「ここにいたんだ」の価値
「あなたは何をしている人か」「あなたの会社は何をしていると言えるのか」という問いが本質的なパーパスを見つけると言われているが、これに即答できる人は少ない。(いろんな切り口から考えられてドンピシャの言葉を見つけるのが難しいから)
私のように単純な仕事しかしていなくても考え込んでしまうのだけど、ここ1-2週間でこういう切り取り方もあるかな、と思うことが続いた。
「ここにいたんだ」と感動し、勇気づく場を創ること。
私が宇宙兄弟で一番好きなのが、主人公のムッタがうどんをこねながらこのセリフを言うシーン。
このセリフ、実はここ数日の研修やWSの現場で立て続けに聞いた。ひとつひとつ全然違う会社&違うテーマなのに。
私なりに人が「ここにいたんだ」というときの心情を考えてみると。
先のムッタがそうであるように、長らく自分の中に押し込め、もはや忘れていた自分の中の何かへの熱量(人に理解されず笑われるような)を、さらけ出し合える仲間に出会えたとき、人は「ここにいたんだ」と思うのだと思う。
自分の偏った興味や熱量を隠さないでいられるのは、同じくらい偏った興味や熱量を持った人たちに出会うことが必要だけど、これがけっこう難しい。(宇宙の話は理解されないと蓋をした高校生の頃のムッタも、友達とゲーセンにこもっている)
普段は興味や熱量は水面下に隠れていて互いに見つけずらい。
組織で言えば、とても忙しい業務過多の会社や冷めたシラケの文化のある会社であればなおのこと。新しい事業が生まれないのも組織に閉塞感があるのも根っこの問題はこういうところにある。
そんな環境にいて居心地の悪さを感じている人(染まり切れないピュアな異端児という感じ)が自分を解放して何かにガチで向き合いあえる仲間に出会えた時に「ここにいたんだ」と言うんだけど、そんな人がその感覚を持つと、結果として事業を生み出すアクセルにも組織に働きかける勇気にもなる。
「ここにいたんだ」の価値はきっととても大きい。
私もmichinaruという会社をやっているのは、一緒に取り組む仲間やこの事業で出会えるお客様や飛び込んできてくれるプロジェクト参加者にそういう感情を持っているんだよなあと初心に返る。
オリンピックでたくさんのパワーを貰ったことだし、明日からまたがんばろう。
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