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両親の願い
十二月のある日、一人の女の子が生まれた。予定日より早く破水したその女の子の母親幸穂は、夫幸一に連れられて病院へ向かった。病院を訪れたとき、主治医はその日に休みを取っていることがわかった。看護師は慌てて主治医に連絡した。主治医は遠出をしており、病院に着くまでにはしばらくかかると言う。看護師は真摯に対応し、幸穂も耐えた。
それから主治医が到着し、懸命に処置をした。幸一は、分娩室の前の長椅子でひたすらに祈った。幸穂の出血量は多く、まさしく命懸けの出産となった。かなりの時間が経った後、分娩室に産声が響いた。
看護師に抱かれて分娩室から先に出てきた娘を、幸一はそれはそれは愛おしそうに見つめた。看護師から抱いてよいと伝えられると、両親学級で習ったことを思い出しながら、慎重に娘を抱いた。赤ちゃん人形とは違って、ずっしりと重かった。
しばらくして分娩室からベッドのまま幸一のもとに運ばれてきた幸穂は疲れきっていて、貧血で顔色もよくなかった。それでも、うれしそうに微笑んでいた。幸一は、妻に感謝と祝福の言葉を何度も伝えて労った。寒い寒い、十二月の朝のことだった。
幸穂と幸一は、世間一般から見ると結婚が遅かった。そのため、幸穂が子どもを身籠ったとき、喜びながらも、初産であることはもちろん高齢出産となることへの不安が拭えなかった。
幸穂はつわりが重く苦しみながら、食事に気をつけたり、元気なときはできるだけ歩くようにしたり、小さな段差にも注意した。自宅アパートにはエレベーターがなく、階段に手すりさえもなかった。買い物の際は、二階にある部屋まで時間をかけて、一段一段壁を伝いながら慎重に上った。
幸一も、仕事で忙しいながらに、できることを精一杯した。通院時の運転はもちろん、重い物は自分が買って帰るようにした。幸穂の話を聞き、要望はないか尋ねた。幸穂と代われない分、心身の負担を軽くしようと努めた。二人で育児に関わる本や雑誌を読んだり、両親学級に通ったり、それぞれの親や兄弟姉妹、アパートの近所の方の助言を聞いたりした。
そんななかで、楽しいこともあった。性別が女の子だとわかってから、子どもの服や靴を一緒に選んだ。名前事典を買って、画数や意味から名前の候補を考えた。まだ見ぬ子どもを想像しながら、少しずつ大きくなる幸穂のおなかを二人で愛おしく見つめた。
この名前にしようと二人で決めて少しして、幸一の弟に子どもが生まれた。女の子だった。名前が知らされたとき、二人は驚いた。その栞という名前は、なんと、二人が考えていた名前と読みが同じだったのだ。名字が同じで名前の読みまで同じ従姉妹となると、親戚も困るだろう。名前は一から考え直すことになった。
出産予定日が迫るなか、二人でいろんな名前を候補に挙げた。悩みに悩んで、二人でやっと名前を決めた。
そうして、幸穂と幸一は、娘を幸子と名づけた。ただ自分たちの名前から一字をとったのではない。自分たちの大切な子どもに、幸せにすくすくと育ってほしい。そして、幸せなまま、大切な人を幸せにできる子になってほしい。そんな心からの願いを二人は込めたのだ。
もちろん、順風満帆に何事もなく大人になり、一生を終えられるとは思っていない。困難にぶつかることもあるだろう。自分たちもいろいろあったと、名づけの相談をするたびに二人は振り返った。それでも今、幸子と三人家族で暮らせることを幸せに思っている。初めての子育てに不安がないわけではない。周りは若いお父さんお母さんのほうが多いだろうし、精神的にも体力的にも苦労があるだろう。経済的にも余裕があるとは言えない。
けれども、三人で乗り越えていく。明るい未来を切り開いていくのだ。カーテンから漏れるやわらかな日の光が照らす我が子の寝顔を見つめながら、二人はその思いを強くした。
