Yolk

目と鼻の先。

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最近の記事

花咲く後頭部

逃げ出してぇ〜〜〜と思う。毎日毎日思う。私は今大学四年生になりたてほやほやで、あと一年したらどこかの企業の一員として働くことになるはずだ。今みたいに好きな時間に起きることも、今日は暇だからと映画を観に行くこともできなくなる日々がやってくる。このままだと確実に。そしてそんな未来を確実にするために就職活動を行っている。私のしていることは自分の未来を掴み取ることであり、自分の未来を自ら狭めることであり、自分の未来の可能性を高めていくことである。そんな就職活動のことをTwitterや

    • 私は一人でも宇宙を歩く

      一人でも生きていける気がする。でもあえてみんなで大丈夫になろう。そうすれば怖くないから。 大丈夫じゃない日がたくさんあった一年間だった。大丈夫じゃなくなるたびに大丈夫じゃない!と叫んだって構わないということを学んだのは少なくとも下半期になってからだったが、それまでどうやって生きていたのか本当に理解できない。たとえば今年の四月から七月にかけて、本当にどうやって生きていたんだろう。何をしていたんだろう。何を考えていたんだろう。カレンダーや写真フォルダを見返せばそのときの楽しい思

      • 人を噛まない魚

         苦しければ苦しいほど、苦しいことをあらわす文章すら書けなくなるらしい。書き出してしまえば楽になる性分だったはずなのに、この日々の暑さと出口の見えない苦しさ、それから「時間が無い」「やるべきことはたくさんある」という強迫観念によって書くことこそが苦痛になってしまった。確かに私はここ数ヶ月、何のせいとも言い切れない訳のわからぬ重みによって苦しめられていたはずなのに、言葉にしようと貯蓄していた水は蒸発して消えてしまった。何が言いたかったのか、何に苦しんでいたのか、それがもはやわか

        • 銀色のライオン

          苦しくて辛く、悲しくてしんどい。美味しいものを食べても温かい紅茶を飲んでも、ゆっくり湯船に浸かってもたくさん眠っても、陽の光を浴びても散歩をしても、本を読んでも勉強しても、何をしたって救われない部分はいつまでも救われない。それでも、それはそれとしてご飯を食べ、運動して、風呂に入り、今日も眠るのだ。 上手くいかないことがたくさんある。そういうタイミングに限って楽しくないことばかり思い出すのは、人間の心理として仕方ないことなのかもしれない。日々を乗り切るために詰められるだけ予定

        花咲く後頭部

          《ポストずんだロックなのだ》が好きなのだ

          ないまぜにした好きなものなら言えた。これが一番好きだとはいつまでも言えなかった。否定されるのが嫌で、肯定もされたくない。私だけが好きでいられたら良かった。それだけで良かったのだ。 好きな本は江國香織の『きらきらひかる』。好きな作者は江國香織と吉本ばなな。好きな曲はROTH BART BARONの《dEsTroY》。好きな映画は今敏監督の『パプリカ』。そうやって簡単に言えるはずのことがいつまでたっても言えない。明言すべきでない。だから今ぜんぶ初めて言った。はっきりとは言わずに

          《ポストずんだロックなのだ》が好きなのだ

          ホールスパイス、もしくはマイホームスパイス

           悲しみの渦に巻き込まれて、身動きがとれなくなっている。指先ばかりが冷える季節には、あってはならないことだった。  メイクを済ませた顔を見たとき、死にたくなる。沸かしている湯を見ているとき、死にたくなる。玄関を出ようとするとき、死にたくなる。自分のための誕生日ケーキを買って帰るとき、死にたくなる。電車の中から他人の家の干されている洗濯物を見るとき、死にたくなる。免許合宿の話をした際に「そんなに楽しかったってことは彼氏でもできたんじゃないの?」と下世話な感想を述べる人に「そん

          ホールスパイス、もしくはマイホームスパイス

          田辺家のソファー

           新潟に来ている。昨年の夏、なんだかんだと忙しくしていたら免許を取れずに終わってしまったので、今更ながら1人、免許合宿に来たわけだ。関西に比べ、風が涼しく、空の青さが艶やかなこの地で、私は岐阜を思い出す。もうほとんどシャッターが閉まっている寂れた商店街を歩くとき、岐阜と大阪の祖父母の家を思い出す。しっとりと実る稲穂と土の香りに、兵庫の山に住む祖母を思い出す。たった一度の岐阜の記憶が、何度も何度も行ったことのある祖父母の家よりも強烈なのは、単純に素晴らしく良い思い出であることに

          田辺家のソファー

          夏、釣り、離婚。

           両親の離婚が成立した日は終戦記念日で、私が2人の離婚届の証人としてサインした日で、私の夏休みが始まった日だった。最悪の日だった。  母は父と一緒に離婚届を提出しに行って、家に帰ってくるなり「やったー!自由だー!」と叫んだ。職場の仲間とのLINEグループに「離婚成立!」と送ったら「おめでとう!」とみんなから送られてきた、と嬉しそうに語る母に、同じテンションで相槌を打てない私がいた。私は全然嬉しくなんてなかったけれど、でも宙ぶらりんの状態が続くよりはずっとマシなのだと自分に言い

