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幼少期の潜在意識~菊池俊輔氏追悼~
あまり意味がないかもしれないが、今年成人を迎えた人が生まれた頃、または現在23~25歳くらいの人の幼少期、と言い換えてもいいのかもしれないが、つまり2000年頃にどのようなアニメと特撮ヒーロー物をやっていたのかをサックリ調べてみた。
・星のカービィ
・とっとこハム太郎
・おジャ魔女どれみ
・犬夜叉
・仮面ライダークウガ
・ウルトラマンガイア
・未来戦隊タイムレンジャー
・救急戦隊ゴーゴーファイブ
現在も続く「ドラえもん」、「ワンピース」、「名探偵コナン」、「クレヨンしんちゃん」、「忍たま乱太郎」、「おじゃる丸」あたりを加えて、これらが当時放送されていた、いわゆる「ジュブナイル物」ということになる。
話をわかりやすくするためにあえて時代を絞り、作品名を列挙してみたのだが、当然、こうした作品名を見るだけで「懐かしい」と思う方はおられるであろう。
しかし、私の持論として、この「懐かしい」という感情は、かなり表層的なものだと思っている。もちろん列挙した作品にも「潜在意識に訴える」箇所はあるのだが、それはけしてキャラクターやストーリーでないと言いたいのだ。
記憶としては消滅しているのに、感覚だけがいつまでも残存し続ける、それは音楽だと考える。
それも主題歌のような追体験しやすいものではなく、劇伴(劇中に流れるBGM)や、ごく短期間エンディングテーマとして使われた楽曲がそれに当てはまる。
何かの弾みで追体験、つまりその「音」を聴いた瞬間、記憶として残ってないはずなのに、「あ・・・」と耳を傾け、懐かしい、なんて有り体の感情ではなく、何とも言えない、心をグワングワン揺らされるような感覚に陥る。
だからジュブナイル物の音楽を莫迦にしてはいけない。もし悪質な物を作ろうものなら悪質な潜在意識になるのだから。
先日、作曲家の菊池俊輔氏が逝去した。
彼は大人向け作品と同じ比重でジュブナイル物にも力を入れ、選別しまくって絞りに絞っても「タイガーマスク」、「仮面ライダー」、「ドラえもん(第二期)」、「Dr.スランプアラレちゃん」は外すに外せない。もちろんそれらの主題歌は有名だし、同時代に幼少期だった人のほとんどは「ソラ」で歌えるに違いない。
だが、菊池俊輔の真骨頂は劇伴やマイナーな挿入歌にある。むしろ「これは子供たちの潜在意識に残るものだから、主題歌よりもちゃんと作らなくてはいけない」という意識があったとしか思えないのだ。
主題歌はジュブナイル物である限り、やはり「型」がある。その「型」を破った斬新な楽曲も、いずれは新しい「型」となる。つまり、どうしても同じようなところで勝負しなければいけない。
ところが劇伴は違う。ドラマやアニメなどのテレビ作品の場合、映画のように作品を「内容を見て作曲する」のではない。あらかじめシーンを想定して数十パターンの楽曲を作らなければならない。
となると「『無』から『有』を生み出す能力」と「強烈な『クセ』」と「どんなものでも作れる幅広さ」というある意味矛盾する能力が求められるのだ。
それを極めて高いレベルでこなせたのが菊池俊輔である。しかもジュブナイル物作品の音楽について回る潜在意識への影響を憂慮した上で。
さらにすごいのが、本来潜在意識でとどまるはずのBGMが、数十年の時を経て表層にまで現れたことである。
スネ夫が自慢する時のBGMなどインターネットで散々擦られまくっているし、あきらかに西部劇や鞍馬天狗をも連想させる、ドラムで馬の蹄の音に似せた仮面ライダーの戦闘シーンでのBGMなど、もはや菊池俊輔の独壇場で、スタンダード化するにはあまりにも色が強すぎて雰囲気だけでも再現しようとしたら「菊池俊輔のオマージュ」になってしまうのだから。
結局、ここまで何も具体的には書けなかった。
本当はもっともっと、語りたいことがある。いや、たった一曲だけ抽出してもnoteのエントリ一本分は書けるだろう。
とにかくこんな人は、もう出てこないと思う。ご冥福をお祈りします。