怠惰で勤勉じゃない自分とどう付き合うか
自分のなかの、融通の利かない真面目さと、楽をしたがる怠惰さ。誰の中にも両方棲みついているのでしょうか。
これはめちゃくちゃ自分のことでして、バスケ部のキャプテンだった高校生の頃にはすでにそんな自己認知がありました。
仕事を始めて若手の頃も、中堅になってからも、パートナーとmichinaruを立ち上げた今も、ずーっと真面目な自分と怠惰な自分が同居しています。
「口では大きいこと言っていても努力が追い付いてないよ」「その分野で何かを残したかったらもっと勉強しないといけないよ」「才能もない怠惰な人を信頼する人はいないでしょう」と自分に突っ込む声・声・声。日々頭の後ろの方から聞こえてきます。
「怠惰で勤勉じゃない自分とどう付き合うか」は、(無意識ながらも)いつもともにあったマイテーマであるように思います。
偉大な経営者の自己認知も「自分は怠け者で勤勉ではない」
以前、「北欧、暮らしの道具展」を運営している株式会社クラシコムの青木耕平社長が、自分は勤勉ではない、とおっしゃっていたのが印象に残っています。
「たとえば僕はよく、僕がもっと勤勉だったらうちの会社って年商100億くらいになってると思うんだよとか言うんだけど。でも、それってもうどうにもならなくて。頑張れる人は頑張れるけど、僕は頑張れない。」
「苦手なことを克服しなきゃとか、自分が社長じゃなかったらもっとその先に行けたのにとか、そういうことを、もうしょうがないよね、代わりにやる人はいないんだからさ、って思えるようになったというか。」
独自の世界観でファンを魅了し、ウェブサイトからインスタ、ラジオ、動画、、と進化を重ねている経営者の自己認知が怠け者だなんて。素直に驚いてしまいました。
別の記事ではこんな風にも語っています。
怠け者だった人が僕の教えで急に勤勉になることはないと思うんですよね。必要な人を採用して、環境を整えるのが僕の仕事。だから、すべては「採用」にかかっているし、そこにエネルギーを割いていますね。
勤勉ではない自分と人、という認知は青木氏のかなり大きい部分を占めているようです。
でも、もちろんここで終わりではないのがさすがです。
そんな人の特性もフラットに受け止めたうえで、事業成長や組織づくりをそうした特性を織り込んだ設計をしていることが感じられて、尊敬の気持ちがさらに強まります。
自分が「怠惰ではなく勤勉であること」は手段なのかもしれない
青木氏の在り方を見つめるうちに、自分が「怠惰ではなく勤勉であること」は絶対必要なことではなく、リーダーとしての一つの手段なのかもしれないと感じるようになりました。
成したいミッションや創りたい世界のために、勤勉の美学にとらわれずに、さらには真面目・勤勉による飛躍的な能力の伸長に期待をせずに、
「確実に前に進める状態を創る」ことに全力を注ぐことこそリーダーの役割なのかもしれない、ということです。
自分の課題にコツコツと立ち向かうことは日本人的美学ではあるけれど、その勤勉さの獲得よりも、目的の達成のためにそのときそのときでもっともよい手段を”無私”で選べるリーダーシップにまで到達できることの方が私には意味があるように感じてきました。
「怠惰で勤勉じゃない自分でどのように貢献していくのか」、ずっと模索し続ける気がするテーマです。
何のオチもない話ですが、皆さんの怠惰さとの付き合い方についても聞いてみたいです。対話してもいいよーという方はぜひ。
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