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ゴ論語ロン

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ことわざと教訓は、永遠に未熟な自分への戒め。何を偉そうに書いてんだと思っている人は誤解です。自分のできないことを繰り返し書いて自分に言い聞かせることが大事です。
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記事一覧

人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す。(菜根譚)

人生減省一分、便超脱一分。如交遊減便免紛擾、言語減便寡愆尤、思慮減則精神不耗、聡明減則混沌可完。彼不求日減而求日増者、真桎梏此生哉。(菜根譚) (人生は、一分を減省せば、便ち一分を超脱す。如し交遊を減ずれば便ち紛擾を免がれ、言語を減ずれば、便ち愆尤寡く、思慮を減ずれば、便ち精神を耗せず、聡明を減ずれば、則ち混沌完す。彼の日に減ずるを求めずして、日に増すを求むるは、真に此の生を桎梏するかな) 人生においては、何事につけても減らすことを考慮すれば、その分俗っぽさから抜け出すこ

花は半開を看、酒は微酔に飲む。此の中に大いに佳趣あり。(菜根譚)

花看半開、酒飮微醉。此中大佳趣。若至爛漫酕醄、便成惡境矣。履盈滿者、宜思之。(菜根譚) (花は半開を看、酒は微酔に飲む。此の中に大いに佳趣あり。若し爛漫酕醄に至らば、便ち悪境を成す。盈満を履む者、宜しく之を思うべし)  花は半開の五分咲きを見るのがよく、酒はほろ酔いかげんでやめるのがちょうどよい。物事はすべてほどほどがよく、その方がかえって趣がある。満ち足りた境遇は望まない方がよいという喩え。 盈満を履む者、宜しく之を思うべし。 今回の一文は最後に「満ち足りた境遇にある

子曰く、三人行えば、必ず我が師有り。(孔子がおっしゃった。三人行動を共にすると、必ず人の手本となる人がいる)【論語 述而第七】

子曰く、三人行えば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者にして之を改む。(論語 述而第七) 孔子がおっしゃった。三人が行動を共にすると、必ず人の手本となる人がいる。その善い人を選んでその人を見習い、その善くない人を見て自分の身において改める。 論語 ― 全文全訳

子曰く、益者三友、損者三友。(孔子がおっしゃった。有益な友が三種。有害な友が三種ある)【論語 季氏第十六】

子曰く、益者三友、損者三友。直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは、損なり。(論語 季氏第十六) 孔子がおっしゃった。有益な友が三種。有害な友が三種ある。まっすぐな人を友とし、真心のある人を友とし、物知りな人を友とするのは有益である。体裁ぶっている人を友とし、媚びへつらう者を友とし、口先ばかり達者な者を友とするのは有害である。 子曰く、益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを

孫子の兵法、読了そして。

人皆知有用之用而莫知無用之用也

人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり(荘子) 「無用の用」とは、無用だと思われているものこそ有用という考え方。  前にどこかで書きましたが、最近出て来た「タイパ=タイムパフォーマンス」という言葉が大嫌いです。何の余裕もないガチガチに無駄を排して得られる効率こそが良いという考え方は、愚か者の思考としか思えない。無駄な時間という言い方もできますが、余裕・猶予という言い方もできます。全く❝遊び❞のない計画は、突然起きる不測の事態に対応できなくなります。  考え方が目

知仁勇三者天下之達徳也

知、仁、勇の三者は天下の達徳なり(『中庸』より) 『達徳』とは、徳の中の徳。とりわけ重要な徳といった意味。(徳とは… 身についた品性。社会的に価値のある性質。善や正義にしたがう人格的能力) 徳はいくつもの要素から成り立っている。なかでも重要なものが「知」「仁」「勇」の三つだという。 「知」  深い読みのできる能力、ものごとを適切に処理できる能力。この二つの複合の上に形成されるのが「知」。 「仁」  相手の気持ちや立場にたって考えてやること。つまり「仁」とは❝思いやり

逃げるは恥だが役に立つ。

自己啓発書とは 人間の能力向上や成功のための手段を説く、自己啓発を目的とした書籍。セルフヘルプ本、自助本とも。 主に人生について取り扱う分野であるため人生書の一種とも考えられ、人生指南書などの表現も存在する。 半世紀の重みもない自己啓発書より古典的な哲学書を信頼しています。

多言なれば数々窮す。中を守るに如かず。(老子道徳経 虛用第五)

(たげんなればしばしばきゅうす。ちゅうをまもるにしかず)口数が多いと、無用なことや間違ったことを言ってしまって、困った目にあうことが多い。余計なことを言おうなどと考えずに、心の中を空っぽにした状態を保っている方が良い。(老子道徳経 虛用第五) 口は禍の門、口は災いの元、物言えば唇寒し秋の風、病は口より入り禍は口より出ず。【口は禍の門(くちはわざわいのかど)】中国の類書『古今事文類集・後集』より、「口は是れ禍の門、舌は是れ身を斬るの刀なり(うかつなことを言うと禍が起きる、舌は

考えるのではない… 感じるのだ。 Don’t think… feel. 同じことをブルース・リーも言っています。 歩く時に左右の手足を動かす順番は考えませんよね?それです。 Yoda's Theme - John Williams https://www.youtube.com/watch?v=OL3d5ZoBIAI

能ある鷹は爪を隠す

 本当に有能な人間は、偉そうなことを言ったり、むやみに能力をひけらかしたりしないという例え。裏を返せば、大した能力のない人間ほど、いつも偉そうにしたり、弱い者には力を誇示するものです。優れた能力を持つ人物が日常生活では慎み深くふるまうことを称賛する一方で、空いばりする人物を暗に批判する表現と言えます。  孫子の兵法(第一章 始計篇)に同じ意味合いの表現が出て来ます。 兵は詭道なり。故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれ

千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。 宮本武蔵

「千日継続してやり続けることで物事は役に立つようになる。万日継続しなければより良いものに昇華させることはできない。」という意味です。継続することの大切さ、努力を続けることの大切さが伝わってくる名言です。1年が365日ですから千日は約3年、万日は約30年になります。(祐天寺ホームページより) 模造刀が欲しくなりました。 正しくモデルガンのようなもの。刃は付いていないものの、外に持ち出すとかなりやばい代物なので、外で素振りはできません。あくまでも観賞用。鞘から抜き出してニタニタ

囲師必闕(いしひっけつ)

「囲む師は必ず闕く」とは、兵法書「孫子」の「第七章 軍争篇」に出てくる言葉で、「囲む師(かこむし)は必ず闕(か)く」と読む。 「敵と戦うとき、完全に包囲せず、一方だけ逃げ口を開けておくことが必要である」という意味。  孫子が言うには、兵法として、高地に布陣した敵を攻めてはならず、丘を背にした敵は迎え撃ってはならず、険しい地勢にいる敵には長く退陣してはならず、わざと逃げる敵を追いかけてはならず、戦意が高い敵には攻めかけてはならず、おとりの敵兵に飛びついてはならず、母国に帰る敵