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(非)幸福論

「幸福論」と向き合うためにも、「そうじゃない部分」からも目をそむけるわけにはいかない。 「不幸」ではしあわせが足りていないことになってしまうから、しあわせじゃない部分ということで…
普段は客観視して書いているnoteだけど、このマガジンでは主観的にてお届け。簡単にいうと、わたし自…
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#しあわせ会議

好きって、人それぞれだから自分の答えがあればいいと思うんだよね

「好きを仕事に」 「好きなことで生きていく」 そんな言葉をよく聞くけれど、そもそも好きなことが見つからない。 そういう人もたくさんいると思う。 むしろ、好きを仕事にする風潮になってきていることで窮屈に感じてしまうこともある気がする。 夢がなきゃいけないとか、仕事でわくわくしていないといけないとか、好きな人が好きでやればいいようなことまでも、正解がそれしかないようなプレッシャーもある(ような気がする)。 好きなことが思い浮かばない人も、いまの仕事が好きなわけじゃないけど不

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過去の自分にもう一度出会ってみた

昔に書いていたブログを読み直したり、昔のnoteにある誤字を修正しながら最近はゆったりと過ごしている。 自分が体験したうえで綴ったことなのに、案外忘れていることがあるものだなぁなんて思う。 あんまに落ち込んだり、あんなに悩んでいたことも、忘れてしまっていたこともたくさんあって、嬉しかったことや乗り越えたあとに笑ったことの方が覚えていたりもする。まぁ、それさえも忘れてしまっていることも多いけれど。 オーストラリアのワーキングホリデー2年目に突入した時、かねてより決めていた「

こころの棚卸し

多めにストックしておいたり、思ったことを乱雑に書いて下書き保存をしておくと気づくとお蔵入りになっていることが多々ある。 結局思い立った時の熱量がじわじわと失われていく。 このことについて構想を練って書こう、と思ったとしても論理的すぎる文章は冷めてしまった文章体に成り下がってしまう。 あくまでわたしの場合は、という話。 むしろ、ゆっくりと温めながら文章を書けるようになりたいと思っている。 ひとつのことと向き合いながら、日々感じたことをちゃんと摘み取って、愛でることはどんなに

紡いだことばたちは、紛れもなくわたしの一部分

noteを書いていると、なんだか遺書を書いている気持ちになるのは果たしてわたしだけかな。 というのも、暗い話をしようというのではなくて、noteに書いていることばにはちゃんと意思があって、ちゃんと自分自身のことばで書いているからそんな風に感じているんだと思う。 SNSが発達したいまの時代だからこそ、発信することが全てではなくて、発信しない発言しないことも選ぶ必要がある。 沈黙が強い肯定を表すように、発言しないことで際立つことって絶対的にある。 だけど文章を書くときに、「