[小説]歩いたあとの波紋
昔から歌は好きだった。
元々母がエレクトーンをやってた人で歌も好きだったから日常的に音楽が流れていて私も自然と歌を聞くようになっていった。
幼稚園や小学校の音楽の授業が好きで授業で歌を歌うのも好きだった。
中学校に入っても相変わらずでみんなで合唱コンクールに向けて一生懸命練習することも楽しかったしクラス対抗で入賞すると嬉しかった。中学校で変わったのは聴く音楽の幅が広がったことだ。ほとんどの人が色々音楽を聴くようになり、私も友達に教えてもらって邦ロックのカッコいい曲やボカロの曲を聴くようになっていった。内緒で音楽プレーヤーを学校に持ってきて没収されないように休み時間に友達と聴いてたのはいい思い出だ。
高校の近くにカラオケがあったから高校生になると友達とよくカラオケに行った。歌うことが元来好きな私はカラオケにハマっていった。同じように歌うことが好きな友達何人かとよくフリータイムで8時間くらい休みの日に歌っていたこともあった。上手く歌えていい点数も叩き出せたときもあったし、自分なりにアレンジして歌うとカラオケの基準から外れて点数が良くないときもあった。それでもマイクを通して歌うのは気持ちいいことなんだと知っていった。
大学に入る頃には動画投稿サイトで歌ってみたの動画や歌い手さん達が活躍していてその人達の動画をよく見るようになった。自分の知っている曲を歌い手さん達が上手にそして自分なりに歌っているのを見て感動した。弾き語りの動画も見るようになり、憧れてアコギを買った。最初は何が何だかさっぱり分からなくて混乱したがマイペースに練習していくとだんだんコードが押さえられるようになったいき、ギターを弾きながら歌えるようになっていった。
そして、現在。最近はボカロPさん達が自分で歌ってデビューしたり歌い手さん達とユニットを組んで活躍することが多くなった。私も流行りに乗るようにそういった曲達に夢中になっている。
私が昔から好きだったボカロPのsofuさんも少し前に歌い手さんとユニットを組んでいて活躍するようになった。やっぱり昔からそうだったけど本当にいい曲を書いてくれて、それを上手な歌い手さんが歌っているのを聴くと感動する。動画投稿サイトの再生数の伸びも凄まじい。
私にとってsofuさんの昔のボカロの曲と現在の歌い手さんとのユニットの曲も同じように素晴らしく感じた。それなのにボカロの曲はユニットの曲に比べると評価されていないような気がした。
sofuさんの昔のボカロのちょっとマイナーの曲達もとてもいい歌だと思う。ただカラオケの機械では登録されていなくて歌えないし、自分でギターの弾き語りでしか歌えない。そういった曲達は歌い手さんもあまり歌ってくれていない。色んな人にsofuさんのそういった曲を知って欲しいと思うようになっていった。
自分が弾き語って配信すればいいのではないかと次第に考えるようになった。自分の中でやってみたいけどちょっと勇気がないなぁと悶々していた。そして遂にマイクを買って自分のアコギでの弾き語りを録音してみた。何度か練習してみると昔からよく歌っていたからか意外と世に出せるのではないかと思った。
自分の弾き語りを動画投稿サイトに投稿してみた。顔が出るのは友達や親にバレると恥ずかしくて嫌だったから隠していた。sofuさんの昔のマイナーの曲を多くの人に知って欲しかったからそういった曲ばっかりを歌って投稿していた。ちょっとずつ再生されるようになって嬉しかったし、「この曲誰も歌ってくれてなかったから歌ってくれて嬉しい」みたいなコメントが来ると本当に嬉しかった。
自分には聞いてくれる人がいるんだと思うと本当に励みなってモチベーションが上がっていった。
さて、今日はどんな歌を歌ってみようか。
朝起きると自分がまだ生きていること、また今日という日を始めなくてはいけないことに辟易するようになった。
