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白い道

 黄色い点字ブロックが敷かれた歩道に銀杏並木が続く。会社近くの黄色に染まった道を昼休みに眺めていたとき、地元のホワイトロードを思い出した。
 白いモクレンやツツジが植えられているから、この通称で親しまれている国道二一〇号線の一部の道。父や母の運転する車、バスに乗って、市街地に出たり、ショッピングモールに行ったり、大分県民の給食の牛乳を作る会社の敷地内のレジャー施設に連れて行ってもらったりした。春に道路が白く染まるさまがなかなか趣深く、個人的にハクモクレンが好きでもあり、小説のモチーフとして数年温めている。

 ホワイトロードは思い出の道だ。家族でのおでかけで何度も通った。友人を連れ出して校区外に両親の結婚記念日のプレゼントを買いに行って怒られたときに通った道でもあるし、苦手な歯医者さんに通ずる道だ。社会人になってから、ホワイトロードがその名の通りに白く染まるさまを見ることはできなくなった。だから、最後に白いホワイトロードを見たのはもう七年以上前になる。
 実家のある谷を切り開いてできた団地からどこか遠くへ行くには、ほぼこのホワイトロードを通る必要がある。ホワイトロードは、育ててもらった場所と今を生きる場所を、家族を繋ぐ道でもある。


 一人暮らしを始めるまで、私は家族と離れることが信じられなかった。一人立ちなんてできない。そう思った。怖かった。
 しかし、学びたい学問は地元では学べない。離れたくないなら福岡でもいいのに、あえて神戸を選んだ。母校から兵庫に進学する人は少数だった。関西に行くなら大阪、後は関東、そして、圧倒的に福岡、熊本など九州。ただ、私は神戸という地にどこか魅力を感じて、加えてオープンキャンパスのときに福岡の候補の大学にも行ったのだが神戸の大学の言語学専修にとても強くひかれて、離れるという意識があまりないままに進学先を決めた。
 受験時も受験をすることに頭が持っていかれており、初めて実感したのは、入学手続きのために一人で神戸に向かう、太陽の描かれた白いフェリーのなかだった。

 一人暮らしを始めて数ヶ月は、ほぼ毎日、料理のコツを聞くなど、何かわからないことにかこつけて電話をして母としゃべることで、寂しさを埋めていた。
 幼稚園から高校まで人間関係に恵まれず、私には家族だけが安心できる拠り所だった。人と違う。学校という小さな社会でそれを突きつけられ、失敗を繰り返し、私は愛されない子なのだと思った。同級生に先輩、後輩、教師、親戚にも、私は否定された。妹の出産のための入院中に、母が白い厚紙をミッフィーの形に切って手紙を書いてくれた。そこに「人に好かれる子になってほしい」という願いが書かれていた。その母の願いを叶えられないと思った。人に嫌われるたびにミッフィーの手紙を思いだし、親不孝でごめんねと心のなかで謝った。
 それでも私が自己肯定感低くも心を閉ざさなかったのは、家族が私を愛してくれたからにほかならない。外でのことは申し訳なくてあまり言わなかったけど、薄々勘づいていたと思う。その分、両親は愛情をめいいっぱい注いでくれたし、妹はだめな姉でも見捨てずにいてくれた。
 ただ、進路選択をするときに思ったのだ。このままじゃ、私は家族に依存し、いつか親がいなくなったとき、一人で生きていけない。寂しくて寂しくてたまらなくて、立ち直れないかもしれない。また、妹とは一度距離を置いて関係性を築き直した方がよいと思った。だから、生活能力が低くても、寂しがりやでも、愛されなくても、生きていく覚悟を決めるために、家族と簡単に会えない場所に身を置いて一人立ちしたい。私が私として生きていくために。そんな気持ちも少なからずあった。

 結果として、四年間でかけがえのない出会いがあった。卒業して七年経った今でも、数ヶ月に一度六時間ぶっ通しで電話するような仲の友人に恵まれた。フラれるばかり、またはヤバい人にストーカーされ続ける人生だったのに、初めてまっとうな人に告白してもらえてお付き合いもできた。卒業しても連絡を取り合う仲間に恵まれるようなアルバイトをして、初めてお金を稼ぎ、スキルや仕事というものについて学んだ。将来には役に立たないけど、生きるうえで確実にプラスになる教養を身につけさせてくれる人文学科で、日本や各国の文学、歴史、地理、芸術などの一端に触れ、何より私が好きなことばについて思いっきり学び議論し合えた。その学びのなかで、また、たくさんの生い立ちも何もかも異なる人たちのなかで、私の苦手な人間というものを少しだけ知ることができ、価値観の違いを尊重し合える関係を育めた。合う合わないはもちろんあったが、人と違う私を、誰も馬鹿にしたり否定したりしなかった。家族とも適度な距離感で付き合えるようになった。
 良い意味で私のなかで築かれつつあった常識や固定観念ががらっと覆り、親も教師も、もっというと、大きく見えていた大人たちは、一人の人間だと知った。大人になるまで大事に育ててもらった箱入りの私が、私個人として歩む人生が、二十歳を過ぎてようやく始まったような気がした。高校までは勉強で上位になることでなんとかアイデンティティを保っていたが、無知の知を経て、未だに大人になりきれていない感覚はあるけれど、私は欠けていて、だからこそいろんなものを見聞きし、触れて学んで成長していこうと思っている。そして、社会に揉まれて、転ばない方法でなく、転んだときの起き上がり方、歩きだし方を知った。


