
望月見守る結婚式
今朝の月は満月、望月だ。晴れの日にふさわしいまんまるの月が、まだ薄暗いなかに金色に光っている。朝から生暖かい二階のベランダで一人、空と藤の木を見上げながら昨夜のことを思い返していた。
昨夜、葵がうちに来て、先月末ぶりに一緒に夜ごはんを食べた。きらりちゃんもご実家に帰っていた。そう、二人の結婚前夜だった。前回結構夜深くまで話したから、近況報告もそこそこに、早くお風呂を済ませるように促した。明日は大切な式なのだから、二人して寝坊なんてできないもの。そしたら、「先に母さんが入りなよ、母さんのほうが風呂長いし、髪乾かすのも時間かかるだろう」って。
お言葉に甘えて入浴後、三人分の食器は洗って乾燥ラックに並べられていた。家族三人で食べるごはんは最後になるかもしれない。そう思って、藍さんのごはんも並べていた。葵が藍さんの分までぺろっとたいらげちゃったの。もういい年なのにね。元気で何よりだけど。そして、私たちが名前に込めて望んだように、おだやかで優しいままに育ってくれた。我が息子ながら、申し分のない子だ。
「ありがとう、お皿洗い」
「母さんこそ、夜ごはん作ってくれてありがとう。俺の好物にしてくれてうれしかった」
「今でも好きだった? 大人になると味覚が変わるじゃない」
「好きだよ。今日のもおいしかった」
うれしいこと言ってくれるじゃない。しばらく一人での食事で、感想なんて聞かないから。この前もおいしかったって言ってくれたんだけどね。その前はずいぶん空いたし、これからも、きらりちゃんのご両親のところにも伺うだろうし、仕事も忙しそうだし、どうしても機会は減るだろう。便りのないのは良い便りって言うしね。
子離れはずいぶんできたつもりだ。でも、一人きりの夜はまだ寂しい。最近は、披露宴のムービー用の写真選びやら結婚式・披露宴の相談なんかで忙しかったのだけど。それももうない。
「葵も入っちゃいなさい」
「うん、でも、髪乾かしたらちょっといい?」
「どうしたの?」
「あいさつ、させてほしい」
「そういうのはいいって言ったじゃない」
「俺の自己満足。だめ?」
だめなわけ、ないじゃない。
「わかった。髪拭いたらすぐに始めて。夏だし後でちゃんと乾かすから。明日もあるんだから手短にね」
「はは、情緒ないなぁ」
湿っぽいのは似合わないでしょう。笑顔で送り出したい。髪をタオルで拭いて席に着くと、葵はまず、葵色の本のコピーを二冊くれた。あれは葵に贈ったけれど、すべてコピーして葵色の表紙が巻かれ、茜色と藤色の組紐で綴じられてあった。間にすみれの押し花のしおりが挟んであった。小学校に咲いていたわね。いつも水やりしてくれるって先生がおっしゃっていたっけ。一冊は藍さんの席に置く。それから、用意した手紙を開いて読み上げ始めた。
母さん、父さんへ
月並みな言葉だけれど、ここまで育ててくれて本当にありがとうございました。
おかげさまで、元気にのびのびと育ち、明日、きらりと結婚式を迎えられることになりました。
母さんと父さんが出会ってくれたから、今の俺があり、金魚ちゃんとの思い出もあります。
父さん、明日、空から見ていてください。空と海がよく見える結婚式場だから、きっと見えるんじゃないかな。
そして、これからも、母さんのことを守ってください。頼みます。もちろん俺も帰るけど、しょっちゅうは来られないから。
母さん、父さんが旅立ってから、本当に大変だったと思う。責任感が強くて、仕事も家事、子育ても務め上げてくれた母さん。協力しようと努めたけど、至らないところも多々あったと思います。でも母さんは、一度も俺に愚痴をこぼしませんでしたね。愛情たっぷりに育ててくれて、本当に感謝してもしきれません。
前にも言ったけど、自分のために人生を楽しんでください。そして、これからも恩返ししてくから、長生きしてください。無理のないよう、ご自愛ください。
結婚前夜 葵
もう、笑顔で送り出したかったのに。お風呂入ったのに。濡れないように早々に手元からコピー本を離して奥に置いて、ティッシュを何枚も箱から抜き取った。顔を洗い直して、目蓋を冷やさないと。明日は大切な式なのだから。「もう、泣かせないでよ」
「俺の気持ち、ちゃんと直接伝えたかったから。これ、手紙」
「私もね、葵に」
