絵本の蔵書(その15)「鹿よ おれの兄弟よ」「翼の時間」他
「シベリアの森で生まれたおれは猟師だ。おれの着る服は鹿皮、おれの履く靴も鹿皮だ」力強い詩と、はっと思わせるような東洋的な細密画によって、シベリアの神秘的な森へと、どんどん引き込まれていく。(福音館書店)
人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義。
丁度、菜食主義とヴィーガニズムについて読んでいました。
世の中にはトラウマによって肉や魚を食べられない人、アレルギーによって様々な食材が命の危険をもたらしてしまう人がいます。しかし、菜食主義やヴィーガニズムは単なる思想です。宗教の戒律と同じです。そういう皆さんにとっては、それが正義。見出しに書いたように、「ヴィーガニズムとは、人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義」です(健康やダイエットによる食物の選択も、それは現代的な考え方であって、人類の進化とはたぶん関係ない)。
ヴィーガニズムを一方的に否定はしませんが、そこには何か不自然な倫理観を感じます。動物から搾取してはいけないと言っているのに、植物やその他の生物なら食べたり搾取しても良いのかという疑問を覚えます。
それは結局、ただの差別意識の延長なのではないかと思います。ここからここまでは良くて、ここから先はダメだと決めているのは人間の勝手な思い込みです。動物を食べず、植物だけ食べることが偉いとは思えませんし、モッタイナイ精神を忘れて食べ物を粗末(フードロス)に扱えば、むしろその報いを受けることでしょう。
そして、そういった議論に対する答えはこの絵本の中にあります。
搾取する生き物への畏敬の念、感謝と祈り。それでも人間は生きていかなければならない。親は子供を食べさせる、衣食住を得て生活するためには、あらゆる物を使う。それに制限をかけているのは、何不自由なく暮らせるようになった人間の傲慢以外の何ものでもありません。
私は無宗教の無神論者ですが、食事の前に神様や食べ物に感謝を捧げる行為は正しいと感じます。(自分にそのような習慣はないですが…)
前に書いたくじら食の食文化のことも同じです。私は反対の立場ですが、もし目の前にくじら料理を出されれば迷わず食べられます。出された食べ物を捨てさせるくらいなら有難く頂くべきだと考えます。捨てる行為(フードロス)に罪悪を覚えます。だから必要な時には食べれば良いのです。それが主義や思想に執着する人たちとは違うところです。
私たち人間もこの地球で食物連鎖の中に生きているのですから、他の生物から搾取して生きるのが自然なこと。しない方がむしろ不自然です。
すべてはバランスだと思っています。
図書館には、人が記録してきた膨大な時間が閉じ込められています。そこから始まる、不思議な時空の旅。目をつむるとまるで動画のように絵本の世界がよみがえります。絵画のような世界をお楽しみください。贈り物としてもステキな1冊です。
銀の星がきらめく半透明のカバーつき。(ミキハウス)
前にも紹介したミキハウスがプロデュースする東逸子の絵本ですが、ここで評価している絵本とは異なります。文はほぼないです。とは言え私も東逸子の絵は好きなので、いくつか持っています。
ひとりぼっちになったおじいさんは、はじめておだんごスープをつくりました。スープができたとき、ドアの外で小さな足音がしました。(偕成社)
「魔女の宅急便」の原作で有名な角野栄子のお話による絵本です。一味違います。非常に絵本らしい内容で、どこかで読んだような印象もありますが、設定がちょっと今風で新しい。
かえでがおか農場にはたくさんの動物の仲間がいます。4ひきの猫、2ひきの犬、5頭の馬、豚、牛、羊、にわとり、がちょう達、そして近所や野生の動物までもが、楽しい仲間として、大判の画面いっぱいに生き生きと描かれます。(童話館出版)
これも中を開いて見せなければ、その魅力の一部も伝わらない絵本だと思います。動物好きな子供、動物のいる施設へ遊びに行くのが大好きな人にはニヤニヤが止まらなくなる楽しい絵本です。とくに最初のネコの紹介が気に入れば、間違いなく宝物となる絵本でしょう。
なんという時代―いまも。砲声と瓦礫のなかに奇妙なうわさがひろがった。子供の十字軍。純朴に健気に、矛盾も現実も、未来の平和を希求し放浪する子供たちの語りうた。(パロル舎)
ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトによる詩。第二次世界大戦中のポーランドに、人種や宗教の壁を超えて集まった孤児たちが大人たちを避けて肩を寄せ合って行軍していきますが、冬を越すことは叶わなかった… 今の日本にはナチスを崇拝し、このポーランドでアウシュビッツにおける残虐行為はなかったなどと主張して、当のポーランドから忠告を受けるような人が社会的に支持されカリスマ扱いされています。今の日本では争いを好む人ばかりが社会から支持を受けています。
そのことと直接このお話に関わりはありませんが、戦争中の残虐行為を「なかった」と言い切る人は、結果的に戦争を肯定しているという自覚はありません。このことを多くの日本人が恐ろしいとは捉えず、面白おかしく盛上げている状況には背筋がゾッとします。これでは本当に日本がまた焼け野原と化す時代は、すぐそこまで来ていると思わずにはいられません。
ようするに、戦争を否定しない人が増えることは、政治が戦争へと舵を切っても誰も止められないことを意味します。
戦争好きな連中がこの世の地獄へ進むのは“自己責任”ですが、せめて私の生きている時代にはやめてもらいたいなと思います。どのみち私の家系は私で終るので、子孫を心配する必要はありません。勝手にやって滅べば良い。(自衛隊の存在ばかりに頼っていますが戦争で自衛隊が足りなくなれば、あなたの子供も孫もひ孫も皆戦争に奪われるのです)
先の衆院選で憲法改正派の政党が主流を占めた意味です。もしそう考えない人は愚かです。そういう人が多いから昔は繰り返し戦争があったのです。
「絵本の蔵書」は、終了した「クックパッドブログ」で以前連載していた(所有している)絵本の紹介です。最終的には103冊ありました。(その20)まで続きます。古い名作絵本は、図書館に行けばたぶん見つかります。