石の上に五年座り続けられたら、隣に座られたのは「マツコさん」
「創作大賞のいっぽん」や分析記事などで創作大賞応援団長のようにこのnoteの祭典を盛り上げ、孤独な戦いを鼓舞するハスつかさん。昨年「ベストレビュアー賞」を受賞されたハスつかさんが今年も企画された、「創作大賞のいっぽん」に勇気づけられた方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
そんなハスつかさんが書かれたのが、冒頭のリンクにある『1000日チャレンジを1800日続けたら、マツコの隣に座っていた話』。え、マツコって、あのテレビにひっぱりだこのマツコさん? そうです。あのマツコさんです。TBS毎週火曜20:57~「マツコの知らない世界」にご出演になったのです。
そこまでの道のりは長いものでした。「1800日」ですよ。ぱっと想像がつかないです。年数にして5年。5年前、自分は何をしていただろう。まだnoteにはいませんでした。コロナ禍前。改元し、令和元年。SNSを遡っていると、仕事でもプライベートでもすごく悩み苦しんでいました。1年後に推しに出会い、2年後にnoteを始め、さらに2年後に転職し、今ここにいます。その間に2度、noteを長期間空けていました。だから、5年という歳月をずっと記事執筆に捧げることがいかにすごいことか、私にはよくわかります。
私は2021年の「今年のいっぽん」でハスつかさんに出会いました。あのときから変わらず、「●●のいっぽん」を続けられ、「おにぎり」記事を書き続けられています。その原動力は、いったい何なのでしょうか。
『1000日チャレンジを1800日続けたら、マツコの隣に座っていた話』は、つかみから素晴らしいです。
ナレーションが聞こえ、アバンがテレビにドドンと出てきたように感じます。
浮き足立ってテレビ局に向かいながらも、鼓動は高鳴り、テレビ局前でこんな心境に陥ります。「本当に自分なんかが、テレビに映ってもいいものなのだろうか。テレビって、もっとキラキラしている人が集まる場所ではなかろうか」。臨場感あふれる筆致はさながらドキュメンタリー番組のようです。固唾を飲んで見守る視聴者の気持ちになりました。
打ち合わせやスタジオ見学を経て脂汗でTシャツがぐっしょりと濡れたところで、控え室に昼食の「カレー弁当」を見つけたハスつかさん。お弁当の描写がもうおいしそうでハスつかさんらしく、伊達におにぎりの記録を1800日書かれていません。特別な日だからこそ、ごはんの思い出って残りますよね。
おなかを膨らませたハスつかさんの脳裏に過るのは、「なんで、自分はここにいるのだろう」という気持ち。1800日チャレンジが始まったのには、とあるきっかけがありました。ここが原点だったのか、と。ハスつかさんの「ファンベース」という根幹が形成された理由が語られます。
1800日もチャレンジを続けられてきたハスつかさんですが、実は三日坊主らしいのです。そのハスつかさんが何なら続けられるか、ぱあっと光り輝いてハスつかさんに舞い降りたのが「おにぎり」でした。おにぎりの食リポ、それも、コンビニおにぎりや自分が作ったおにぎりは除外して退路を断ち、お店の手作りおにぎり、そしてそのおにぎりを握る人にフォーカスしようと決め、ここまで続けてこられたそうです。「NO ONIGIRI, NO LIFE」の始まりです。
5年の歳月を感じさせる、私の知らない物語を読んで、ハスつかさんの人となりや歴史を垣間見られた気がいたします。そして、今なお根付いているハスつかさんの根幹の原点が覗けて、うれしかったです。
5年間続けるって、並大抵のことじゃないです。ときどき拝読する記事は凄まじい熱量で、これがたまにならすごくわかるんです。でも、それを続けてこられたハスつかさんだから、見られた景色があります。テレビの向こう側へ飛び越えて、マツコさんの隣に座ることができたんです。とっても夢のあるお話で、その背景には、とてつもない努力と熱意、おにぎり愛、さとなおさんへの思いがありました。
何かに打ち込む人って、魅力的です。それで大舞台に立てるのは一握りですが、実を結んだ方がここにいます。noteから、テレビへ。それでも大元は変わらないハスつかさんがnoteにいて、2週間前に6年目を迎えられています。この先にどんな世界が広がっているのか、楽しみですね。
「noteの中でチャレンジをしているクリエイターのみなさんへ」と記事にはありますが、私は他のすべてのものづくりをしている方、はたまた何かに全力で打ち込み、それを何かしらのかたちで広げようと努めているすべての方にとって、この記事は希望だと思っています。
素敵な文章ありがとうございました!
いえ、ご馳走たまでした!