親子って似るのね。私が預かっていた藤色の日記帳。私も手元に置いておきたかったけれど、半分は葵のものだから。コピーして綴じたものを、葵に手渡す。
「荷物増やしてごめんね。あれだったら今度送ろうか」
その後、一瞬何が起こったかわからなかった。そして理解した。成人してしばらく経つ息子が、私を抱き締めてくれていた。いつぶりだろう。
「母さんこそ、泣かせんなよ」
肩のあたりが葵から滴るもので濡れていく。
「さあさあ、早く入りなさい」
「わかったよ。これはもらっていきます。もう寝てていいから。ちゃんと髪乾かせよ。おやすみ」
「おやすみなさい。葵こそ、湯冷めしないように、上がったら早く休みなさいね」

空が濃い藍色から葵色、茜色へとグラデーションを描く頃、ベランダの窓をコンコンと叩く音がした。
「おはよう。朝ごはんできた」
「おはよう。早いじゃない。ごはんまで、ごめんね」
「謝んなよ、誰が作ったっていいだろ? 母さんのおかげで、料理がおいしいってきらりにも褒められるんだ」
「きらりちゃんのごはんもおいしいよね」
「うん」
うれしそうな顔。
「ほら、冷める前に食べよう」
「そうね、下りようか」
階段を下りるときから、おいしそうなにおいが漂っていた。
「いただきます」
なすとたまねぎ、豆腐、わかめのお味噌汁、目玉焼き、ウインナーとししとう炒め、ミニトマト、きゅうり、ベビーリーフのサラダ。和洋折衷なのが葵っぽい。葵の作ってくれた朝食は、ちょっぴりしょっぱく、ししとうはほろ苦い。ジューシーなウインナーと半熟とろとろの目玉焼きが食欲をそそる。野菜から食べろよと言われたので、サラダに箸を伸ばす。ししとうも野菜でしょう。でもサラダのミニトマトが甘い。お味噌汁も少し甘くて、なすがとろとろ。たまねぎはほどよくシャキシャキ感が残っている。バランスよく、とびきりおいしい味がした。
「行ってきます。遅れないように」
「行ってらっしゃい、気をつけてね。早めに出るわ」
「母さんも気をつけて。じゃあ、また後で」
会場に着くと、朝陽さんと光さんはもう着いていた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします。晴れてよかったですね」
光さんと笑い合う。
「ええ、雲ひとつない青空ですね」
「空も満月も、二人を祝福してくれているようです」
朝陽さんはとても詩的な表現をなさるわ。
「本当に」
「茜さんのお母さまとお母さまのお知り合いの方がお見えになっていましたよ。先ほどごあいさつさせていただきました」
「まあ、光さんありがとうございます。では、光さんたちのご親戚にごあいさつさせていただいてから」
「うちの親戚はまだ着いていなくて。朝陽さんのところも。新幹線が遅れているみたいなの。だから、先にお母さまたちにごあいさつなさってください」
「そうなんですね。無事到着されるとよいのですが。では、少し失礼しますね」
趣味で小説を書いてWeb上で公開していた母は、あの年齢で幅広い知り合いがいる。
「茜」
母の澄子だ。ペンネームはすーこと言うらしい。父は一昨年亡くなったけれど、母は一人でまだ元気に暮らしている。遠いので、仕事もあり連休のときしか行けないが、母には葵のことでもとてもお世話になった。
「お母さん。早かったね」
「何かあるといけないから、泊まっておいたからね」
「後で旅費」
「もう、そういうのは気にしないの。それより葵のところに行かなくていいの?」
「行くよ。あいさつしに来たの。それに、お母さんのお知り合いもいらしてるって」
「そうなの。わざわざ来てくださって。葵と話したときにね、ぜひ招待させてほしいって言うから、ご迷惑にならないか聞いたらぜひって」
そう言って、二人の女性を紹介してくれた。
「はじめまして。樹立夏と申します」
凛とした佇まいの樹さん。
「はじめまして。りみっとと申します」
朗らかな微笑みが素敵なりみっとさん。
「はじめまして、藤ノ木茜と申します。いつも母がお世話になっております」
「こちらこそ、お母さまといつも楽しく読み合っております」
「実はきちんとお会いするのは今日が初めてなんです」
「まあ、そうなんですね。樹さんは後ほどスピーチをご披露くださるって、先ほど母から。ありがとうございます」