          夏、釣り、離婚。

          いつかだれかが無くす日

           蝉が死んでいた。夜、地面に目をやりながら歩いていたとき、黒い塊が落ちているのを見つけた。死んだ蝉に群がる蟻たちだった。昼間には見ることのないほど大きな顎の蟻が、よろめきながら蝉の表面を食いちぎっている。それでもまだ蝉の原型は失われていなかった。きっとこれが人だったら「まるで眠っているようだった」と形容するのであろう。綺麗に折りたたまれた足がより人間らしさを強調させたが、どこから見てもそいつは蝉であった。  蟻はとても強いらしい。どんな相手でも群れで一斉に襲いかかり、毒を駆

          いつかだれかが無くす日

          無用の産物

           電車に乗っているあいだ、電線が無くなってしまったらどうしようか、と考えていた。景観などの観点から電線は無くなった方が良いと言うことがあることも、実際に電信柱と電線を地上から無くしてしまって地下に埋めてしまうことがあることも、別に知らないわけではない。むしろ点検の作業中に人が転落することが減るなら、わざわざあんな高いところに電線を残す必要なんてないのかもしれない。  だけどそんなことは私には関係なく、電線が無くなってしまうことを考えると怖くなってしまう。街中で空を見上げたと

          無用の産物

          送辞

          幸せって何かって 考えなくても済むような 幸せをあげたいな あなたに幸せあげたいな 幸せを噛み締める 必要なんてないような 幸せをあげたいな 幸せになってくれたらな いっそいっそもう二度と 幸せにはならないで欲しいな 幸せなまんまなら 幸せにならなくて済むだろな 幸せをあげたいな あなたに幸せあげたいな 自分があげなくたっていい 誰かから幸せもらって欲しい 幸せでいて欲しい 幸せのない世界で 絶対的な幸せに 埋もれたまんまでいて欲しい 幸せって何かって 考えなくても

          春先の温度

           文章が書けなくなった。かつては自分の考えていることをどうにか残しておきたい一心で、人の目に晒そうが晒すまいが紙やスマホのメモ機能に書き残していたものだが、最近本当に何も書かなくなってしまった。それと同時に、私は本を読めなくなった。大学のレポートを書くために必要な文献は仕方なく読むこともあるが、それ以外に小説だとかエッセイだとかを読まなくなってしまった。  そして、文章を「書かなく」なったのではなく「書けなく」なったことと、本を「読まなく」なったのではなく「読めなく」なったこ

          春先の温度

          水槽の内側

          この世に生きている人と同じ数だけ人生がある、ということが時々とても怖くなる。何の気なしに生きているあいだのふとした瞬間に垣間見える生活の一部が私を驚かせ、時に圧迫し、解放する。 電車に乗っているとき、大抵の場合私はスマホを見ることはない。音楽を聴きながらずっと外を眺める。これは単に何も考えない時間が好きだからなのだが、住宅街を走り抜けていくときに目に入るたくさんの家やマンションを見ていると、ふとこの一部屋一部屋に、そこに住まう人の生活が詰まっているのだと考えてしまってギョッ

          水槽の内側

          糖分の行き先からの飛躍

          「なんであんなことまで言ってしまったんだろう」と思っているとき、私がしているのは後悔だろうか、反省だろうか。狭い視野と短絡的な思考。見栄張りな自己顕示欲。堂々巡りの反省会に、果たして価値はあるのだろうか。私は価値のないものが好きだから、いつも同じ答えに帰着する。無価値な謝罪と無意味な後悔。 一面だけビニールになった子ども用の傘への憧れは止まることを知らず、足首が痒くなっても長靴を履きたがる。擦れて白くなったビニールを見て、やっと視界の狭さに気づくのだ。 マジョリティ側であ

          糖分の行き先からの飛躍

          妄想「こんなことなら」に対する返答

          互いの性質を受け入れ合い、過干渉はせずとも共感し、「こういうのが辛いんだよねー」と話しても嫌な空気にならないような関係が羨ましい。 無いものに対する憧れと、有るものに対する違和感は、どうしてこんなに相性が悪いのだろう。現状が不満なわけでもなく、今の環境でも羨ましいと思う関係を人と構築することは可能であるはずなのに、手軽に分泌できる憧れだけが先行している。 こんなことなら別の学部を目指しておけば良かった、と思う。姉の後ろにそのまんま着いていけば良かった。でももし姉と同じ学部

          妄想「こんなことなら」に対する返答

          「きらきらひかる」、光れど消える

           自分自身の性に対する考え方がどうも世間一般とは合わないようだ、とはずいぶん前から感じていた。たとえば、特定の人間に対する性的感情を男女問わず抱けない。むしろ性行為なんて気持ち悪くて仕方ない。子どもは絶対に産みたくない。結婚にはほんの少し憧れるけど子どもは欲しくない。一般的な恋愛が通る道筋を自分が通れる気がしない。リアルな恋愛を想像すると吐き気がする。小学生のような純粋な恋愛から先へ進めない。おままごとみたいな恋愛を望んでしまう。  それなりに「恋」みたいなものは経験してき

          「きらきらひかる」、光れど消える