから継続することの方が難しいと思っているし、続ける!という単調な目標を掲げることさえある。
冷めやすいとか、冷めにくいとかよくわからないけれど、目の前の愛すべきことに対しては全力で向き合っていきたいなって思っている。
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