「すみません、貴重なお時間をいただいて」
「とんでもないです。葵たちも喜びます。りみっとさんも、お忙しいなかありがとうございます」
「茜さん、お会いできて光栄です。私、茜さんと藍さんの出会いの物語が大好きなんです」
「母の書いてるものですね。きっと母の想像でずいぶん脚色されて美化されていますけどね」
「茜から聞いた話をもとにしているのよ」
母が割り込む。
「はいはい。他のみなさんからも祝電をいただいていて。ありがたいです」
「茜さん、お時間大丈夫ですか?」
「すみません、そろそろ行きますね。ゆっくりして行ってください」
無事光さんたちのご親戚も揃い、結婚式が恙無く終わった。きらりちゃん、ウエディングドレスがとってもよく似合っている。葵のタキシード姿も、少しかたいけど似合う大人になったのね。
それから準備が整い、披露宴が始まった。二人の共通の友人、白石舞ちゃんが友人代表のスピーチをしてくれた。二人ともにこにこしながら聞いていた。近しい間柄の舞ちゃんのスピーチは、私の知らない話もあって聞き入った。会場から拍手が送られる。
「続きまして、小説を書かれているという新郎のおばあさまの読者、樹さまより読者代表スピーチです」
樹さんのスピーチが始まった。
葵さん、きらりさん、並びにご両家の皆さま、本日は、誠におめでとうございます。葵さんのお父様、藍さんも、きっとこの場におられ、共にお二人を祝福してくださっていることと思います。
作者であるすーこさんが創られた、この優しい世界で、お二人の物語に心を震わせた読者の一人として、拙いながらもお祝いの言葉を述べさせていただきます。
茜さんと藍さんの運命的な出会い。互いに惹かれ合ったお二人が、葵さんのご両親となりました。藍さんとの悲しい別れが訪れても、茜さんと葵さんは、二人三脚で悲しみを乗り越えて、今を生きていらっしゃいます。
藍さんの面影を残す葵さんは、とにかく優しいお人柄で、たびたび読者である私たちの涙を誘いました。小学校に咲くスミレに欠かさず水をやり続け、茜さんを励まし続けた葵さん。そんな葵さんときらりさんは、小学校で出会います。友達付き合いが苦手だったと仰るきらりさんの心を、葵さんの優しさが、融かしていったのですね。仲良しになった葵さんときらりさんは、読者の私たちの心まで、温かく融かしてくれました。
そしてついに、お二人は結ばれ、ご結婚されます。ほんとうに、ほんとうにおめでとう。
ご結婚の知らせが届いたとき、私はまるで親戚のおばちゃんのように、お二人を祝福させていただきました。他の読者の皆様からも、お祝いのメッセージが多数、寄せられましたね。
皆に愛される、葵さんときらりさん。茜さん、藍さん、光さん。そして、そんな優しい人々を創り出してくださった、作者のすーこさん。いつも、私たち読者の心を温めてくれて、ほんとうに、ありがとう。
読者代表の私の、今のこの気持ちを、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は、ほんとうに、おめでとうございます。
https://note.com/ritsuka_itsuki/n/n68e4cec1d178?magazine_key=mdcf4ce0740fc
視界がぼやける。私たちにまで、こんなに心を寄せてくださって……。机上の藍さんの写真立てをぎゅっと抱き締める。方々から拍手が起こり、私は慌てて痛くなるくらい手を鳴らした。
それから、お色直しを経て、二人の歩みのムービーが流れた。赤ちゃんのきらりちゃん、かわいいなあ。葵もかわいいよね、藍さん。藍さんが一番よく撮ってくれたのを選んだでしょう。すみれに水をやる葵を見守るきらりちゃん。青空の下、イチゴスイーツを分け合う二人や舞ちゃんたち。このへんは先生が撮ってくださったもの。道端で遊ぶ二人。光さんが撮ってくれていたのね。そして、知らない二人の写真が続いた。舞ちゃんたちが撮ってくれたのかしら。自撮りしたのもある。こんな風に過ごしてきたのね。
「続きまして、新婦からご両親へのメッセージです」
きらりちゃんの読み上げる手紙に光さんたちも目に涙を浮かべている。とっても心のこもった温かいメッセージにうれしくなる。
「そして、茜さん」
え、私?