それから三年後の十二月。幸子は無事に三歳の誕生日を迎え、三人で誕生を祝った。予約していたケーキを幸一が受け取りに行き、冷蔵庫に入れていた。白い生クリームで包まれ、赤いイチゴのたくさん乗った四号のホールケーキを、二人で選んだ。クリスマスシーズンで忙しいなか、行きつけのケーキ屋さんの計らいで、ケーキに「さちこちゃんおたんじょうびおめでとう」とメッセージつきのクッキーまでつけてもらった。幸穂が冷蔵庫からそーっと取り出して食卓に置き、箱からケーキを取り出すと、幸子はぱーっと目を輝かせた。
ハッピーバースデートゥーユーの歌を幸穂が歌い終わると、幸一も静かに拍手で祝った。幸子は満面の笑みを浮かべ、体を揺らしながら聞いていた。歌い終わると、ケーキに立てられた三本のろうそくに幸穂が火をつける。幸穂は手を出さないよう幸子に注意して、火を吹き消す動作をしてみせる。母の真似をして、幸子がふーっと火を吹き消した。三人で食べるケーキは、とびきり幸福の味がした。
もうすぐ幸子の幼稚園が始まる。そのため、幸穂は名札やクレヨンなど、いろいろな持ち物に一つ一つ丁寧に幸子の名前を書いていっている。骨が折れる作業ではあるが、一つ一つに幸子の名前が刻まれるのをうれしく思いながら油性ペンを動かした。
登園準備を進めるなか、これまで人間関係に悩んできた二人は、娘の入園後を心配していた。幸子はうまく馴染めるだろうか。同じアパートに住む年上のお姉ちゃんは、優しくかわいがってくれる。幸子もそのお姉ちゃんとは仲良くアパート前の砂場で遊んでいる。しかし、たくさんの同い年の子どもたちとうまく付き合えるだろうか。買い物や散歩、おでかけに行ったりするなかで、娘が人見知りするきらいがあることに二人は気づいていた。
幸一と幸穂は、幸子のこの笑顔が曇らず、これからも娘が幸せに過ごせることを願った。翌日も幸一の仕事が休みのため、誕生日パーティーは夜遅くまで続いた。
👨🍼👩🍼
小牧さん、今週も素敵な始まりをありがとうございました!
出すか悩みながら、でも今週は出したいなぁと。
最初、十二句の数にまつわる句、という、全然違うものも考えました。でも、なんだか違うと思い、ある方の今週の作品を読んで、物語にすることを決めました。個人的に好きな幸子にまつわる話です。
▼幸子の作品はこちら
▼過去の参加作品はこちら
今週もお読みくださりありがとうございました!
今回のお題の通り、今日からついに十二月ですね。
昨日同僚と出張帰りに、うわあ明日からもう十二月だと車のなかで言い合いました。早い。
すごく濃かったのにあっという間に感じます。
残すところ後ひと月。個人的には後約三週間で節目を迎えます。思い残すことのないよう日々を精一杯過ごそうと思います。
そんな思いで、十二月初めの今日は、いろんなことに踏み出しました。
正直不安もあるし、ずっと続けられるかもわかりません。でも、やってみよう、やってみてから考えようと思いました。
失敗が多い人生。うまくいっているとは言えない人生だけど、いいことだっていっぱいありました。だから、きっとなんとかなるでしょうと。
そのために、また明日から仕事をがんばろうと思います。
そして、もう一つ。ちゃんと書いておこうと。
シロクマ文芸部のおかげで、これまでいろんな挑戦ができました。
その一つが、初めての(かなり)不定期な連載です。
この作品を、時間はかかっても一つの本にしたいなぁと思っています。あ、売るとかではなく、なんなら製本だってちゃんとはする予定がありません。
たった一人、自分のために、手製本としてまとめたいなと。
行き当たりばったりで書いてきたから、いっぱい手直しして、多分書き下ろしなんかも加えて、自分のために本にしたいと思いました。私にとって大切な作品です。
この作品は、目次にも書いた通り、シロクマ文芸部のおかげで生まれました。シロクマ文芸部初投稿作品から少しずつ連なって物語になっていきました。
私でも、連載できるんだと後押ししていただき、創作大賞に踏み出すこともできました。
だから、形にして手元に残しておきたくなりました。
いつか。もしできたら、ここで報告しますね。
相変わらずあとがきが長くなりました。
すっかり寒くなり、やっと近所の銀杏や紅葉も色づきだしました。
みなさんどうぞご自愛ください。
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