 本当は、節目となるこのタイミングで、白い手帳を買いたかった。多分に六回劇場で見た映画の影響を受けている。文房具店や書店を回るが、白い手帳で使い心地が合いそうなものが見つからない。こんなにも種類があるのに、白い手帳を置いていないところの多いこと。結局、ここ数年使っている紺色の手帳を買った。既に来年の予定で白紙のページが少しずつ黒色、赤色、青色で埋められていっている。
 仕事で無理をして休んで、新たな一歩を踏み出した私は、その新天地でも、今苦境に立たされている。人ってそんなに簡単に変われないものだなぁと痛感する。環境だって変えるのは難しい。理解することと、行動に移し、それを当たり前に実践し続けることとは大きな乖離がある。私のやり方が否定され、私の今までも否定されているような感覚に陥る。
 そんなタイミングでたまたま電話やごはんに誘ってくれた友人と前職の先輩。決して私のすべてが悪いなんてことはないと立て続けに言ってもらえて、少し罪悪感が薄れた。彼女たちと話すなかで、確かに合っていない部分はあって合わせる必要はあるけど、すべてまるっと変えなくても、ところどころで折衷点を見つけていけばいいのかもしれないと思えた。つい、ゼロか百か、白黒はっきりつけなくてはと考えがちだけど、私の色を黒く塗りつぶしたりグレーに染めたりするのではなく、マーブルをめざせばよいのかもしれないと気づかせてもらった。テストみたいに百点満点をめざさなくてもよいし、上司の言うことがすべてでもないのだと。

 白い手帳という物理的なお守りはないけど、白い手帳という言葉や好きな人たちの言葉をお守りに、この先の白紙の道のりを、そのときどきで思う色に染めていこう。そして、会えるうちに、また妹とホワイトロードを通って両親に会いに行こう。いろんな人たちのおかげで今の私があるのはもちろん、やっぱり私を生み育てて愛し守ってくれたのは私の両親であることに変わりはなくて、私という人格形成や今の生活に妹の存在は大きく影響している。
 これまで通ってきた道を振り返りながら、必要に応じて軌道修正したり、走ったり歩いたりしよう。うろうろ迷って回り道をしてもいいし、すごろくのように一回休んだっていい。失敗しても、選んだ道を否定しなくていい。壁が立ちはだかれば、ゆっくりよじ登ったり、階段を作って一段一段上がったり、壊したり、別の道を探したりすればいい。岐路に立たされるたび、悩みながらも自分で選び、道がなければ切り開けばいい。雨が降れば雨宿りして、トンネルはいつか出口にたどり着くと信じて進もう。無理して気遣いすぎて、自分で行き止まりを作らない。私は私の道を行く。ぶつかってくる人からは逃げて、合わない人は置いていき、手を繋ぎ合う人は大切にしよう。
 "Life is a journey." この旅路をまだまだ楽しみたい。


 今日は、すごろくであれば普通の一マスでなく、太い枠で囲まれた中間ゴールのマスに立っている。そんな二十代最後のランチについて妹に問われた。
「白いクリームパスタと赤いトマトパスタ、どっちがいい?」 
 私は答えた。
「トマトクリームパスタをお願い」
 ピンク色になると思いきやビスク色になったトマトクリームパスタ。妹が作ってくれたパスタランチは、とってもおいしかった。おいしいものをおいしいと食べられた。明日も白い道を歩いていける。


🏳️

実は、一ヶ月前に先に素案を書けたのは赤のエッセイでした。
ただ、個人的都合で大変恐縮なのですが、そのエッセイは公開するなら明日したい内容になってしまいました(するかはわかりません)。後ですね、ちらっと数人のエッセイを読みまして、打ちひしがれました。書く前に見ちゃだめですね。
そこで再考した結果、白のエッセイをじっくり書くことにしました。
納豆ご飯さん、椎名ピザさん、ごめんなさいm(_ _)m
そして、そこそこ重くて暗い感じになってしまいました。重ねてお詫び申し上げます。

ちなみに、やっぱり紅白といえば運動会。
この『ゴーゴーゴー』という歌が好きです。

各々の組で交代に全力で歌った後、同じ歌詞をもう一度同時に全力で歌います。自分の組の歌のほうが響け~とそれはもう全力で。
その重なりがすごく素敵で、私は音楽的にとってもいいなぁと思っていました。後から作曲家を知って、そりゃ好きだわ、ハーモニーが素敵なはずだわと納得。橋本祥路さんは、合唱曲や校歌の作曲も数多く手掛けられています。『時の旅人』は特に好きです。編曲も多くなさっています。
運動が苦手な私でも応援合戦の時間は好きで、白組だったときに応援団に志願してポンポンを作ったのも懐かしい思い出。かっこいい振付を覚えて団の人たちと一緒に拍子に合わせて決まったときの快感たるや。「龍神」「雷神」という振付が特に好きでした。
両親が一生懸命カメラ席に並んで撮ってくれたビデオは今は再生できないけれど、撮ってくれたことと全力でやったことは今でも色褪せずに胸に刻まれています。
すみません、脱線しました。

ということで、今回は白組で参加させていただきます。
ちきゅうをまわる いなずまだ しろぐみ!
各組のエッセイが合唱のように響き合うハーモニーを楽しみたいと思います。
こーたさん、コッシーさん、よろしくお願いいたします!

#紅白記事合戦2024

#白のエッセイ

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すーこ
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