茜さんに、ずっとお伝えしたいことがありました。
まだ葵さんと仲良くなる前、私は葵さんを傷つけることを言ってしまいました。葵さんはもう忘れていいと言いますが、どうしても忘れることはできません。そして、茜さんのことも傷つけてしまったと知り、どうしても謝りたく、この場をお借りして伝えさせてください。
大切な葵さんを傷つけて、茜さんまで傷つけて、本当にごめんなさい。
これからは、葵さんのことを傷つけないよう、気をつけます。そして、大切にします。
自己満足で、みなさんの前で大変恐縮ですが、きちんとお詫びと決意を伝えさせてください。許してほしいのではなく、これから茜さんとも、ちゃんと家族になりたいと思って、伝えさせていただきました。きっと茜さんは覚えていらっしゃるから。
今後とも末長くどうぞよろしくお願いいたします。
藍さんに縋ったあの日を思い出す。不安でいっぱいだったあの頃。葵を早く大人にしてしまったことを悔やんだ。あのときのハグと、昨日のハグが重なる。
そして、深々と頭を下げるきらりちゃんはずっとこころを痛めてきたのだろう。子の傷を親が忘れられないように、子どもだって自分のつけた傷を忘れられずに大人になる。こんなに大勢の前ですごく勇気がいっただろう。私は思いっきり、きらりちゃんを抱き締めた。
「もう、家族だと思ってた。きらりちゃん、勇気を出してくれてありがとう。覚えていてくれてありがとう。そして、こちらこそ、これからも、葵ともどもよろしくお願いいたします」
温かい拍手に包まれながら、娘を抱き締めた。
あっという間に披露宴も終わった。婚姻届に署名を済ませ、これから二人で届けを出してくるという。光さんたちは、ご親戚と過ごされるとのことで、丁重にご挨拶し、二次会は若い人たちだけでとみなさんと別れた。物書き仲間と交流を深めた母と合流し、式場を後にした。
「お母さん、明日空港まで送るよ」
「いいわよ、仕事があるんじゃないの?」
「明日は休みを取ってる」
「疲れてるだろうし、いいわよ」
「寂しいの。一人でいるの」
ぽろっと口からこぼれ出た。そう、寂しいんだ。
「二人でしょう。ずっとそばに居てくださったわ、藍さん」
「うん。そうなんだけどね」
「茜は昔から寂しがりやだったね。じゃあ、送ってもらおうかな。十三時には空港に着かないと」
「わかった。お弁当作って持ってく」
「ありがとう。茜の手料理久しぶりね」
「お母さんには敵わないけど」
「ううん、茜のごはん、おいしいよ」
母の言葉が沁みた。母はずいぶん小さくなった。白髪を久しぶりに染め、普段すっぴんなのにしっかりと化粧した母。高齢出産だった母はもうずいぶん長生きなほうだが、願わくは、もう少し長生きしてもらいたい。そして、藍さんに会うときが来たら。そのときは伝えてほしい。私も葵も幸せに暮らしているから、二人で見守っていてほしいと。
「じゃあ、また明日ね」
「寝坊したら無理しなくていいから」
「しないよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
母がホテルに入っていくのを見守り、賑やかな通りを抜け、月明かりが照らす高架下の道を、もう少し先の駅を目指して進む。帰ったら、藤色の日記帳と葵色のコピー本を読みながら、久しぶりに梅酒を飲もう。藍さん、付き合ってくれるかしら。空を見上げると、朝より少し欠けた月の横に並んだ明るい星が瞬いた。
🌟🌕💒
小牧幸助さん、今週も素敵なお題をいただきありがとうございます!
葵と茜と藍の物語の続きです。500字から始まったこの物語は2万字を超え、やっと結婚式を書けました。ずっと読んできてくださったみなさん、大変お待たせしました。ご期待に添えているとよいのですが…。
そして、サプライズでお二人にご登場いただきました。
樹さん、スピーチを引用させていただきましたが、もし削除したほうがよろしければ遠慮なくお申し付けください。
りみっとさんのエピソードは、こちらよりお借りしました。
前作はこちら。
各話は冒頭の目次または下記のマガジンから読んでいただけましたら幸いです。
これからも、過去回想であったり、この先の話だったり、「シロクマ文芸部」のお題から連想できることがあれば書かせていただきます。
ただ、結婚式だけは早く挙げさせてあげたかったので、ようやくです。これから入籍を済ませる二人は、ついに家族になります。
シリーズを読み返して、懐かしく思い出しながら書きました。詰め込んだ結果、シリーズ最長になりました。シリーズ名をそろそろ固めたいですが、どうしよう。
このシリーズ、プロットも書かずにお題をいただいた勢いで書いており、未だに人物表すら作れておらず、時系列もふわっとさせています。ちゃんとまとめたいです。
(2024/8/25 18:32追記)
シリーズ名決めました。
読者のみなさま、今週も読みに来てくださってありがとうございます!
それではまた。来週は台風にお気をつけてください。
いいなと思ったら応援しよう!