もう何がしたいのかわからない。半年くらい前から大学にも行かなくなってしまった。何でなのかと聞かれても僕にもわからない。ただなんとなく行きたくなくて少しサボってみたらもう行かなくなってしまった。
せっかく浪人して入った大学で友達もあまり出来なくて親に学費を出して貰っているのに本当に申し訳なかった。地方にいる親は僕が東京で引きこもっているなんてつゆ知らずに仕送りをしてくれていた。親からの仕送りを見るともう涙が止まらなくなった。本当に申し訳ない。ごめんなさい。
もう死にたくて死にたくてたまらない。こんな自分なんか消えてしまいたい。今でもそう思っているし、そう思って何度死のうと思ったかわからない。ただ死ぬ度胸もないからまだ死ねないでいる。明日なんか来ないで次の朝になったら目覚めないでいて欲しいと本気で思ってる。
そう思いながらも朝起きるとまだ生きている、まずはそう思ってがっかりした。時刻は午後2時。とりあえず、もう朝ではなかった。ベッドから起き上がって何かをするわけでもなく、スマホで動画投稿サイトを見ている。最近は何もせずベッドで寝たきりの生活を送るようになった。トイレと本当にお腹が空いた時だけ起き上がる。食事は大体一日一回で菓子パン一つでお腹いっぱいになった。たまに近くのコンビニでパンをまとめ買いした。もう相当体重も減っていると思う。体重計が部屋にないから何キロになったのか、わからないけど。
体がべたついてきたから風呂に入ることにした。二日ぶりの風呂だった。栄養失調なんだか体温が急に上昇したからなんだか分からないけどシャワーを浴びると体がフラフラして壁に手をつかないとしばらく立っていられなかった。
風呂から出て髪の毛を乾かした後にまたベッドに戻って動画投稿サイトをぼんやり見た。もうずっと見てるから自分より賢いアルゴリズムが僕の好みを判断して僕の好きそうな動画をたくさんおすすめしてくれていた。でも悲しいかな、全て似たような動画ばっかりだから退屈だったけどやることがないから動画をひたすら見続けた。
いい加減、スマホで動画を見ることも飽きてしまって電源をつけっぱなしにして天井をぼんやり見ていた。何かを考えていた気がしたけど何も考えていなかったのかもしれない。いつだってそうだった。いつも何かを必死で考えているつもりでいるのに何も考え出せなかった。何も思いつかなかった。何も考えつかないならその時間に意味なんかない、そんなのは何も考えてないのと同じだよ。
もう一度スマホを見て動画投稿サイトを見るとsofuの昔の曲を誰かが歌っている動画が上がっていた。昔からsofuの曲は好きだった。誰かがその歌を人間の声で歌っているのは初めて聴いた。綺麗な女の人の声だった。今までボカロの機械の声でしか聞いたことのない歌だったから人間の綺麗な声で歌われているとまた違った感動があった。
僕は眼を再び瞑る。もうこんな世界は見たくない。でも誰かが自分の好きな歌を歌ってくれる世界も少しは悪くないと頭で言語化しないでも心で感じていたのだと思う。そんな軽くなった心で眠りに落ちていった。
話のネタというのはそこらへんに転がっているものだと誰かが言った。そりゃプロは日常のどんなことからでも誰もが面白いと感じるような話が思いついて、それを上手く文章に出来て綺麗に小説に出来るんだと思うよ。
でも僕はプロじゃない。ただの何者でもない人間さ。何者でもない僕は最近小説を書いている。いや、小説なんてそんな立派なものじゃない、小説なんて言えるような代物でもない。ただの日記、説明、文章。その程度のものを書いてみてはネット上にそれを公開しているだけだ。
昔から文章なんて書くの大嫌いだった。学校の作文や読書感想文なんて苦痛でしかなくて文字数を埋めるのに必死になっていた。漢字の書き取りでさえ自分で話を考えて書いているわけでもないのに大嫌いだった。書くという行為事態がそもそも嫌いだったんだと思う。
