コミュニケーション - YUKI(好きなものがたり2)
YUKIのcommuneというアルバムに収録されているコミュニケーションという曲が高校生くらいのころからなぜだかとても好きだ。姉が持ってたジュディマリのCDにはあまり興味がなかったけど、YUKIのアルバムは勝手に借りてよく聴いていた。特にPRISMIC、commune、Wave、うれしくって抱き合うよの4枚は擦り切れるほど聴いてきた。communeは全体的に哀愁が漂っていて、雨のイメージが自分の中で強い一枚だ。PRISMICもそうかもしれない。どこか不穏さもあって。
特に『コミュニケーション』にはなぜか強く惹かれ、繰り返し聴いているうちに歌詞のよさが沁みてきた。作詞はYUKIだが作曲はスネオヘアーだと後から知った。YUKIの書く愛の詞は本当に奥行きがあって強くて、紹介したいものがいくつもある。アルバムで一曲前の『恋人よ』もすごくいいし、PRISMICの『愛に生きて』(←演奏はスピッツ!)も『ふるえて眠れ』もすごい。のだけれど、特に気に入っちゃってるのがこれ。
この曲を取り上げて書きはじめてみたはいいものの、なぜ好きなのか説明するのはとても難しい。この曲を愛についての歌と解釈するなら、それを好きな理由を語ることはまさしく自分のなかの愛について語ることにならざるを得ないからだ。それをここでする準備はまだないが、自分のなかの愛という一見とらえどころのないものも、ゆさぶられる表現を重ね合わせていくことでその在り方を知っていくことはできる。というわけで、うまく言えないとしても好きなものについてとにかく語ろうとするということはとても大切なんですよ。必要なのは語彙力ではない、身体のパーツとしての心の揺れを感知する力だ!涙やトリハダは、身体全体に少しずつひそむ心という臓器のはたらきの表出の一部かもしれない。それはさておき。
この、uta-netのページを貼り付けたときの、○○って「イイネ!」っていうの、勝手についちゃうんだけどなんとかなりませんかね。
そもそも歌詞を通して理解できてもいない。だけど難解な部分もストレートな部分もどちらもいい。どちらもあるのがいい。こころとからだでのコミュニケーション、身体的な表現がこころを、精神的な表現をからだへのアプローチにとらえることもできる、気がする。どちらも描かれているところが好きだ。体ひとつひとつで覚えよう 君と踊るように、体ひとつひとつをつかうよ 君と泳ぐように、の二節が、本当に好きだ。踊るように泳ぐように、人とわかりあえたら。