イトバナシでチョコバナシする話②
前回のイトバナシでチョコバナシする話①では、チョコバナシすると決めて、し始めるまでを振り返りました。今回はその続きで、新たな気持ちで始まった春から夏の終わりまでのお話です。①から読むと、物語性がよりあるかもしれません。
2022年5月-7月 チョコにのめり込む
これまでの肩書きを溶かしたくて、特にチョコレートにのめり込んだ期間だった。転職すると決めた時点でわかっていたことがある。
学生時代と実際に働きはじめてからの思考の積み重ねで、隙があると「地元のじいちゃん、ばあちゃんが最期まで自分らしくあるには?」「作業療法の捉え方で目の前のことを捉えてみると?」と今まで立ててきた問いがすぐ呼び起こされると。
一応、「今までしてきたことと、これからしていくことは作用しあって、面白いことになるぞ」と曖昧で前向きな展望を持ってはいる。しかし、まずイトバナシでチョコバナシできるようにならないと話が始まらない。
というふうに、患者さんにしてきた声かけを自分にすることになるとは面白いなと客観的に思いながら、目の前のことに臨んだ。わかっていたことだが、チョコレートの世界も、学べば学ぶほど奥深い。知識も技術も伸びしろしかない状況だ。
作業療法士をしてきたことを忘れるくらい、チョコに集中しようと思って過ごした春。夏を迎える頃の雑記には「肩書きは少し溶けた気がする」と残っている。
2022年8月-10月 鹿児島で心を揺さぶられる
真夏、「そろそろチョコ以外のことも少しは考えていいんじゃないか?」と思い始めた。この頃、最も印象的だったのは友人と鹿児島の大隅半島を訪れたことだ。
この旅の一番の目的は気になっているチョコレート屋さんに行くことだったが、実は私が幼少期を過ごした地元と同じ地名が鹿児島県内にあると以前聞いたことがあり、「とにかく鹿児島に行ってみたい」思いが強かった。
宿泊先は廃校になった海辺の小学校跡地を利活用した場所にした。この宿泊をきっかけに数年前に廃校になった自分の出身小学校のことを思い出し、「私は今まで何をしてきて、今何をしていて、これから何をするのだろう」と過去・現在・未来のことを行ったり来たり考えるようになった。
心揺さぶられたまま鹿児島から奈良五條に帰ってきて、いざチョコバナシの現場な日々が再開。当たり前になりつつある日々だったが、視点が増えたのか気になることがいくつかあった。
そうした気づきから、「チョコバナシのお店やその周辺環境は、例えば杖をついていたり、車いすを使ったりする方にどのくらい優しいのだろうか」「チョコバナシのスタッフやお店として、認知症がある方に何が前向きにできるのだろうか」という問いが生まれた。
チョコバナシのお店や周辺の環境については、「実際試してみよう!」ということで、元同僚の友人と共に車いすで探索してみた。
実際、昔ながらの良さを活かした建築様式の影響もあるのか、入り口の段差がやや高かったり、幅が狭くて車いすでは通れないこともあったりした。しかし、「ここのトイレならおすすめしやすい」とわかったり、「もし段差があったらこうしよう」「幅が狭ければこう工夫をすればいいんじゃないか」と得られた情報は多かった。
認知症がある方にできる前向きなアクションのひとつ。市が中心となり進めている「認知症があり行方不明になる可能性のある人などを見守るネットワークづくり」にチョコバナシとして協力できないか、工場長に提案してみることにした。
無事に承諾してもらえたのでchocobanashiとしてネットワークに登録させていただいた。
あともうひとつ。9月は認知症の理解を深めるための「世界アルツハイマー月間」と定められている。というわけで、啓発カラーのオレンジ色のTシャツを着て製造してみた。
小さなことばかりだが「これまで自分が大切にしてきたこと」と今を掛けあわせたアクションを積み重ねていきたいものだ。
気づけば夏が終わり、過ごしやすい気候になり、チョコレートのシーズン到来。そんな秋以降のお話も③で書けたらいいなと思います。