何かを生み出すなんて冗談じゃない。そう思って学生時代を過ごしてきた。なんでそんな面倒臭いことやらなくちゃいけないんだ。何の意味があるんだろう。自分で何か作品を生み出してそれが認められるわけでもない、学校の図工や美術の世界で作品を作ったところで手先が器用でもない自分の作品は先生からの評価だ低い。そもそも誰かから評価されないといけないなんてふざけた世界だと思った。
そんな風に考えていた自分が何かを創るようになったのはもうそれしか道がなかったからだと思う。
小さい頃は科学者になりたかった。小学校の時、理科の授業を通してこの世界の全ては科学で成り立っていると知った時は心底感動した。他のものは何もいらないと思った。全ての事象は科学で成り立っていて全て数式で表すことが出来る。なんて美しい世界だろうと思った。いつか科学者になってこの世界の秘密を全て知りたいと思った。
だけど中学生や高校生になると自分は科学者になれる程そんなに頭がよくないんだとわかってきた。部活で運動部に入った僕は運動に勉強なんてそっちのけで運動に力を入れ始める。思春期だったからとか関係あるのかな。体の本能に従って運動能力こそが全てだと思っていた。力のない者は負ける。スポーツなんて殺し合いをしないために作られたようなものだ。
やがて部活だけで大学に行ける程の実力もなかった僕は大学受験に受からなかったから浪人することにした。この頃から何がなんだか分からなくなっていった気がする。大して頭もよくないのに何のために大学に行くのだろう。自分の人生とは何なのかよくわからなくなっていった。
とりあえず何となく勉強して三流大学に入学するとよりわけが分からなくなっていった。もうこんな人生は余興だ。いつ死んだっていい。そう思うようになっていった。大学にはとりあえず通っているけど何も分からないまま時間だけが過ぎていった。そうした中、大学生は時間だけはあるから誰かが創った作品を観ることだけはしていた。
作品なら何でも良かった。映画、漫画、アニメ、音楽、小説、絵。何でも良かった。何かを見ていくうちにこれは好きだなとかあれはもっとこうすれば面白かったのにとか思うようになっていった。そのうち自分でも何かを創りたいと思うようになった。きっともうそれしかやることがなくて道がなかったからだ。表現する手段も何でも良かった。ただ何も出来ない僕は小説を選んだ。絵は描けないし、楽器も弾けず曲も作れない僕でも文章だけなら稚拙でも何とか書くことが出来た。
何で表現しているのかも分からない。何かを書いて、それを誰かが見て評価してくれるのはもちろん嬉しいけど、それが創作をする理由の全てではない。何でなのか自分でも分からなかった。
自分の創る作品はいつも同じような感じだった。大体何かに苦しんだ人が創作をして売れないことに苦しんで最後に死んじゃうような話だった。もし自分のこれからを無意識に書いているのだとしたら、これから僕は死んでいくのかもしれない。まあ人間全員いつかは死ぬんだけどさ。
一応今まで何かの物語を書いてきたから日常生活の中で、物語に出来るようなことは探しているつもりだった。日常で見つけた何かをきっかけに誰かが苦しんで死ぬような話を、そんな美しい話を書きたいと思うようになった。
スマホで動画投稿サイトを見てみると誰かがsofuさんの昔の曲を歌った動画をアップロードしていた。綺麗な声で歌いあげられた綺麗な曲だった。今まで誰もsofuさんのこの曲は歌ってなかったんじゃないかなって思う。厭世的な歌詞が綺麗な女の人の声にとても合っているような気がした。
きっと自分以外にも美しい歌だと思った人がいるはずだ。そして、誰かがsofuさんのようなボカロ曲を歌って、それを誰かが聞いて死ぬような二人の話を書こうと思った。そうだな、聞く人はとことん落ちぶれてる人がいいな。自分のようにもう世の中にうんざりして部屋に引き篭もって死にかかっている青年にしよう。その青年は自分でも気づかずに死ぬ直前にその曲を聞いて安らかに栄養失調で死んでいくんだ。こんなこと実際に起こるとは思えないけど作品の中なら何をしたって自由だよね。そう思いながら僕は筆をとった。